23

 久しぶりに地元に帰ると実感するが、国道のバカでかい道路たちは明らかに人間が歩く用の道路でない。たしか日本で一番か二番かに危険と言われたわが地元の交差点には、今も目撃者募集の看板が立っているはずだ。

 あそこの交差点のヤバいところは、看板が年がら年中立ちっぱなしで、同じ看板の上に新たな事故の日時をシールで貼り替えているところだ。多分、目撃証言が集まる前に次の事故が起きている。それもひと目の少ない時間の目撃証言に限る訳だから、事故の件数はさらに多いのではないか。

 こんなところをよく三年間も自転車で通ったものだ。当時は車の目線が分からなかったが、分かるようになった今はより恐ろしい。東京に出て、色々あって薬を飲み始めてからは運転も控えるようになったが、正直言って、車も通りたい道ではない。


 通学路の大半は国道を一本逸れた道だった。ところがこの道もまた危険なのだ。高速道路と交差した国道は渋滞しがちだから、一分一秒でも移動しようとトラックや乗用車が飛び込んでくる。抜け道のつもりなのだろう。

 国道と違って車道と歩道が近く、人と車が触れ合う距離に接近できる。人間サイズのタイヤたちの横をすり抜けて通学するのは、それだけで生命の危機だった。

 当時はこの人間サイズでしか考えられなかった。これは他の動物も同じなんだと思う。つまり、多くの動物は(人間であっても)体に見合った考えを取るってことだ。


 三年間、自転車を漕いでいて、猫の死体に出くわしたことはかなりある。その数、23。他の生き物を含めればもっとだ。

 わが出身県では、やつらの扱いは燃えるゴミだったらしい。朝に踏み掛けた連中は、夕方、帰りには血痕を残して片づけられていた。やつらだって死にたくて道路を飛び出したわけではあるまい。目算もないまま横切ろうとしたのではないだろう。ただサイズが違っていたのだ。移動距離、時間、もっと根本的な体の大きさ。


 遡ればこういう話はもっとある。小学生の頃、二匹、猫を飼っていた。そのうち一匹が脱走して、家の前でペシャンコになって帰ってきた。ヤツにしてみれば、道を横切るなど造作もないことだったに違いない。家に帰りたかったのだ。しかし叶わなかった。俺は家の庭に穴を掘って埋めた。ペットを埋めたのはヤツが初めてだった。


 俺ももっと小さい頃、道路を飛び出して車に轢かれたことがある。信号もない、横断歩道もないところで、なんで渡ったんだ! と、こっぴどく叱られた……らしい。頭から血が出て、運転手の方が真っ青になったと聞く。だがその時の俺が何を考えていたか、さっぱり思い出せない。度胸試しをしたのか、渡り切れると思ったのか、いずれにしろまだ自分一人で何か決められるような年じゃなかった。

 もしかしたら、周りの真似をしたのかもしれないし、誰かにダッシュさせられたのかもしれない。

 だが、なんとなくこれという確信はある。目算はあったのだ。ただサイズが違っていた。


 記憶の中で、唯一よくわからない出来事がある。23のうち、最後の日だ。国道を一本外れた道に、だんだんと新しいアパートやマンションが建ってきて、割合きれいな道になりつつあった頃だ。俺は坂道を上がってすぐ、やつ、すでに死んだ、を、轢きかけた。勢いよくブレーキを握ったせいか、車道の側に自転車ごと体を倒す。多分どこか擦ったのだろう。

 それを誰かが覗き込んだ。「轢かねえのかよ」と言われて、体が止まる。影がさして顔がよく見えない。

 その頃から痛みが到着しだした。とにかくめちゃくちゃ痛くて——、すぐにでも車道から離れないと、車が来てしまうから、段差のある歩道に必死で乗り上げた。見回したんだけれど、さっき覗き込んだ人がいない。近くにあるマンションの入り口前は大きな広場になっていて、隠れる場所がない。いやそれよりも、そいつは段差に隠れていた小さな猫を、最初から知っていた訳だから……。


 その時の出来事が原因で、自転車がついにぶっ壊れた。なので、最後のひと月はバス通学になった。

 考えたのだが、23もの数字を平すと、大体月に1回、俺は連中を見ていたことになる(夏休みや冬休みを除けば)。これはかなり異様な数字だと思う。これだけ動物を「轢かせている」連中がいるとしたら、やっぱり車にとってもヤバい道なんじゃないか。あとひと月、自転車で通ってたらどうなってたろう。……まあ、バカバカしい話だ。

 とにかくあの時は、人間サイズの道がほしかった。車に乗るようになってからも、みんな自分用の道を欲しがっているのを知った。ただ結局、交差点でぶつかることになる。


 送迎を頼んだ兄が飲んでしまったので、実家へ帰るにはバスで帰るほかないようだった。

 バスの車内から窓の外を眺める。車目線の高さに、どうも慣れない。交差点に差し掛かると、足元のバイクがバスのふところに消えていく。デカい車にとっては自転車やバイクごとき、猫どもと同じ小さくて理解不能な生命体にしか見えない。

 そういえば実家はまた猫を拾ってきたらしい。帰るのが憂鬱で、そして楽しみだ。

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