2021/5/29 「異種家族」

 俺はその日大学の夏休みを利用してフィールドワークを行っていた。村落での文化の研究というよくあるものだった。村の人たちは若者が来てくれたと、とても優しく迎えてくれた。村に一つしかない小さな民宿に寝泊まりして日中は畑のお手伝いや村人の家にお邪魔してお話しながら親交を深めて、その地に伝わる逸話とか昔話とか伝統を聞いていた。

 1週間ほど経って村人たちとも親しくなり、大体の人と顔見知り以上になれた頃、村で事件が起こった。林道の茂みで人の死体が見つかったのだ。昼頃に目が覚めると村中がざわついていたので何事かと思ったが状況は予想以上だった。死体は身元がわからないほど顔面が抉れ、ところどころ骨が見えていたらしい。後に行方不明情報と所持品から身元は判明したが、現場の状況から熊に襲われたのだろうということになった。民宿の女将さんにもあなたも気をつけてねと言われた。林道に入る予定はないのでそれほど心配はないだろうが、人の味を覚えた熊は人里に降りてくるというから注意をしておいて損はないだろう。

 村の外れに比較的新しい家があった。他の平屋の民家とは違い、今風なその家には村人もほとんど顔をを見たことない女性が住んでいるらしかった。正直なところその人には会わなくても十分にフィールドワークは成立するし、ここで生まれたわけではない人にはあまり用がなかったのだが、無性に気になってしまった。

 宿の女将さんに今日は遅くなるかもしれないので夕飯はこっちでどうにかすることを伝え、宿を出た。ハウスメーカーが作った様な白を基調としたモダニズム二階建ての家には表札がついていなかった。聞いた話だと白柁しろかじという名字らしい。インターホンはついていたので訪ねてみた。すると意外、反応があった。

「こんにちは、今この村でフィールドワークを行っている市井という者です。少しお話伺えないでしょうか」

 なるべく当たり障りないように言ったつもりだったがどうだろうか。と思っているうちにインターホンはブツっと音がして切れてしまった。ああ、だめかと落胆して踵を返そうとしたとき、家の扉がガチャリと開いた音がした。顔を上げて玄関を見ると、半分だけ開いた扉から、陶器のように白い肌と絹のように白くやわかそうな長髪を具えた少し背の高い女性が顔を出した。あまりの美しさに呆気にとられて立ち尽くしていると、

「なにか、御用ですか」

と透き通るようで細い、それなのに身体に直接響くような弱い声が聞こえてきた。それを聞いて正気を取り戻し、ここぞとばかりに話を切り出した。

「こ、こんにちは。最近こちらの村でフィールドワークをしている市井新治いちいしんじと申します。引っ越してこられた方とお聞きしたので少しお話聞けたらなと思いまして、少しで構いませんからいかがでしょうか」

 女性は少し考えたような素振りを見せたあと、分かりましたと言って扉を開放して俺を招き入れた。

 リビングは案外綺麗だったが、あまり生活感を感じない白い家具で揃えられており、ところどころにブランケットが落ちていた。なにか、白にこだわりがあるのだろうか。白柁さんがキッチンからガラスコップに入った水を持ってきた。

「ごめんなさい、水しかなくって。お客さんなんて来たことなんてなかったもので」

「いえいえ、お気になさらず。こちらこそ急に訪ねてしまってすみません」

 今年の夏は記録更新など言われ特に暑い。だからただの水が極上のものに感じるのだった。

「それで、お話というのは……」

白柁さんがソファに座って落ち着いたところで話題を切り出した。

「あ、そうですね。私は今大学生でして、論文のための研究の一環としてこの村にてフィールドワークをしてまして、皆さんと生活しつつ言い伝えや伝統などを聞いて回っているんです。最近村の皆さんと親交を深められて、白柁さんのお話も聞きまして引っ越して来られたということでその理由などをお聞きしたいと思いまして。早速ですけど質問させていただいてもよろしいですか?」

「……どうぞ」

少しだけ疑念の表情をしたが、まあそういうことはよくあるだろう。それこそ初対面だし。俺はレコーダーとノートとペンを取り出してインタビューを始めた。

「ではまずお名前を伺ってもよろしいですか」

「白柁ふじです。白に船の柁、藤原の藤と書きます。」

「中々珍しいお名前ですね。ではどうしてこちらに引っ越してこられたのかお聞きしてもよろしいですか?」

 そこから様々なことを聞いていくとそのうち外はもう暗くなっていた。すでに録音などを止め世間話へと突入していた。仲良くなることが特技の一つだった俺にかかれば1人相手なら世間話まで持っていくことは屁でもなかった。それにしても美しい人だ。アルビノなのだろうか。髪は白い。肌も白いがアルビノという白さではない。まつげや眉毛は白くないし、瞳は赤みを帯びている。ついつい見とれてしまう。少し眺めに見とれていたとき、白柁さんもついに目線に気づいたらしい。

