勇ましいちびの黒い仔山羊

 お日様が世界を明るく照らし出すと、僕は、んーって背伸びしてから鏡を見る。お話するお姉さんに馬鹿にされないように、身だしなみは大事だからきっちりチェックする。お口に指を差し込んで、いーって歯を見ると、うん、白くて綺麗。髪型を調えて服装も見直す。大丈夫。問題ない。

 ここまではみんな一緒なのに、お兄さん達はいい匂いする。不思議に思った僕達が聞いても「まだ早いよ」って笑って、教えてくれない。べれとにふるふる、べれもがいつも食い下がるけど、お兄さん達はニヤニヤするだけで何も教えてくれない。べれと達って、御柱だから押せばいけるみたいに思ってるみたいで、ちょっとイヤ。

 僕は何も言わないで、静かに出発する。

 今日もいつも通り街中を歩く。街を歩きながら、ふらふらしてたりぐらぐらしてる人はいないかなって、パトロールする。

 お日様さんさん明るい街中を、堂々と歩いていても滅多に僕に気付く人はいない。

 それでも人間の赤ちゃんや小さな子供は、時たま僕を見てびっくりしてる事がある。あのお姫様に会ってから、何度も見られてきたから結構慣れてる。そういう時はお兄ちゃんらしく、にこっと笑いながら手を振るんだ。

 それでも小さな子は泣く事があるんだけどね。

 あと、犬とか猫も僕を見る。

 猫はいいんだ。僕を凝視してると思ってたら、全然興味無いって感じであくびして寝ちゃうから。でも犬は嫌い。だいたい僕を見ると『ご主人を守るんだ!』って感じで、ワンワンうるさく吠えるから嫌い。そういう時は、犬って馬鹿だなって思う。だってご主人は僕が見えてないのに、それを知らずにワンワン吠えちゃって、ご主人に五月蠅い!って怒られてるんだもん。そう思ってもおかしくないよね?




 今日は東京でも、かなり人の集まる街に来た。


 りょうにゃくだんにょ……ろうにゃくなんじょ……


 んん!


 ……老若男女がたくさん歩く広い道を北西に向かってとことこ歩くと、色んな人がいて楽しい。ほとんどの人はお仕事で走り回ってて周りが見えてない。同じくらいたくさんの人が、工夫を凝らして着飾っていたり、ちょっとお姉さんくらいの女の子達が、お揃いの服を着こんで街を歩いてる。そのほとんどの人が、心の奥にむずむずと、小っちゃいふらふらやぐらぐらの種を持ってるのが見える。

 みんな、綺麗なお洋服やきらきらした時計とか宝石を飾ってるお店、高くそびえ立つビルが並ぶ街並みを見上げて興奮したり、店先に置かれた大きなパンダとか茶色のクマさんのあるお店にどんどん吸い込まれてく。歩道に挟まれたところは、いつ来ても車やバイクで一杯で、すっごくうるさい。

 僕には何が楽しいのか全然わかんないんだけど、みんなニコニコ笑顔でこの街に来て、楽しそうにお店に入ってくから、きっとすっごく楽しいんだと思う。

 楽しそうな人を見ると、僕も楽しくなってくる。

 それなのに後ろから、すっごくいやーな声がしてきた。


「ばほ、か。ねえキミ、何してるの?」


「ホントだ、ばほだ。こんなとこ来て、ちゃんとできる?」


 ふわーっと音も立てずに、ゼパルのぜぱとセーレのせれが来た。僕、どっちも嫌い。どっちも僕よりちょっとお兄ちゃんだからって、ぜぱってお兄ちゃんぽい喋り方で僕が何もできないみたいに言うし、せれは僕がどうして出来なかったのか、どうして出来ないのか不思議って顔するから嫌い。

 むーっとした気持ち分、ほっぺが膨らむ。膨らませた息を一度に吐き出すように大声出した。


「ちゃんとお仕事しているよ! ねぇ、せれ! ぜぱ! 僕ちゃんとしてるし、できるから! ひとりでできるもん!」


 ふーふー肩で息しながら言うと、二人ともびっくりした顔した。

 二人は顔を見合わせて、なんか笑うような顔した。そこもちょっと嫌って思ってぜぱを睨んだら、ぜぱは頭を掻きながら、僕の頭を撫でて言った。


「ごめんね、ばほ。そうだよね、ちゃんとしてるね。僕達が悪かった。許してくれるかい?」


 僕の頭を撫でながら、ぜぱが謝ってる。優しく撫でてくれるのにびっくりしたし、謝ったのにはもっとびっくりした。ええ?って驚いてたら、せれが諭すように話し出した。


「ねえ、ばほ。この道を進むと橋があるんだ。人がいっぱいいるからそっちに行きたくなるかも知れないけど、橋の先は強い結界があるから、ばほにはまだ、無理だ。だから、橋の手前で北に行きなさい。少し北に行くと、ばほがびっくりするくらい人間の集まる道がある。そこを南東に戻るように進んでみなさい。うまくいけば、契約者とお話できるかもしれない」


 せれの、思わぬ助言にもっとびっくりした。あんまりびっくりしたから、僕はせれ達の顔をきょとんと見ていたと思う。そしたら二人とも、笑うの我慢する顔をしながら「がんばれ」って言ってきた。


