黒い仔山羊と化け烏

 念願の一人暮らしってこういう事じゃなかったはずだ。

 学校行って勉強して、バイトで遊興費を作ったら友達と遊びに行ったり家に集まったり、普段は音声チャットでバカ話しながら原稿に勤しむ。そういう暮らしをしたくで一人暮らしを始めたはずだった。

 

 このアパートに住み始めて3ヵ月経った頃だった。

 長い梅雨が明けて、強い日差しが街をじりじりと焼き上げるようになった頃。

 連日連夜の熱帯夜、三日ぶりに終電で帰宅した私は、ざーざーとシャワーを浴びながら泣いていた。あのクソ親父課長 私が何したってんだ!? ホントにホントに、もう色々、無理……。頭から浴びるシャワーが涙を流してくれるから、声を押し殺して泣いたあの夜。

 ぼうっとした頭でも、辛うじて髪を乾かしてから布団に潜り込むと、何処かから女性がすすり泣くような音が聞こえた。

 隣部屋の人も何か悲しんでいるのかなと、深く考えずに眠りについた。


 ところが、それから度々、おかしな事が起こるようになった。


 深夜に突然テレビが点いたり、スマホの電源が入って音楽が流れたりした。どうも、うっかりタイマーセットしていたみたいだ。


 突然部屋の電灯が消えて、窓の外に女性が浮かんでいた事があった。よく見たら自分の姿が映っているいるだけだった。電灯は電球が切れてただけだった。


 ある日、蛇口を捻ったら真っ赤な水が噴き出して、大騒ぎしていたら偶然アパートを巡回していた大家さんが”水道修繕入ったから、赤水出ると思うんで少しの間出しっ放しにしといてね”と言われた。なるほど、赤サビ交じりだから赤かったのか。


 ある夜、お風呂から出ると、どこかからパチン!パチン!と何かが破裂するような音が聞こえた。怖くなってベランダに飛び出したら、お腹を出した知らないオジサンが楽しそうにお腹を叩きながら歩いていた。もちろん通報した。


 うーん、心霊現象なのか偶然なのか、判定が難しい。中学の修学旅行でクラスメート数人が嫌な感じがすると言って大騒ぎした時も、霊感ある人って大変だなあと傍観するくらい、霊感は無いと自覚してる。実際、心霊現象っぽい事全部に理由も確認してるだけに、他人ひとに相談し辛い。

 これが、ッパーっと壁に血文字でメッセージが浮き出すとか、ブリッジ態勢でドカドカ近寄ってきたら、流石の私も心霊現象と認めざるを得ない。つか、もはや祟られているよね、そんな状況。



 今日も終電で帰宅して、割引シールの付いたコンビニ弁当を食べてから、PC起動してコリスタとチャットソフト起動してヘッドセットを付けて準備万端。友達のログインも確認して、これから楽しくお喋りしながらお絵描きするんです。

 楽しい。本当に楽しい。お喋りしながら好きなキャラの好きな顔を描くのが、本当にストレス溶けてく。デトックスって高いお金払わなくても出来るんだ。

 同じように帰宅が遅い友達もログインして、わいわい喋りながら楽しくお絵描きしたり、進捗確認に胃の辺りを撫でたり。でも、仕事じゃないからか、苦しいし辛いんだけど、楽しい。


「次の本なんだけどさ、入稿後で時間無いけどとにかく形にしてさ、このお……いを……届け……じゃん?……」


 ん? あれ? 聞こえなくなったぞ。なんでや? 接触? 接触だったら、USB抜いて吹いて指し直す……って、昭和か!?

 ヘッドセットを外してPC周りを見直していたら、背後からめそめそとすすり泣く声が聞こえた。

 驚いて動きが停まる。

 はっきり聞こえちゃったんだもん。

 凄い近くで、すすり泣く女の子の声が。

 つぅっと背筋を冷や汗が流れ落ちた。

 あれ? ヤバくない? 私。霊感無かったはずなんですけど、今背後からビンビンと何かがいるのがわかるますよ? もう、マジで啜り上げて泣いてる。ちょいちょい餌付いてるのは、なんだろう、ガチ泣きって事でしょうか? あ、ヤバい。きょあって言い出した。もどすやん! 泣きげろとかほんと止めて!

