歓迎の宴

◆4-1

「うちの国って結構昔から、何度も王朝が代替わりしてるんだけどそれは知ってる?」

「はい、塔にいた時にも習いました」

 無事に応急修理を終え、風に乗って進む竜胆号の船室にて。瑞香の切り出しに、リュクレールは得たりと頷く。ごく少数だがかの首吊り塔には南方国出身の者がおり、そこから御伽噺のような形で聞いたことがある。

 始祖である、菫青――鉄の刃を取り南方大陸の平原を制した勇ましい王である――が開いた菫王朝は長く栄えたが、それも六百年程で潰え、別の王と国が建った。それを繰り返し、現在は藍王朝――菫青の血を引くとされる藍皇帝が治めている。

 うん、と頷いてから瑞香は、手元の絹で磨き続けている輪を眺めながら続ける。

「ここに彫られてるの、やっぱり斎だわ。今の代から二つ前――三百年ぐらい前のやつ。黒河ヘイチュアン――この船が泊まる街の近くに墓があるの……よし、結構綺麗になったわ!」

 満足げに輪を明かりに翳してから、リュクレールに手渡す。流石に元通りとはいかず、錆びも完全に取れたわけではないが、銀の輝きを取り戻していた。

「ありがとうございます、瑞香様! きっとあの方もお喜びになるでしょう」

「どーいたしまして。けど、斎かあ。あの頃まだ、北方との国交は確立してなかった筈なのよねぇ」

「なればかの淑女は、密航者か、遭難者ということかね」

 多分ね、と頷きながら、瑞香は僅かに顔を顰めて続ける。

「けどそういう指輪、本気で皇帝の関係者じゃないと作れない奴よ。勝手に紋を意匠に使ったら罰せられるもの」

「では身分差故に、彼女の思い人も国を離れることが出来なかったのであろうね! 言葉も通じぬままにすれ違う……なんたる悲恋であろうことか!」

「あんたまた船酔いで潰れてるのに元気ね、口閉じてくれる?」

 ベッドの上でぐんにょりと潰れたパンのようになりつつも、相変わらず口だけは元気に動かす男爵を、リュクレールは労いながら枕元に寄り添う。

「男爵様……具合のお悪い所、申し訳ございません。わたくし、この指輪を南方国へ届けて差し上げたいのです。出来れば、斎王家ゆかりの方へ。それがあの方の最期の望みであると、感じ取りました」

「そのお気遣いだけで吾輩の元気は満たされましたとも、リュリュー殿! どうぞ貴女のお心の赴くままになさってください、吾輩が全力でお手伝い致しましょう、喜んで!」

「はいはい、ごちそうさま。……あ、そうだ、今のうちに言っとくけど」

 ちらりと船室の扉に目をやりながら瑞香が声を潜める。見張りとしてそこには小目が立っている筈だ。ちなみにヤズローは酷使した四肢の整備を含め、調整のために甲板で運動をしている。自然と顔を寄せ合う夫婦を見遣り、あくまで笑顔でこう告げた。

「あたし、国に着いたらあんた達と出来る限り親しく話さないから、そのつもりでいてね」

「えっ?」

 唐突にしてあんまりな言葉に、リュクレールは思わずはしたなく反応してしまう。それほどこの言葉は、彼らしくない言い方だったのだ。思わず男爵の方を向くが、丸く潰れたビザールは顔を青くしつつもいつも通りの不敵な笑みで、寝転んだまま――

「勿論、心得ているとも、我が親友」

「ど、どういうことなのですか?」

 あっさりと言い切る良人に戸惑うリュクレールを、男爵は宥めるように微笑みながら、親友の方に向き直る。

「しかしながら、その言い方では我が愛しの妻に不親切だろう。全てでなくても良いから説明はしたまえよ」

「ぐっ……あんたに正論で諭されると滅茶苦茶腹立つわね。分かったわよう」

 悔し気に歯噛みをしてから、諦めたようにひとつ溜息を吐く。

「……ちょっとは気づいてるとは思うけど。あたしの実の父親が、現・藍皇帝なのね」

 驚きはあったが、決して予想していなかったわけではないので、こくりとリュクレールは頷いた。一商人としても、優秀な交渉力や言語力を持っており、何より国と同じ家名を名乗り、店の屋号としている。少なくとも、藍皇国で地位が高いことは容易に知れた。しかしまさか、皇子であったとは。

「言っとくけど、あたしは十歳かそこらで宮殿から出たし、人生の半分以上は黒河とネージで暮らしてたし、そこまで立派なご身分ってわけじゃないから。商売に有利だから名前を使ってるだけ。……まぁ、その癖血の証ははっきり出てるからさ、未だに目ぇつけられてんのも腹立つんだけど」

