中編

彼らの中の所々では悲鳴が上がっていたものの、

白髪の老人が良く通るしわがれた声をあげると、誰もがその声に耳を傾け、したがった。

この街の長だ。

彼は人々を落ち着かせるようにゆっくりと、そしてはっきりとした声で的確に指示を出した。


幸いにも街のほとんどの人がこの広場に集まっていたこと。

そして、最近の魔物の活性化に伴い避難場所を設定し、そこに行くためのルートをあらかじめ全員が確認していた事が幸をそうした。


結果として、避難場所の教会に集団が到着した頃には、全ての住民が集まる事となった。


集まった住民は老人がほとんどで、戦えそうなものはいなかった。


物資の流通が活発化した現在では、もともとこの街の特産であった野菜も村から大量に流れこんで来ており、危険の伴うこの街からわざわざ買い取る必要もなくなってしまったことで、整備された街道を使う者もすっかりいなくなってしまった。

この街に住んでいた若者は、王都に行きやすくなった事と値段の下がってきた野菜に見かねて、王都に移って行ってしまったのだ。


そうでなくても、噂の「聖人」に恩義を感じている年配や冒険者達がいる。

その覚えがない若者たちが、自分達の生活を脅かす「聖人」に異様な尊敬を向ける彼らを疎み、街を離れて行くのは道理だった。



教会内では、家族や顔見知りがいた事に安堵の表情を住民達が浮かべていた。

しかし、それとは対象的に彼は苦々しい顔を変えなかった。

彼の記憶によれば、第1陣となる魔王軍の軍勢は、王都にたどり着くまでには沈静化されたものの、その道中の街には多大な被害がもたらされる程の勢力だった。

彼は何もできなかった頃の自分を思い出して苦々しい表情を浮かべながらも、現状へと思考を戻し、考えを整理し始めた。


住民が全て集まっているこの状況はある意味好都合であった。

酷な話ではあるが、魔物が入って来た場合に散開すれば、ある程度の人数が助かる可能性があると

「英雄」の彼は希望的にこの状況を捉えていた。


次に考えたのは教会に魔物がやってくる可能性だ。この教会に魔物が入ってくる確率と入って来ない確率は半々だとも「武神」の彼は考えていた。

今回の魔王の軍勢が、彼が知っている過去の魔王軍第1陣と同程度の規模であれば、彼が鍛えたこの冒険者達の規模から考えても、冒険者達が魔王軍を全滅させることも不可能ではないと思っていた。

しかし、それは不可能ではないと言うだけで、限りなく少ない可能性だと言う事も理解していた。

この街は高い壁が囲んでいるために、破壊されて大量に魔物が押し寄せてくることはないだろうが、

完全に魔物を殺すことは皿のなかのこめつぶを短い時間で正確に数えること程難しい。


だからこそ、と「聖人」の彼は思った。

冒険者達が殺しきれなかった魔物は必ず近くの村々を襲うだろう。

彼が武術を教えたといっても、この付近のような高レベルで強い魔物に対抗することはいくら何でも出来ない。

この状況を無事に回避出来れば、すぐに隣の街に救援を要求しよう。

あくまで、「無事であれば」だが。



何分経ったのだろうか。

長い時間が淡々と過ぎて行ったように思える。

相変わらず壁の外では轟音が鳴り響いているものの、教会の中には不安の表情を浮かべる者はもういなかった。

誰もが、魔物の危険から逃れたと確信していた。


その時。



ドバンッッッ!!!!



強烈な破壊音が教会中で反響した。


すぐ近くだ。


耳の鼓膜が破れそうになるほどの騒音に、

子供は泣き叫び、老人は祈り込んだ。

教会内の統率は、最早全くと言っていいほどとれていない。


彼はそんな教会内に背を向け、出口へと足を進めた。

彼は骨ばったその指を愛剣の柄にかけて深呼吸と共にゆっくり、引き抜いた。

深く被った黒いローブはいつの間にかはだけ、彼のしわが深く刻まれた顔が露になっていた。

あの「英雄」と呼ばれた頃からは想像出来ない、彼の顔が。


彼が教会から出てすぐに目にしたものは、

羽の生えた虎型の魔物だった。

体長は2メートル程。大きな牙と毒効果のある爪が特徴の、彼が現役の時代には、幾度となく瞬殺してきた魔物だ。

恐らくは壁を飛行でこえてきたのだろう。

大きな予備動作が必要のため、戦闘中に飛ぶことは無さそうだ。


彼は目の前の敵の情報を簡潔に整理した後、

真っ直ぐ、両手で愛剣を構えた。


黒く鈍く光る彼の愛剣は、彼の枝のような腕でどう持っているのかが不思議な程、端から見ても重厚な仕上がりであり、その剣を片手で振り回す姿を知る者からすれば、両手で持つその姿はずいぶん頼りないものであった。


しばらくにらみあった両者であったが、先に仕掛けたのは魔物の方だった。

大きな牙と左右の爪による、休みない攻撃。

全ての攻撃に重みがあり、今の彼では真っ正面で受けてしまえば、飛ばされてしまう程だった。

彼はすべての攻撃をいなし続けなければいけなかった。

抜群の精度でいなし続けているものの、彼のあの体では限界がそう遠くないことは目に見えていた。



なり続ける刃物特有の甲高い衝撃音に、教会内はすっかり静かになった。

誰もが教会の窓から、隙間から、彼の戦いを見続けた。

唖然として声も出ず眺める人々の中で、一人の老人が窓から体を乗り出した。

老人の目からは大量の涙が流れ落ち、しわがれた声は揺れていながらも、しっかりと芯を持っていた。

窓の縁を持つ手は血が滲む程強く握られ、引き戻そうとする家族の静止も聞かずに窓枠に居続けた。

そして、叫ぶのだ。



「もう…もう、止めてくれ!私達の事など捨て置いてくれ!もう、走って逃げ去ってしまってくれ!

戦わないでくれ!


あなたは……



ゼタ・バルセリアは……もう勇者じゃないんだ。」

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