墳墓の皇帝

◆6-1

 宴会の喧騒が漸く静まった、明け方よりも少し前の時間。

 未だ残る闇の中を、影法師たちが走る。彼らは香梅の命令で、この館の中にいる、北方からの客人の命を奪う役目を追っていた。何故、依頼者がそんなことを命じたのか、その理由を彼らは知らないし考えもしない。必要がないからだ。

 彼らは道具。生まれてこの方、尊きものの爪先となって動くことのみを良しとされた者達。気配を消して屋敷の中に忍び込み、既に仲間を入れて探りがついていた客人たちの部屋へ、屋根裏から回り込む。

 覗き込んだ一室の中、草で編んだ敷布の上に寝具が広げられており、その隙間から銀色の髪が見える。この国でこんな色の髪を持つ者は滅多にいない、間違いなく北方人であろう。もし間違えたとしてもそれは些細な問題である、と言い含められている。この屋敷の中で疑わしきものを全て殺してよい、と命じられているからだ。

 何の感慨も興奮も無く、ひとりの影が武器を構え、音もなく床に降り立つ瞬間。

「――ッ!」

 布団が跳ね上げられ、虚を突かれたその隙に、刃が腕を掠めた。幸い毒などは仕込まれていなかったが、まさかの反撃に影は僅かに動揺する。自分が狙う相手は幼い少女だと解っていたからだ。布団から飛び出して壁際に逃げた少女は、油断なく奇妙な色の瞳でこちらを睨みつけ、反りの無い短刀を構えている。腕自体はそこそこであろうが、鉄火場に放り込まれた怯えは無い。目標の認識を改め、影も油断なく武器を構えるが、そこで違和感に気づく。自分が初撃をしくじったのだから、もう一人がすぐに降りてくる筈なのに、天井裏からの動きが全くない。初めての異常事態に、普段は石のように動かない影法師の精神が僅かに乱れた。

 しかし、すぐに己の役目を思い出して腰を落とす。この程度の使い手ならば、全力で踏み込めば確実に相手の息の根を止められる。少女も解っているのだろう、手は震えていないが緊張と恐怖からか、額に汗をかいている。ならば躊躇うことなく一歩踏み出し――

「奥方様ご無事ですかッ!!」

 大声と共に鍵がかかっていたはずの扉がそのまま吹っ飛び、影は壁とそれの間に挟まれ押し潰された。



 ×××



「ヤズロー……!」

 助けがきて、ほう、とリュクレールは漸く安堵の息が吐けた。屋根裏に潜ませていた、ドリスから借りた蛇のおかげで侵入者に気づき、武器を抱えて寝台に潜り込んでいた。幸い一人は蛇の麻痺毒により、天井から半分体を乗り出してぐったりしているし、もう一人は先刻思い切り蹴り飛ばしたヤズローの戸板で潰れている。血に濡れた小剣を振って鞘に納め、既に着替えていたスカートの裾をたくし上げてベルトで太腿に挟む。動き易さを優先したブーツを履きながら、油断なく廊下と部屋を確認しているヤズローに問う。

「男爵様はご無事なのね?」

「勿論です。お部屋を出て庭に身を隠しております。……黒鰐様は信頼できるようですが、他の者については限りでは無いからと」

「……解りました」

 一瞬辛そうに眉を顰めるが、己の心を抑えて頷く。ここは既に敵地なのだろう、油断はすぐに死を招く。きゅっと唇を噛んでから、確りと従者へ告げた。

「では、男爵様の元に参りましょう。ヤズロー、案内を」

「仰せの通りに」

 素早く頭を下げて、ヤズローは躊躇いなく窓を開け、辺りを確認してから空に身を躍らせた。塗りこめられた土壁には支えになる場所など碌になかったが、彼の体はふらりと宙に浮かぶ。腕の先に、蜘蛛の糸が繋がっているのだろう。