 透き通った瑠璃のように濃い青の瞳を指で指しながら、苦々し気に続ける。南方国の始祖である菫青は、その名に相応しい青の瞳を持っていたという。現王家にその血が流れているのならば、証を持つ者は否応なしに、次代として担ぎ上げられる可能性があるということなのだろう。

「……そちらでは、国王陛下は沢山の奥方を娶るのが当たり前とされているそうですが、当然、他の殿下達も」

「そりゃあもう。少なくとも妃の地位がある奴だけで十人決められてて、妾なら更にいくらでも、よ。狒々爺が頑張ったおかげで、継承権なんてあたしなんか八番目ぐらいよほほほ」

 目が笑っていないまま瑞香が抑揚のない笑いで答える。リュクレールがどう反応していいか困っているのに気付いて、気まずげに話を戻した。

「んでまぁ、その。……あたしの母さんはあたしの上にもう一人、次男として男を生んでるからさ。そいつと長男の皇子が、いっつも何やら争ってるわけよ。そういうのに巻き込まれるかもしれないから、あくまであんたたちは、あたしの伝手で旅行に来た客以上の扱いをしない方がいいと思うわけ。善意よ善意」

 言っている言葉に嘘はない、それは間違いないとリュクレールは思う。だが何故、自分の兄と表現すればいい相手を、ここまで婉曲に言うのだろうか。そこを疑問に思った時、瑞香の姿が陽炎のように揺らめくのが見えて――慌てて両目を閉じた。このままでは彼の心の一番柔らかいところを見透かしてしまうと解ったからだ。

 逃げるように視線を動かすと、ビザールがにんまりと頬を持ち上げる笑みを見せ、リュクレールの手をそっと取ってくれた。恐らく彼も瑞香の葛藤を知っていて、それを見ないことに決めた妻に対する感謝を込めたのだろう。彼の優しさに応えるべく、リュクレールもそっと柔らかい手を握り返した。

 そこで、外からノックの音が響く、最初に我に返ったのは瑞香で、何事も無かったように立ち上がり外に声をかける。

『どうした?』

『瑞香様、間もなく港へ到着します』

 抑揚のない小目のいつも通りの声に、リュクレールは窓の外を見遣る。広がる海原の向こうに、大きな島と沢山の船、それに群がる鳥たちの群れが見えた。



 ×××



 ゆっくりと、港に滑り込んだ船が錨を下ろしていくのを、ヤズローは興味深げに見守っていた。船旅は不便な事も多かったが、少し名残惜しくもある。

 ふと、船倉から長身の男が出て来たことに気付き、そちらに意識が移った。小目はいつも通り、何一つ表情を動かさないまま真っ直ぐに歩いてくる。後ろに続く人がいないので、主に付かず動いているのが珍しいと思っていると、上空から羽音が聞こえた。

 鴎達の中で一際大きな羽を広げる鷹が、真っ直ぐにこちらに向かって降りてくる。それに応えるように、小目は逞しい腕をすいと空に伸ばす。あっという間に降りてきた鷹が、その腕に爪を立てて止まった。脚につけられた手紙を小目が取って確認し、くしゃりと握り潰す。そのまま腕を振り、返事も持たせずに鷹を離した。

 その一連の行動を見て、ヤズローには違和感が沸く。何か報告を受けたのなら、己の主に知らせるべきではないのだろうか。しかも周りの者達も、小目のその行動に一切気を払っていない。寧ろ意図的に目を逸らしているようにも見える。

 それよりなにより――小目はそのまま、一歩も動かず、僅かに俯いたままだ。

「……どうした」

 疑問が口をついて出てしまった。普段ならば主以外の呼びかけなど一顧だにもしない小目が、ほんの僅か視線を揺らめかせる。それだけでも有り得ない状況であることが、ヤズローにも理解できてしまった。

「瑞香様に伝えなくていいのか?」

「……」

 返事はない。ただ、彼の視線が動いた。漸く近づいてきた港、そこに掲げられた巨大な旗へと。

 黒河の旗はその名の通り墨染で、縦型の旗があちらこちらに靡いている。だがそれよりもひときわ大きく派手な藍色の旗を掲げている一団が、既に港に鎮座していた。

 ――藍の旗を掲げられるのは、この国では皇族のみ。出発前に無理やり叩き込んだ知識をひねり出している間に、小目は普段通りの何事も無いような顔をして、踵を返した。船倉ではなく、接岸前に準備された小舟に向かって。

「おい」

 答えはない。歩みも普段と変わりない。それなのに――何故だかヤズローはその背中が、どこか躊躇いがあるように見えた。殆ど勘と言ってもいいような根拠の無さだったが、同じ従者であればこそ気づいたのかもしれない。今、あの男は恐らく、不本意なのだろうと。

 問い詰めようかと一瞬迷うが、やったところで答えは帰ってきまい。小さく舌打ちをして、ヤズローは船倉に続く階段を下りた。接岸前に主夫妻の荷物をまとめなければいけないからだ。

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