黒い仔山羊は送り狼の夢をみるか

「はぁーーーーい!二次会行く人は、挙手でぇーーーー!」


 エンジンかかった感のある部長(38歳/二児の父)が、いつも通りの声を上げる。

 この人、午前中に仕事向けでエンジンかかってると、凄いなって思う。

 だいたいいつも午前中エンスト二日酔いしてるのに、部長なのはもっと凄いなって思う。


「ぶちょー、あたしはちゃんと行きますよー!」

「わたしもー!」


 元気よく手を上げてる同僚もいつも通りだ。本人達はちょっと酔っちゃった感出してるつもりかも知れないけど、みんな見慣れてるし、うちらはみんな知ってる。

 この二人、一本づつジンを開けても平然としてるうわばみだって。

 いや、ちょっと前の女子会で、ガチでゴンゴン飲む二人は、ある意味伝説を築いたよ。もう女子会なんてしないって、経理のパイセン素で言ったくらいよ。


「ぶちょー! 聞いてますぅー?」

「ちょっと新人! こっからが社会人勉強でしょ? ちゃんと勉強しなさい? ね?」


 うーん……同性だから言えるのか? 昭和の親父感パない。

 いつもこんな感じで全方位にアピールしてるのに、収束する気配が無い事に疑問を持たないの?って突っ込みたくなるのを抑えて、私はルーティーンを始める。

 すでに課内の先輩は、露骨に腕時計を見てソワソワするアップを始めてる。


「君たち、どうする?」


 いや、一応聞いてる感くらい消そうよ。でも聞いてくれてありがとう。ルーティーン捗る。


「ごめんなさい。今日はここで失礼します」


 私がしおらしく言うと、部長はそれが聞きたかったと言いたそうに、次々と帰りたいオーラをブリブリ出してる部下に声をかけてまわる。

 この後は「じゃ、お疲れー!」のパターンだなと思っていると、案の定、部長が一部散会を宣言した。


「じゃ、お疲れー! また明日ー!」


 帰って良い宣言を聞いた帰りたいチームの面々は、ダッシュで家路に向かう電車に飛び乗った。

 私はドア側に立つ事が出来て一息吐けた。窓に映る車内の光景の向こうに、暗闇に灯る街の明かりがキラキラしている。

 そうなんだよ。まだ明日も明後日もあるんだよ。

 なのに、この時間ですよ。もう明日まで2時間切ってるし……。

 そりゃ新卒の子が会社の飲み会は業務時間中にして欲しいって言うわ。

 私は言えないけど……。



 最寄り駅で降りて自動改札を通る。駅前のお店はどこも寝付いていて、まだ起きていると明かりを灯しているバーの入るビルから、音漏れしたカラオケや盛り上がる男女の嬌声が聞こえる。何度聞いても、何かを吹っ切ろうとしているようで、ちっとも楽しそうに聞こえない。

 街が微睡む夜道を進みながら思いついたのは、不動産屋さんがいう最寄り駅から徒歩フン分って、実際に歩いて確認しないとダメだなという事だった。


 私の経験的にはプラス5分はみておいた方が良いとお伝えしたいと思います。


 特に耳に障るような音を立てずに家路を急いでいると、硬い靴底から響く高めの音が後ろから聞こえるのに気付いた。

 私の歩くテンポに合わせるように響く音に、気分が悪くなった。

 試すようにすたすたと歩くと、同じテンポでコツコツコツと音が聞こえる。私が歩くと響き、停まると止まる。


 ヤバい。これヤバいんじゃない? この先は街灯が減るとの比例して、チカン注意の立て看板が増えるエリアだ。

 どうする? 私。迂回しても人も明かりも増えない。だってもう、明日まで1時間切ってる! 結構深い時間だ! 最短距離を通って一気にドアを抜け、最悪通報しよう! そうしよう! と意を決して踏み出そうとした瞬間、後ろから声が聞こえた。