「どうかされましたか?」

「いえ、とても綺麗だなと思いまして。……い、いやいきなりすみません」

 白柁さんはポッと効果音が出ていそうな調子で頬を赤らめ顔を手で隠している。美人がすると本当に胸を射抜かれそうになるのだな。

「すみません、お手洗いをお借りしてもよろしいですか」

 すでにお邪魔して数時間、ずっと話しっぱなしだったのでそろそろ尿意がやってきていたのだ。

「ええ、廊下出て右にありますので」

「どうも」

 トイレもキレイなものだった。まるで一度も使っていないかのように。過度の潔癖症なのだろうか。でも普通に俺を招き入れてるし。用を済ませ廊下を歩いていると2階から誰かが降りてきた。

「だれ?」

 降りてきたのは白柁さんをそのまま子供にしたような白い肌に白い髪、それから白い服を着た女の子だった。予想外の出来事に少し固まってしまい、警戒されてしまった。できるだけ早く警戒を解かなければいけない。

「こ、こんにちは。お邪魔してます。市井です」

「いちい?したのおなまえは?」

「下は新治です。市井新治と言います」

「しんじ……」

そんな会話をしているうちに藤さんが廊下に出てきた。

「ああ、いちご起きてきたのね」

どうやら苺という名前らしい。

「娘さんがいらっしゃったんですね。存じ上げなかったので驚きました」

聞いた話では娘さんのことなんて全く出てこなかった。もしかしたら村人にも知られていないのかもしれない。

「……ええ。苺、ご挨拶して」

とてとてと藤さんの足元に寄っていきそれからこちらを向いて、

「しろかじいちごです。6さいです」

「苺ちゃん、よろしくね」

 この年齢だとやはり人見知りするものだろうか。藤さんの後ろから顔だけ覗かせてこちらを観察している。

 この日はなんとなく気まずくなってしまったのでもう帰ることにした。帰り際にまた訪ねてもいいか聞くと、ぜひとのことだったのでまた今度来ることにした。

 それからは二、三日に一度ほどの頻度行くようになっていた。そしていつの間にか白柁さん宅で泊まることも増えていった。その頃から俺は大学よりも白柁家のことを考えることが増えた。もうすぐ夏休みが終わるという頃になるともう大学のことなんて考えていなかった。藤さんとは恋人のような関係になり、苺ちゃんとは親子のようになっていた。

 しかしある日の夕方、俺は目を疑う光景を目の当たりにした。それは村の農家の田中さんの惨殺死体だった。しかも横にはぺたんと苺ちゃんが座っていたのだ。こちらに気づいた苺ちゃんは振り向いたのだが、その姿はいつもの様ではなかった。口の左側が腰まで裂けていて、中から歯のような、骨のようなものが覗かせていた。それはうねっていたが、俺を認識すると”口”が閉じ、継ぎ目もない綺麗な肌になった。そしてビビって身動きが取れない俺に駆け寄って来て抱きついて泣き始めたのだ。このとき俺は気づいてしまった。田中さんの死体とフィールドワークを始めた頃の事件の死体の状態と似ているのだ。聞いていたように顔面が抉れ、骨がところどころ見えていた。あれは熊なんかではなかった。この子、もしくは母親なのだ。

 苺の泣き声を聞いた藤さんが階段を登ってきた。ここは苺のための子供部屋だ。2階自体今日初めて来たし、まさかこうなってしまうとは塵ほども考えていなかった。藤さん対面して俺は引きつった顔で「これは、一体」と声を絞り出した。

「あぁ……、新治さん……」

 藤さんはそう言うと悲しそうな顔をして、”口”を開き始めた。口が裂けていくと耐えかねた服が破れ、はだけていく。露わになる綺麗な身体と真っ赤に開く赤い口はあまりに対照的で俺の正気の糸をいともたやすく引きちぎったのだった。