「ありがとう! せれ! それにぜぱ! 橋の手前から北に行ってみるね!」


 ちゃんとお礼言ったのに、ぜぱはお腹を押さえて苦しそうにするし、せれはそんなぜぱを生暖かい目で見てた。

 僕にはよくわかんなくてせれの顔を見ていたら、僕と目を合わせたせれはいやーな顔をして、いきなりぜぱのお尻を蹴り上げてた。

 蹴られたぜぱはぴょんぴょん跳ねまわってから、せれにすっごい怒ってた。でも、せれが何かぼそぼそ言ったら僕を見て、恥ずかしそうに「がんばれな。裏原とか狙い目だぞ」って言ったら、またせれがぜぱのお尻蹴った。

 ぜんぜん分かんない。この二人すっごい仲良しなのに、なんで喧嘩ばっかりするんだろう。もう早く二人と離れたいって思ってたら、せれがぜぱの首を締めあげながら、ニコっと僕に微笑みかけて言った。


「ばほ、もう行って大丈夫だよ。ちゃんと見逃さないように、しっかりね」


 さすがに喧嘩してるのを放っておけないって思ったのに、せれはにこにこしながら「行きなさい」って、怖い声で言うから歩き出した。ぜぱ、頑張って!

 トコトコ歩いてくと、大きな交差点でみんな止まってる。お姉さんまであとちょっとって女の子たちが、あっちこっち指差しながら楽しそうにお話してる。どの子も種も無くて、ちょっと詰まんない。

 きゃあきゃあ言いながら信号を渡るのに着いて行くように橋の手前に着いた。

 橋の向こうに結界が見えた。眩しい光が七色に光るカーテンみたいに、僕達を拒絶していた。なのに人間は、楽しそうに歩いて行き来してる。橋のたもとにも近づいてないのに、全身をちりちりと焼くような力を感じる。せれの言った通り、僕は橋にも近づけない。なのに人間は、みんな楽しそうに橋を行き来する。ずるいな。

 綺麗な橋の向こうに行けない自分と、楽しそうに行き来する人間にイラっとする。

 むーっとした時、せれが「ばほにはまだ、無理だ」って言ってたの思い出した。まだ無理って事は、その内無理じゃなくなるって事だと気付いたら、橋の向こうの光のカーテンが、とても綺麗に見えてきた。

 光のカーテンのその向こう、瑞々しい翠の木々が生い茂るところにいつか行く為に、今できる事をしよう。ここで進路を右に、せれが行った北に行くのは逃げてない。逃げてないって自分に言い聞かせて、僕は緩やかな下り坂を進む。左手に緑の電車が行き来するのを聞きながら、せれの言った「僕が驚くほど人でいっぱいの道」を探しながら進む。僕だって出来るんだって自信満々だ。




「せれー……。 ここすごーい。道路見えないー。みんなギラギラしてて種いっぱいあって、どこ見ていいのかわかんないよー」


 独り言、聞こえないから、独り言。

 ちょっとお兄ちゃんになった気がした!

 それにしてもすごい。この狭い道すごい。人で一杯だし、どの人も種持ってる。

 ただ、どの種もあんまり育ってない。ここにいる人達みんな、僕達を必要とするほど種が育ってない。せれに騙された?って思いながら、みっしりと人で詰まった道に歩き出す。

 気付かれないだけで僕は存在してるから、人込みはかなり苦手。だって僕を認識してないから、みんな平気で蹴ってくる。痛いって声上げても、聞こえてないから結構辛い。ほんと、僕達ちゃんといるから見てよね!って大声出したくなるくらい、ぶにぶに見境なく蹴ってくる。ちゃんと痛いのに。

 右に左に流されながら、クレープ屋さんとか洋服屋さんを見ながら流される。うん、ちょっと前から足が地面に着いてない。悲しいけど、歩いてる人の脚に挟まれながら、もにもにと流されてる。これってほんと嫌。

 タピオカのお店が数件出てきた辺りから、僕を運ぶ流れが変わった。お店に並ぶから流れを逃れる人が居て、反対方向から来た人が強い流れに負けないようにぐいぐい押してきて、両方の流れにくるくると回っていた僕がぺいっと投げ出されたのは、細い裏路地だった。


 お姉さんが一人、嗚咽を抑え込みながら涙を流していた。

 とても静かだった。

 路地に置かれた冷たく小さな椅子に座るお姉さんの、抑え込んだ泣き声がはっきり聞こえるほど、静かだった。泣き声をぐっと抑えているお姉さんの種は芽を出していて、ふらふらしてるのが良く分かる。

 歩み寄る僕に気付いたのか、お姉さんが顔を上げると、泣き腫らしたとしても過剰に腫れあがった顔の青痣が目に飛び込んでくる。赤黒く腫れた頬は、お世辞にも綺麗と言えない。

 でも、僕を見るその視線は期待に膨れ上がっていた。

 僕を見るその目を知っている。まるで神様や天使を見て救いを求めるような眼差しだった。

 僕はふーっと息を吐いてから、目の前にお姉さんに声を掛けた。


「ねぇ、お姉さん。僕とお話しましょう?」

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