黒い仔山羊と猫の集会
昨日も終電♪ 今日も終電♪ 明日も明後日もずっと終電♪
しゃーちくー♪ しゃーちくー♪ ン、社畜のー♪
あかん、これじゃ演歌だ。
それにしたってもう18連勤ですよ。死ぬね。わたし死ぬわ。召されるわ、近い内に。そんな気がする。
でもなあ、あの公園行けなくなるのやだな。
召される前に労基か寺に駆け込むか。労基より鎌倉がいいかも? ついでに生しらす丼食べよう、そうしよう。生しらす丼かっこんでから、労基に駆け込もう。勤怠表とタイムカードとあと何用意しとこうか。ムカつく課長をぶっさす得物? ふふっ、ホントに使っちゃいそうだな。
バカな事考えてないで家に帰ろう。顔洗って着替えて布団に入る。ほんでシャワー浴びて寝る。いや、寝なない。会社に行く。行きたくない。仕事じゃなくて証拠を取りに行こう。うん、ちょっと行ってもいい気分になった。そうしよう。
ぜってー辞める。もう何度繰り返したシミュレーションだ。あと一歩踏み出して何を言われても辞めるんだ。またレコーダー回すぞ。そろそろ容量厳しいかな。そんなに音声データ集まるまで何故我慢した?私……。
じわじわ涙が出る。
こんなはずじゃなかった。こうなるなんて思って無かった。
溢れる涙を拭わずに、ただ夜道を進む。
家に帰ったら枕に突っ伏して泣こう。そんで証拠確認してから化粧落として寝よう。泣いた後なら寝れるはず。
ゆっくりと右手でぐいっと涙を拭う。
何故ならば、この先に大好きな公園があるんだ。
先週? もうちょっと前かな、たまたま帰宅ルートを変えたその公園は、猫の集会がある。
可愛いお家の左隣、角のおしゃれなお家を右に曲がって少し行くと言い訳程度の遊具の置かれた児童公園がその公園。
昨日は雨だったからやってなかったけど、今日は星も見えるいい夜。
やってるかな、猫の集会。それだけを楽しみに歩みを進める。
角を曲がって進んでいくと、そろそろ音を立てないようにしないと、集会中の猫を驚かせちゃうな……。
あれ? なんだか今日は騒がしいな。にゃーにゃー元気な声が聞こえる。
不思議に思って公園を覗き込むと、ぐるりと猫が輪を作っていた。
すごい、20匹くらいいる! 最高記録だ!
でもその輪の中で、小さな男の子が黒猫と喧嘩するように、にゃーにゃー言い合ってる。
音を立てないように腰を落としてそーっと近づく。段々声がはっきり聞こえてきたぞ?
猫の鳴き声に聞こえない事に少し動揺する。
「もぅ! なんでいっつもそうやって怒るの!? 僕何にも悪くないじゃん!」
「いやいやいや、おかしいっしょ? こないだもあちし言ったにゃよ! チョコとか見てんにゃって、言ったにゃ!」
「うぐっ……でもさ、だってさ、チョコだよ? ごでばのチョコだよ? あのお姉さんがいいよって出すんだから、食べるじゃん! あれすっごい美味しいじゃん!」
「昔食べた事あるから知ってる。はあ……ばほってホント、チョコ好きだよね。最初に会った時から知ってる。でもさー、それは仕事終わってからにしようよ!? なんで仕事中にチョコ食べるんにゃ?」
「そこにチョコがあるから」
「胸張って言う事じゃにゃい! ばほがもにもに食べてる間に、あの娘死んじゃったじゃん! 契約できなかったにゃん!」
「それ僕のせいじゃないじゃん! あのお姉さんがもう少し頑張ってくれてればさ!」
「はあ……ばほ、ホントは分かってるんにゃしょ?」
ヤバい。なんだこれ。黒猫が器用に右前脚で額を押さえながら、溜息吐いてる。男の子涙目で黒猫睨みつけるし、二人?を囲む猫がしらーっとした顔してる。
囲んでる猫たちはなんだか、お前ら帰ってからやれよって言ってる気がする。
よく見ると男の子可愛いな。
涙浮かべてる緑がかった黒い瞳をうるうるさせながら、ほっぺはピンク色に染まってる。怒ってるのかな? わーわーと言い返す口元はイチゴキャンディのように透明感のあるピンク色しててすごく可愛い。真っ白なウィングカラーの襟元に真っ赤なリボンタイが存在感を主張している。それに合わせているのが深みのある黒いビロードのような艶のあるベストとパンツとめっちゃいい。艶を出した革靴とベストマッチ。
強めのウェーブが掛かった艶のある黒髪もいいね。可愛いっていうか、美しいね。
ただねえ、なんか生えてるんだなあ。ご立派な角が2本、ばっちり生えてる。
召される前に悪魔見てるわ、私。まあね、そうだよね。こんな真夜中に猫と会話する角つけた美男児はいないわな。しかも集会邪魔された猫達に囲まれるって、あり得ないわな。
「もー! うるさいな! 君は僕の使い魔でしょ!? だったら僕の言う事聞いてよ!」
「ああー! 言っちゃいけにゃい事言った! それだけはダメなやつにゃ! ばほのばかぁ!」
「馬鹿って言った! 僕に馬鹿って言った! 馬鹿って言う人が馬鹿なんですぅー。あ、君は猫だから馬鹿って言う猫が、でしたー!」
なんじゃこれ……。もう
あ! 黒猫ぷるぷるしながら俯いてる。
まずい!