 慌てて振り向くと、白装束の女の子が、ホントにガチで泣いてた。

 長くて真っ黒な髪はしとやかに肩や背中に流れるように落ちている。べそをかく切れ長の美しい目を押さえる両手は、まるでお人形さんの手の様に真っ白で艶やかだった。顔を見られるのを拒否するように、前かがみで泣き続けるその姿は、まるで誰かに叱られた子供の様に見えた。

 しくしくとかめそめそじゃない。おうおうと嘆いてる。その勢いでぎょえとかうぼうと音を立てるから、慌てて背中を撫でつける。

 優しく撫でていたら、少し落ち着いたのかしゃくり上げながら私の顔を真っすぐ見上げて言ってきた。


「もう、どんだけ……どんだけ鈍感なんですか!?」


 ん? ありがとうも何も無く、いきなりステ……じゃなくて、いきなり非難されたんだけど、すいません、全く心当たりが無いんですが……。

 ヘッドセットをテーブルに置きながら、白装束の女の子を観察する。

 うーん、古典的だな。右前に合わせた和装で、薄っすら化粧してるのそれ、死化粧かな? 可愛いけど、かなり濃いいぞ。時期の問題かな?

 そんな風に考えながら女子を眺めてたら、肩を震わせ始めた。

 お、これって怒ってるぞアピールだな。分かりやすいなあ……。


「なんで! なんで全部理由付けて無視するんですか? 普通怖がって、腰抜かしたり、あたふたするんですよ? もしかしてお姉さん、そういうお約束知らないの?」


 落ち着いたようだから背中から手を離した途端に、批判されたんだけど……。

 ごめん、どんなお約束かな? そういう後付けのお約束なんか、一切知らんのよね。

 とりあえず、ヘッドセットの接続障害の犯人は、キミかな? だとしたらお姉ちゃん、割とブチ切れられるぞ? 友達が驚いてるだろ? いきなり接続切れちゃったさ。

 お前のせいなんじゃないん……か? あれ? なんでこの女子ガチキレオーラ消えないんだ?

 じわじわ膨らむ黒い何かに、流石に驚いてのけぞる。私の挙動を見た女子は、いやらしく唇を歪めて、

私を見据えながら言った。


「もうさ、いいじゃん? ヤなんでしょ? 全部。仕事場もヤだし趣味だって自己満足で。はっきり言わないと分かんないんでしょ? ねえ、もう誰も手に取ってくれない本描いて持ち込んで、毎回持ち帰りながら、在庫が押し入れ圧迫するとか笑わなくていいトコ行こうよ?」


「うぐっ!」


 あ、素でうぐっって言った。なんか恥ずかしい。うん、ヤバいくらい痛い事言われた。

 分かってたんだけど、やっぱり言われると傷つくな……。

 私達の好きはダメな好きなのかな? サークル仲間のUiちゃんもゴンちゃんも、自分の好きを言うのは絶対悪い事じゃないって言ってくれてたけど、やっぱりダメなんかな。

 じゃあ、なんならいいのかな? それ、私も好きになれるかな?

 頭の中で色んな事がぐるぐる回り始めて、そのまま目も回り始めたら不意に、スパーン!っていい音が響いて、私は我に返ってた。

 だってさ、可愛い女の子に加えて、びっくりするくらい可愛い男児とにゃんこ追加されてんだもん。

 しかもよ? 男児はハリセン振り切って一仕事終えた感出してるし、女の子は後頭部押さえて震えてる。その上黒猫は、右前脚を口元に添えて、笑うの我慢してますよ。

 なんだこのアニメ的な表現。おかしいやろ!


 後頭部を押さえながら涙目で、女子が男児に何か怒り始めたぞ。男児は自分の体ほどもあるハリセンをごにょごにょして消してる。イリュージョンだな。

 あ、皆さん気付いてくれました?