「失礼致します」

「はいっ」

 ぐいと体を引き寄せられ、リュクレールの体も宙に浮く。あっという間に糸に支えられ、庭の隅に着地した。そのまま壁に沿うように建物の側を速足で進むと、丸く綺麗に刈り込まれた木が並ぶ中に、あからさまに色が違う球体が見えた。

「男爵様!」

 小声で叫ぶと球体がむくりと動き、どうにか人の形を取ったと思えばまるまるとした頬をほころばせた。

「おお、おお、リュリュー殿よくぞご無事で! 吾輩の擬態術も愛の力で見破って下さったのですな!」

「旦那様、寝言は寝て言ってください。――屋敷から脱出しますが、その後どちらへ?」

 冬の気温並みに低いヤズローの声にふむん、といつも通りの余裕を見せる男爵に、リュクレールは漸く全ての緊張を解くことが出来た。今更かりそめの命を狙われたことに対する震えはくるが、彼がいてくれればもう大丈夫だと、心の底から信じることが出来たからだ。

 夫は妻のそんな心の機微が解っているのか、リュクレールの小さな手を柔らかく握りつつ、優秀な執事に命じた。

「このまま、裏山にあるという斎王家の墳墓へ行こう。上手くいけば敵を撒いた上で港に戻れる。眠っている方々には申し訳ないが、緊急事態ということでお見逃しを願いたいね」



 ×××



 藍皇国では、人が死ぬと地に埋め、その上に土を盛って塚とする。相手が貴人となればそれは更に堆くなり、嘗ての皇帝は皆巨大な山を作り上げた。同時に沢山の副葬品が葬られ、盗賊に狙われることもあったが、そういう者には例外なく呪いが与えられ、無残な死を遂げた。そんな昔話が、様々な形で連綿と受け継がれ、今や全ての墓は不可侵となった。

 皇帝の眠りを妨げることは何人たりとも出来ぬまま数百年の時が過ぎ去り、嘗ての墳墓には草木が生い茂り、完全なる野山となった。道なき道を上るリュクレールの目にも、これが以前は人工の墓であったなど信じがたい。

「……では、墳墓の中に入れば、追っ手は退けられるということなのですね」

「ええ、ええ、そうですとも。襲撃者たちが、皇家に少しでも、ハァーッ、所縁があるのならハァーッ、この山に分け入るのハァーッ、躊躇うだろうねッゲフゥ!」

「だ、男爵様、どうか無理はせずに……!」

「説明してる暇があるなら肺と脚を休まず動かしてくださいませ」

 山道を登って数分で息も絶え絶えになっている肉の塊を二人でどうにかこうにか運ぶ。丸い襟首を片手でぎちりと掴んだまま、息を乱さずに山を歩くヤズローは不愉快そうに眉を顰めた。

「それに、確かに足は鈍りましたが追手は諦めていないようです。どう責任を取るおつもりですか」

「ンハッフゥ、仕方あるまい、ドリスに分けて、貰った、虎の子を使おう、ハァーッ。リュクレール殿、竜の雫を」

「あ……はい、これですね?」

 旅に出る前にドリスから受け取っていた腕輪をリュクレールが取り出す。雫のように輪に下がっている透き通った美しい宝石は、ひやりとした冷気を放っている。その美しさに少しだけリュクレールは未練を持つが、背に腹は代えられない。

「ドリス、使わせて貰います。……氷竜様、どうか加護を」

 ひとつ頭を下げて、ぷつりと宝石を外す。元々そのために作られた飾りなので、すんなりと鎖は解けた。そして、山道の上にころん、と転がり――見る見るうちにその滴から、氷が広がっていく。

 凹凸のある山道があっという間に氷に覆われた。秋とはいえまだ気温の高いこの国ではあまり持たないだろうが、この坂を登るのはどれだけ山に慣れていても時間がかかるだろう。