そう思った私はぐっと立ち上がると男児を指差しながら声を上げていた。
「今のは、ばほが悪い!」
右手で男児を指差しながら、左手は腰に添えている。うん、ポーズは決まっているけど、これは明らかにやっちまったな……。
囲む猫はまんまる真っ黒な目で私に注目しているし、美男児悪魔と黒猫は瞠目しながら口もかぱーっと開いてこっちを見てる。うん、完全にやらかしたな。
「えっと、うん。お姉さんは、君はもう分かってると思うから、後悔して欲しくないな。猫ちゃんだって分かってると思うよ。だから、ね?」
よし! 決まった!
なんか色々説教した挙句、された方が”どうすればいいんですか!?”と泣きついてきた時の必殺技『それを考えるのはお前だ』攻撃。これにひっかかる人、結構いるんだよね……。私も若い頃、そうやって飼い慣らされたものよ……。あんにゃろ、そういや春の人事で部長になったな。中身無いんだけどな、あいつ。
とか思ってたのに、あ、今釣れました。男児一人と黒猫一匹。入れ食いです。
お互いの目を見ながら、じわじわ接近しています。
「ばほ……」
「僕が……今のは僕が悪い。だから、ごめんね。これからも手伝って、欲しい。いい?」
「ばほ!」
美男児悪魔と黒猫が、目の前でガシィっと抱き合ってますよ。
チョロいな、こいつら。そんなんじゃ世の中渡っていけないよ?
でもなんかいい事した気分で腕組みしてたら、美男児悪魔が言ってきた。
「お姉さん、ありがとう」
私にお礼言う視界に写る全てがずるい。世界はホント不公平だ。
猫を抱き上げながら軽く首を傾けて、目尻の涙がキラッとしてる美男児。これは可愛い。自分の子なら
絶対芸能事務所行く。絶対契約間違いなし。そんで左うちわで……って、クズだな、私。
「喧嘩が収まって良かったわ。それじゃ、お姉さん帰るわね?」
ふふっ、これも決まったやろ。そう言った私は踵を返して家に向かう。もう振り返らないぜ?
「え? どこに帰るの?」
「うん、どこに帰るつもりにゃ?」
「はっ!?」
あ、思わず振り返ってた。美男児悪魔と黒猫が真っすぐ私を見ていた。
意味が分からない。家に帰るんだよ、そりゃそうでしょ? そこ以外どこに帰れと?
混乱して何も言えない私に、美男児悪魔が言った。
「お姉さん、もしかして気付いてないの?」
トコトコと歩み寄ると、私の手をとってニコリと微笑んだ。私の手を包む小さな手は温かくも冷たくも無かった。
私を見つめる緑がかった黒い瞳は深く深く底の無い穴の様に見える。
膝に力が入らなくなって、ガクガクと震えながら座り込む。
目線が合うようになると、私の右手をそっと包む美男児悪魔が急に怖くなった。
「そこまでにしてやって欲しい。その人間はいつも我らの邪魔をせず、たまに美味い物を持ってきては我らを慈しむだけの人間だ。ましてや契約もしてないだろう? あまりいじめないでやって欲しい。それはいつも我らを見ていてくれてな、そら、そこの子猫など初めて好きになった人間なのだ。無下にせんでくれ」
この辺りのボスの三毛猫が流暢に喋りながら、美男児悪魔にそう言った。
それを聞いた美男児悪魔はほっぺをぷーっと膨らませながら言い返した。
「もちろんだよ! このお姉さんには助言も貰ったし、契約もしてないし、貰う訳ないじゃん」
何をだよ!って突っ込みたかったけどやめた。悪魔が貰うものなんか、魂しかないじゃん。
ボス猫を見ると、済まなさそうに首をすくめていた。
まるで、これくらしかできないと謝るように見えて、そんな事ないと首を振るのがやっとだった。
「あのね、お姉さん。驚かないでね? お姉さんはもう、」
雰囲気満載で語り始めた美男児悪魔の右肩に飛び乗った黒猫が、いたずらっぽい顔をして言った。
「死んでるにゃ。今の
は? 意味分かんないんですけど? 死んでる? 魂だけ? うそでしょ!?