「ああ、美しいです藤さん。不思議なんです。恐怖しかないはずだったのに、いまや美しさしか感じられない。愛しているんです、あなたを。それから苺を。あなたのことをひと目見たときから美しい人だと思っていた。苺をみたときなんて愛らしい子なんだと思った。恐怖なんてものはもうどこかに行ってしまった。……どうか、僕を家族にしてくれないだろうか」

 そう言うと藤さんは”口”を閉じた。ちぎれた服を手繰り寄せて身体の前を隠した。

「あなたはほんとにそれでいいの?あなたは私たちにはなれない。私たちもあなたたちにはなれない。私たちのほんとうの姿はさっき見たとおり。それでもあなたは私たちを愛してくれる?」

 俺は「当たり前です」と答えた。そしてまだ泣いている苺を抱き寄せた。

「苺、今日から俺はきみのお父さんになろうと思うんだけどいいかな」

 苺は顔をうずめたまま、うなずいて俺をズボンで血を拭っていた。こうして俺たちはいびつな家族となった。

 1年ほどして俺たちは家族としてだいぶ馴染んだ。藤さんとは夫婦らしくなった。苺からは「しんじ!」と呼ばれるようになった。村人たちともうまいことやっている。あれからも数週間に一度事件が起こる。大抵の被害者が村の外の人間であるため村人はあまり気にしなかった。熊に注意の看板が増えたくらいだった。というのも、冬の間は俺が事故に見せかけたりしているのだ。自殺の名所を作り上げたり。この1年で分かったのは彼女らは別に人が主食というわけではなく、人の肉に含まれる特殊な虫が必要であるらしい。

 事件が頻発するせいでたまに記者とかが村にやってくる。村人に取材などをしているが、結局熊、事故、自殺という話に落ち着き、つまらないと帰っていく。まれに我が家にたどり着く者もいるが、家族を見ると帰っていく。見た目が辺でも家庭、特に子供を見ると帰っていく。最低限の倫理観はあるらしい。しかしその日の記者はあまりにしつこかった。

「ごめんください。どなたかいらっしゃいますかー」

 インターホン越しに聞こえてくる声はいつも来るような記者より調子に乗った感じとても若い様子が伝わってくる。この手の記者には下手に戸惑うとよりめんどくさいことになる。

「記者さんですか。なにか御用ですか」

 俺は記者に飽き飽きしている風を出して渋々迎え入れる。記者を殺してはいけない。音信不通になると余計に怪しまれるのだ。こんなところだと尚更。

「お子さんとかいらっしゃるんですか」

 いつも訊かれるような質問を受けて適当にいつもどおりの返しをする。昔よりは生活感の出たリビングで。

「どうしたの新治さん」

 あまり良くないタイミングで藤さんが2階から降りてきてしまった。その珍しい白い姿を見て興味津々になった記者は俺をおいて藤さんに質問をし始めた。うっとしそうにしている。少し席を外しますねと言って俺はトイレに行った。記者にはあまり妻を煩わせないでくれとだけ言ってトイレで一人作戦会議をする。いつもより面倒だからだ。どうにか言いくるめてさっさと帰ってもらおう。そう思ってトイレを出ると、キャーと苺の叫び声が聞こえてきた。何事だと思い階段を駆け上がり苺の部屋に入ると服を剥ぎ取られブランケットにくるまった苺と、発狂しかけている記者がいた。苺曰く、人形で遊んでいたら突然記者に服を剥ぎ取られ襲われかけたらしい。とっさのことで苺は”口”を開いてしまったらしい。

「このロリコン野郎……」

 俺は溢れる感情を抑えて”口”の開いた苺をなだめるように抱きしめながら、

「食べずに我慢できて偉いな。大丈夫、大丈夫」

と声をかけた。藤さんが上がってきて状況を見て察したのか、怒りを抑えられなさそうにしている。殺すのまずいと伝え、なにかできることはないかと考える。そして思い至ったのは昔の俺のようにすることだった。

「藤さん、殺しちゃだめだけど口は開いていい。完全に正気を失わせよう。ただの精神疾患のように見える程度に心を壊すんだ。苺も怖いかもしれないけど、お口をみせてあげよう」

 そう言うと、藤さんと苺は口を大きく開けて記者ににじり寄った。記者が泡を吹いて気絶したのを見計らって、俺が森に運んだ。ただ、目を覚ましたら狂気のままここに戻ってくるだろう。

「ここを去ろう。もう潮時なんだ。日本中を転々としてみないか?きっと楽しいさ」

「そうね……苺もそれでいい?」

「おかあさんとしんじがいればいいよ」

「……そっか」

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