「フウ、フウ、これで少しは時間が稼げるだろう。出来ればもう少し休憩したいところだがねンゲッホォウォェ」

「油断はできません、体力が無くてもさっさと絞り出して下さい」

「男爵様、申し訳ありませんが少しだけご辛抱を……!」

 青息吐息の男爵をどうにかこうにか引っ張り転がし、漸く灌木の間を擦り抜けて開けた場所に辿り着いた。下生えは生い茂っているが、薄らと石畳が見え、灯篭のような石の柱が何本も建てられており、それが続く先に洞穴が開いている。これが斎王家の墳墓、その入り口であるのだろう。

「ハァ、黒鰐殿曰く、墳墓は嘗てッ、ハァ、貴人達の隠し通路と言われていたそうです。ハァーッ、危険は、あるでしょうが、機動力の無い我々では、ッフ、いずれ覚悟を決めた追手に追いつかれます。どうにか内部から、ハァ、逃げる道を探しましょう」

「機動力の原因は大体旦那様のせいですね、仰せの通りに。先行します」

 ヤズローが憎まれ口を叩きつつ、耳に留まっていた銀の蜘蛛を外して手近な灯篭に投げた。蜘蛛は得たりとばかりにそこから糸を伸ばし、ヤズローの手指に戻ってくる。いざという時の命綱に使うのだろう。リュクレールも、ずっと胸元に隠していた使い魔のカナヘビをそっと取り出してヤズローの肩に乗せた。

「明かりになってあげてね」

 きらりと目を光らせて悠々と寝そべるカナヘビを胡散臭げに見つつ、優秀な執事は洞窟の中に入っていく。当然主とその妻も後に続いた。

 入り口は広い天然洞のように見えていたが、これも擬態の一つだったのかもしれない。奥に降りるにつれて坂は切り出した石による階段になっており、まるで宮殿のように壁も磨かれていた。勿論経年劣化による皹などは入っていたが、盗掘などが行われた様子もない。

「……墓にしては、空気が清浄ですね」

 ぼそりと呟いたヤズローの声に、リュクレールも頷いてしまった。死が留まる地はどうしても澱みが出てしまうものだが、ネージ国の地下墓地とは比べ物にならない程、空気が澄んでいるし、風が通り抜ける気配もする。

「フゥ、南方国で信仰される竜達は、神の永遠を嫌い命が巡るを良しとした。故に、魂をそのまま地に留めることはさせないように、墓を設計したのだろうね」

 走らなくなって漸く息が整ってきたビザールが自慢げに舌を回す。しかし、リュクレールの手を握ったままの、焼き立ての白パンぐらい柔らかな掌が、酷く汗ばんていることに彼女は気づいていた。彼に手を引かれたとき、どんなに疲れていても、こんな状態になっていたことは一度もない。

 ――緊張している? いいえ。エスコートに戸惑われるような方ではない筈。確かに追手がかかっている状況ではあるけれど、虚勢をわたくしに見せぬよう振る舞える方だわ。勿論、まだお疲れだからかもしれないけれど――

「身も世もなく逃げ出してしまったが、恐らく黒鰐様は我々の敵対者ではないだろうね」

 リュクレールが考え込んでいる内に、確信が持てたと言いたげに男爵がたぷりと顎を揺らす。妻と従者の視線を集め、得意げに胸というより腹を張り、ビザールはつらつらと続けた。

「この墳墓の位置を知らせてくれた上で、港への抜け道があるとまで話に乗せてくださった。恐らく我々を狙ったのは、黒鰐殿が逆らえぬ程の地位がある相手であり、彼自身は不服であるとみて間違いないだろうね」

「それならば――心強いですね、男爵様」

 素直な気持ちがリュクレールの唇から漏れた。他者を疑うことは必要なことだが、それでも自分によくしてくれた相手を信じたいものだ。

 何度も休憩を挟んで洞窟を進み、やがて暗がりに一筋の光が見えた。

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