 ええ、私、完全に置いてきぼりです。


「ったいなあ! なんで叩くのよ! 条約違反でしょ!? おっかしいんじゃないの? 悪魔でしょ? だったら……」


 女の子は本気で怒ってる感じなのに、男児は冷ややかな視線で女の子を見据えながら、数歩足を進めた。

 男児は流れるような動作で、右手の人差し指を口元にあてて、軽くウィンクしながら言った。


「そんなだから、そんなんなんだよ。君、僕と事を構えるつもり?」


 緑がかった黒い瞳が相手を嘲るようにくるくる動いた後、じっと女の子を見据えていた。

 あの瞳に見据えられたら、私は動けなくなるな。すっごい冷たくて、すっごい暗くて、多分考える事を放棄すると思う。

 それなのに女の子は、下唇を噛みしめながら力を振り絞って言い返していた。


「お前がかっさらうとして、本当に持っていけるのかしら? 力不足で泣きださないといいんだけど?」


 切れ長の目で挑発的な視線を送る女の子に、女子としての矜持を感じた。

 ただし、そうするなら、実行する前に、それは無謀な挑発にしかならないと教えてあげたかった。

 流れるような黒髪をすくいあげながら、美男児はいちごキャンディのようなプルプルの唇を歪ませて言い放った。


「ふーん。キミ、ラウムの真似事してるだけの自縛霊なのに、本気で僕にそんな口を利くのか?」


 空気が一変した事が分る。室温は急激に下がり、黒猫も目を真っ黒にして美男児に何か話しかけていた。あ、美男児が黒猫を手で払った。

 あー、女の子、踏んじゃいけないのを踏んだんだなって、空気から分かった。


「ねぇ、待って? それを譲るのは不本意だけどやぶさかではないから。うん、むしろ、いいのよ? あなたの好きにして。だからね、条約違反は報告しないであげるから……。ねぇ待って、お願い! 私を消さないで!?」


 女の子ガクブルで出来る限り美男児と距離を取ろうとしているのに、ズカズカと近寄ってく美男児マジ怖い。

 美男児が女の子の顎に右手を添えると、がっかりしたように溜息を吐いてから、こう吐き捨てた。


「キミって本当にイラつく存在だな。いなくていいよ。少なくとも僕のいる世界にいるのは、ただ許しがたくて不快だ」


 美男児がそう言った瞬間、女の子はお腹を中心に吸い込まれるようにぎゅるぎゅると回りながら、ここから消え去った。

 怒涛の流れにどうしたらいいか、なにを言えばいいか頭が混乱していると、黒猫が側に来て私の頬を舐め上げた。


「いい味するけど、今じゃないにゃ。あれがいにゃきゃ、ちょうど良かったかも?」


 身動きできないまま、美男児と黒猫のやり取りを聞いていた。


「ええ!? もー! あの地縛霊ったらさ、しれっとラウムの真似してたじゃん? 眷属かなって思ってたら、ただの地縛霊だしさ。ねぇ、ばすてと、持ってったらダメかな?」


 何をって聞かなくても分かる。私の魂だろう。


「ねえ、ばほ? これはまだまだ余裕があるから、焦んにゃくても大丈夫よ。むしろ、条約違反の方が問題にゃ」


 黒猫が穏やかに諭すように言うと、美男児は顔を曇らせて呟いた。


「ばすてと……、冥界行かなきゃなの?」


 否定して欲しそうに上目遣いする美男児、マジ美男児。

 ただね、いい加減硬直解いてくれ。霊感あっても無くてもどうでもいいから、今目の前の厳選素材見せろ。堪能させろ!

 黒猫がテコテコと音も立てずに美男児の側に行って、何も言わず頬を舐め上げた。

 ザリっと音を立てて黒猫が頬を舐めると、美男児は舐められた頬に手を添えて怯みながら言った。


「いちゃい!」


「んふ。ごめんね、ばほ。冥界あっち行く時もちゃんと一緒に行くにゃよ」


 おぅ、おめーら、何俺の前でイチャコラしてんだ。いい加減なんか手当しろや。ムカつくぞ!

 そんな風に思ってたら、美男児が近づいてきてこう言った。


「お姉さんは加護が強すぎて、僕達はもちろん、さっきのあんなのじゃ相手できないんだよ。ごめんね、加護持ちの人はいろいろ上手くいかなくて、僕らみたいのも接触しづらいから、その分大変かも。でもね、加護を上手に使ってね」


 にへーって崩した笑顔で私に語りかえる美男児。あり得ない。新しい窓が開くわ。可愛いな、素敵だな。守りたい、この笑顔。


「だからね、次に僕達に会えたら、お姉さんの魂は貰うね?」


 100点満点の笑顔でそう言う美男児は、黒猫を抱き上げるとうりうりと顔をすり当ててから、普通にドアから出て行った。

 ごくっと生唾を飲み込んでいると、”ちゃんと鍵かけないとダメだよ”って言い残してからドアを閉めた。

 流石に一言多すぎでしょ。

 呆気にとられた私は、静かになった部屋の真ん中に座り込むと、ヘッドセットから漏れてくる友達の心配する声になんと応えるのが正解なのか、少しだけ考えていた。

 慌ててヘッドセットを付けて、ディスプレイを見るとまだ10分も経っていなかった。

 すこし呼吸を整てから、私なり決心して話した。


「ごめんごめん。あのね、笑うかも知れないけど、心霊現象初体験ktkr」


 友達がゲラゲラ笑う声が聞こえて来て、ようやく安心できた。

 私、ちゃんと生きてる。

 まだまだ、描きたいものがあるんだけど、描いていいんだよって許された気がした。

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