「あの、お姉さん。聞こえてますか? お姉さん」


 おぉぅ。なんだこの鈴の音のように軽やかに転がるような声は。アルコールが視床下部をピンポイント爆撃してるの? やっべぇ、ビンビン来っぞ。

 思わず立ち止まった私に追い打ちが来た。


「良かったぁ……聞こえてたんだね。ねぇ、お姉さん、僕のお話聞いてくれる?」


 安心したというか安堵したようなホッとした声で、なかなかハードルの高いトークをぶっこんできた。

 やべえ。今そういう属性に目覚めかけた。

 それでも自分を信じながら振り返ると、そこには4、5歳くらいの可愛い男の子が立っていた。


「ボク、どうしたの? こんなに遅い時間なのに、どこから来たのかなぁ?」


 しゃがみ込みながら努めて冷静に、電話を取る時のような作った声で問い掛けると、そこには天使だった。

 電柱に付いた街灯の明かりに照らし出されたその姿は、軽やかにうねるつやつやした黒髪に、緑がかった綺麗な黒い瞳、それらと相まって輝くような白い肌。体にまとうのは調和のとれた黒いビロードの燕尾服。特に目を引くのは、波打つような黒髪を押さえ込むような太くて大きな二つのバネッタ。

 本当にありがとうございます。天使はここにいます。


 ……ん?


 おいこれ、あかんヤツや。


 これはいかん。絶対事案コースだ。

 『未就学男児が深夜、女性に声を掛けられる事案が発生しました』って言われるやつ。

 やばいやばいやばいやばいやばいやばい。

 このままだとネットニュースに載る。善意で声掛けたら電柱の陰から「ちょっと! うちの子に何してるの!? おばさんのくせに!」とか言う母親が満を持して出てくる気がする。それで騒ぎになったら、仕事も友達も何もかも無くなる。


「お姉さん? ねえ、お姉さん。聞こえてる? ねぇ? ねぇってば!」


 どうする? どうすればいい? 二次会行っとけば良かったの? でも誰がタクシー代出してくれるの? そもそも二次会行ってたら、この子に会わずに済んだの?


「あの……おねえ、さん?」


 くっそおおおおお! もじもじする燕尾服男児可愛いすぎる!

 よし、全部無かった事にしよう。

 そう決めた私は、目の前のきゃわ過ぎ男児はもう見えない事にして、すっと立ち上がった。なんなら催眠術にかかってますと全身で主張するタレントみたいな感じだ。


「あれ? 私……何を……」


 っかぁーーー! こっぱずかしいーーーーー!

 でも仕方ない。これは通過儀礼。

 視界の端でぴょこぴょこ跳ねて自己主張する、くっそ可愛い男児は見えてない前提だ。


「お姉さん! ねえ! 見えてるんでしょ! ねえ、お姉さん、ねえったらぁ!」


 何も見えないし聞こえない。そう決めて家路を急ぐ。

 すたすたと歩みを進めると、後ろでコツコツコツとついてくる足跡がする。

 ここで振り返ったら負けだと、努めて歩みを強める。

 すたすたすたすたすた。コツコツコツコツコツコツ。

 すたすたすたすたすたすたすた。コツコツコツコツコツコツコツコツ、ボテッ!


 え? ボテ? 何? 転んだ? まさか転んだ?

 駄目だ。絶対振り向いたらダメ。ここで振り向いたら事案だ。心を鬼にして振り向いたら負けだと思っていると、後ろから痛みを我慢する声が聞こえた。


「んうぅぅぅ……いちゃ、痛い。んん! 痛くない! んっく……もう、いい!」


 誰でもいいから側にいたら、くっ頃の使うタイミングって今?って聞きたかった。

 はぁ、もういいや。

 事案ばっちこい。こんな時間にあんなコスプレさせられた小さな子を構って事案になるなら、むしろ全力で踏み入ってやる! 

 全身に力入れて息を吸い込んだ。思った以上に、色々すっきりした気分で考えていた。

 最初は「どうしたの?」がいいのか、「大丈夫!?」がいいのか、そんな事考えながら意を決して振り返ると、そこには誰もいなかった。

 慌てて周囲を見回しても、何も見つけられなかった。通ってきた道を駆け足で戻っても、あの子はどこにもいなかった。


 諦めてとぼとぼと歩きながら最後の曲がり角に差し掛かると、ピンク色に染まる満月が目に入った。

 それを見た私は大きく息を吐くと、昨日まで思ってもいなかった衝動を口にしていた。


「ちゃんと導入しっかりさせろな! そこを雑にして後でちゃんとしてても、雑いとこで大半ついてこねぇんだぞ!」


 ピンク色の満月は何も返して来なかった。

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