黒い仔山羊と蝸牛と私

 部活終わりで一人の帰り道。

 梅雨明けが近づいて湿気がひどいのに、みんなガンチャに行くとか元気だな。私だって好きだよ? 大好きだよ? あそこのブラックミルクティーまじうまい。いくらでも飲める。なんならバケツでもいいくらい好き。

 でもねー、バイトの給料日がねー、まだなんだよねー。

 アレって結構高いと思うのに、みんなよく続くなって思いながら歩いていると、ぽつぽつ雨粒が当たってきた。

 どよっと重い曇り空に向けて折り畳みを開くと、大きめの白い水玉が散らされた明るい水色の傘が咲いたみたいでかなり綺麗で気に入ってる。

 傘で弾ける雨音になんとなくリズムを感じながら、足を進める。

 この先に季節の草花が植えられた遊歩道がある。今の時期なら紫陽花がメインだ。

 さらに今の天気なら、散歩してる親子連れとかお達者さん達もいないだろう。

 つまり紫陽花独り占めだ! 天露に濡れた花も葉も、この時期ならではで大好きだ。

 油断すると鼻歌が出そうな気分で歩いていくと、もさっと繁る紫陽花の前に小さな子供がしゃがみ込んでる。サイズ的に幼稚園生くらいかな?


 ちょっと珍しい深い緑色のレインポンチョをしっかり着込んで、何かじーっと見ているみたい。

 でもこんな雨降りの日に?と思って周りを見ても、その子の親っぽい人はいない。てゆーか、人がいない。

 しだいに強まる雨脚もあって、流石に放置はもどうかと声を掛けた。


「ボク? どうしたの? おかあさんは?」


 ……無視かよ! こっちは決死の覚悟でオクターブ上げて声掛けたのに、無視かよ!

 いや待て私。前にママとおばさんが話してたっけ、おばさんちのゆーちゃんが全然いう事聞かなくて、遊んでるとガン無視するって。ママは小さい子の集中力ってすごいって、私にもそういう時あったって言いながらケラケラ笑ってた。

 つまり、ちっちゃい子あるあるってやつだろう。

 確かにこの子、結構雨当たってるのに身動きもしないでしゃがみ込んでる。

 つまりこれは、ただの無視じゃなくて集中してるからの無視か。あれ? 無視は無視じゃね?

 仕方ない。私はその子の隣に傘へ入れるようにしゃがみながら、改めて声を掛けた。


「ねぇ、何、見てるの?」


 やっと気付いてくれたのか、レインポンチョがぶるっと震えると、深い緑色の表面を雫が幾筋も滑り落ちた。おっ綺麗って思ってそれ眺めてたら、その子の視線を感じて顔を上げた。

 くりくりした大きな瞳は不思議な黒色で、フードから飛び出してる髪は雨に濡れてウェーブかかってる。白い肌のほっぺだけ薄っすらピンク色で、ぷにぷに柔らかそうで突っつきたい。

 おぉう、すげー。美少年? 美幼児? 美男児?

 この子キッズモデルかなにか? 意識して見た事無いけどそういう系な気がする。

 やってなければ勿体なくない? めっちゃ可愛いんですけど!


「かたつむい。……かたつむり、見てたの」


 おっと軽くトリップしてた。いかんいかん。

 ちっちゃな指でさす先に、かたつむりがいた。紫陽花の葉の上を、のそのそ動くかたつむり。

 あー、うん。小っちゃい子って好きだよねー。なんででしょうね、不思議よね。


「ホントだー。かたつむり、いるねぇ」


 ごめん、私は苦手だ。美容パックになってれば材料としてはアリだけど、生は無理。うにうにぬらぬらが生理的に無理。多分今も、結構ひきつった声出してたと思う。


「かっこいいよねー、かたつむい」


 わからん。わからんて。かたつむりのカッコよさって何? どこ基準?

 でもこっちを見て、にへらって微笑むその子の顔はホント凄い。瞳とかキラッキラしてて、破壊力パない。なのに、言うだけ言ったら、すぐにかたつむりに視線を戻す。

 つられて私も紫陽花を見る。よく見ると大きなかたつむりの後ろに、小さなかたつむりがいた。

 クリーム色の殻を背負った小さなかたつむりが、細くて短いツノをふらふら振りながら、大きなかたつむりを追うように動いてた。

 こっちなら分かる。いやカッコよさじゃなくて、可愛らしさね。ぴこぴこ動くとこもクリーム色の殻も意外に綺麗だ。大きい方は、なんか縞模様がグロい。

 視線を移すと、真剣な顔をしてじーっとかたつむりを見てる。確かにすごい集中力だ。何がそんなに惹きつけるのか分からないけど、その瞳には吸い込まれそうだった。

 ん? なに? 今の感じ?

 慌てて視線を戻す。大小2匹のかたつむりは、雨を浴びながら元気よくはい回っていた。

 その様子を見て、もしかして親子とか?と思った時に気付いた。のんびり並んでかたつむり鑑賞する為にしゃがんだんじゃない。この雨空に小さな子が一人でいるから声掛けしたんだった。


「ねぇ、ボク。おかあさんはどこかな?」


「ん? いないよ?」


「え? じゃあどうやってここに来たの?」


「ひとりで来たよ?」


「はぁ!?」


 ちょっと! この子のお母さん! 駄目ですよ! 世の中悪い人もいっぱいいるんだよ! どうすんのよ、こんな可愛い子、攫われちゃうよ!?

 思わず立ち上がった私は、一心不乱にかたつむりを見続けるその子を見て、これはかなりヤバいと思った。

 どうする? 警察? 交番! 連れてく? でもホントは親と来てたら、私が誘拐犯になる? どうなんだろ? 事件になる? 事件は嫌だけどこの子放置はできないし……。ねぇ、一体どうしたらいいの!?

 色んな事が頭の中でぐるぐる回る。うーうーうー……


「よし! おねえちゃん、お巡りさん呼んでくるから! いい? 絶対動かないでね! 待っててよ!」


 そう言い残すと私は、ダッシュで交番へ走った。話をして連れてきて、まだあの子がここにいれば、あとは警察に任せればいい。だから猛ダッシュだ! 傘は置いていく! どうせ走るから使えないし、目印にちょうどいい。

 ちゃんと待っててね! すぐ戻るから!

「あれ? あのお姉さん、僕が見えてた? お話してたよねぇ……。 ……ああ! やっちゃった!」


「あぅぅ……お姉さん、いない……。 うぅ、うぅー…… ぐすっ」

 飛び込んだ交番で私の話を聞いた警官は、とにかくそこに連れて行ってくれとすぐ動いてくれた。もちろん戻りもダッシュだ。

 大急ぎで戻ったけど、あの子はどこにも居なかった。

 警官は疑うように見てくるけど、私が置いていった水色の傘が残っていいて、あの子の着ていた服や容姿を話したら「いたずらとは思ってないから大丈夫」と、なんか慰めるように言ってくるのがムカついた。必死になって説明するほど、どんどん伝わらなくなるみたいだったから、途中で止めた。


「とにかく、おじさんは交番に戻ったらそういう報告が有ったと連絡回すから、君はもう心配しないで帰りなさい」


 軽く睨んでいたかもしれない。警官は肩をすくめて私を見下ろしてから、交番に戻って行った。

 さっきまであの子が見ていた紫陽花に覆いかぶさっていた傘を持ち上げると、小さなかたつむりは居なくなってた。


 家に帰ってママに話すと、「嫌だわ、危ないのにねぇ。あなたもよく頑張ったわね」と言いながら、タオルと温かいミルクティーを出してくれた。

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