「ほらもう! そういうとこなんだってば!」
「言い辛いかにゃって思っただけにゃ。あちしは善意でー」
「ほんとそういうとこだからね!」
え? うそ? 死んでる? 誰が? 私が? ちょっと! 生しらす丼は!? あのクズ共は!? 鎌倉は? 掻き集めた証拠は!?
真っ黒な気持ちがグングン大きく膨れ上がってきた。
空を見上げると、月も星も無い曇り空だった。
私の気持ちとおんなじ、どこまでも真っ黒な空が視界を覆った。心の奥からいくらでも湧き出すこの気持ちを、空を同じようにしてもいいんじゃないかって思っていたら、いーい音が響き渡った。
バチーン!
両頬の痛みに驚いて視線を下げると、美男児悪魔が私の頬を両手で挟み込むように叩いていた。
ぺち! ぱち! ぺちん!
何度も叩かなくても君を見てるでしょうに!
「あ、お姉さん、ちょっと落ち着いたね。良かった。僕びっくりしちゃって」
頬を両側からぎゅーっと挟まれながら、私は真っすぐばほの目を見ていた。
「あにょ、ばひょ……くん? ひゃん? しょろしょろをはにゃしてくれりゅとうれひいんだけど……」
なんかみっともないなって思いながら、ばほの顔を見てたらぼろぼろ涙が出てきた。
その涙を、黒猫が慰めるように舐めていた。
「ごめんなさい。あちしも前は一緒だったんにゃけど、最近どんどんあやふやににゃってきて……。ごめんね、同じ元人間なのに……」
黒猫が頬を伝う涙を舐め上げる。痛いよ。猫の舌ってやすりみたいだから、そんな風にしたら痛いよ。痛いんだけど、必死に謝っている気持ちが伝わってきた。ざりざりと私の涙を飲み込んでくれていた。
「あのね、お姉さん。お姉さんの体は、会社にあるんだ。気持ちだけ、魂だけがお家に帰ろうとしてる。管轄が違うから、ホントは絶対手も口も出しちゃダメなんだけど、ミーちゃんが無下に扱うなって言うからね。ここからは、みぃんな内緒ね!」
口元に右の人差し指を当てながら、ここにいる猫をぐるっと見回すと、ばほは私を見据えてこう言った。
「一度目を瞑って、もう大丈夫って思えたら、真っすぐ上を向いてから目を開いてね。その時、光が見えたらそっちに帰るの。お家はもちろん、体に帰っちゃダメだよ。苦しくなっちゃうから」
黒猫がばほをひっかくように飛びついて怒ってる。かなり際どい事を言ったようだ。
でも私は、ばほに言われた通り目を閉じた。ぎゃあぎゃあと騒がしい。
「いいの! これっきりだから。ミーちゃにも頼まれたし! ねぇ、友達なんだからちょっとだけ手助けしてよ!」
スンと静かになると、ばほが黒猫にお礼を言っていた。
その頃目を瞑った私は、自分を色んな角度で眺めていた。ふっと、どの角度から見ても全部私だなって思った瞬間、顎を上げて空に顔を向ける。
ゆっくり目を開くと、黒布にポツッと開いた針孔のような、小さな光が見えた。
「いい!? お姉さん! どんなに小さくても光が見えたらそっちに真っすぐ行くんだからね! 迷っちゃだめだからね! 大きくならくても、消えそうでも、光だけを見て、光だけに進むんだよ! よそ見はダメだからね!」
分かったよ、ばほ。ありがとう、ばほ。
私は真っすぐ小さな光に近づいて行った。
ところで、ミーちゃんって誰?
「バフォメットよ……感謝する。しかしな、流石にミーちゃんは辛いんだが。もちっとなんとかならんかな?」
「え? だって初めてあった時、正にミーちゃんだったから」
「子猫だったろう? その頃……」
「でもミーちゃんはミーちゃんだし……。ねぇ、どう思う?」
「あちしに、にゃんと言えってえの?」
小さいけど力強い光を放つ星が、児童公園を照らしていた。
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