それでも勇者は勇者であった。
蛍さん
前編
何百年前かもわからないようなずっと昔、歴代の勇者の中でも特に早く魔王を倒し、王都に平和をもたらした勇者がいた。
彼は20歳という若さでパーティーの誰を犠牲にする事もなく魔王討伐を成し遂げた、民衆に最も知られた勇者であった。
魔王城の最上階。
満面の笑みで喜び合う仲間を横目に見ながら、勇者は一人佇み、魔王の死体を睨みつけていた。
彼は徐に拳を握りしめると、魔王の死体に勢いよく振り下ろした。
………魔王の死体には傷の一つもつかなかった。
仲間たちは勇者をじっと見つめた。
言葉を発する者は誰もいなかった。
反響する衝撃音だけが、いつまでも響いていた。
ーーーーそれでも、勇者は勇者であった。
彼が魔王を倒して王都に帰った数日後、そのパレードは盛大に行われた。
王城の前には勇者と勇者パーティーを一目見ようと、たくさんの国民が所狭しと王城の前に駆けつけた。
国民達は「容姿端麗な勇者と大変麗しいと噂の姫が結婚するのでは。」と
期待を抱きながら王様のスピーチに耳を傾けた。
しかし、それらしい話が出てくることはなかった。
実際にそういう打診はあったのだ。
だが、勇者は、
「これからも魔物を殺して生きていく」、ということを理由にこれを断った。
彼には、「魔王を倒したこと」でなく、
「無事に帰って来たこと」を喜んでくれる人はいなかった。
魔王が倒れた後、魔物は「王都に集中して集まらなくなる」というだけで、いなくなる訳ではなかった。
それどころか地方では、王都に出ていた魔物が入って来て住み着くといったケースが多く、危険がなくなったと決して言うことはできなかった。
彼は最前線に身を投じることを決めたのである。
その話を聞いた王は驚愕の表情を浮かべ、暫く考え込むようにしていたが、勇者の顔を見て、諦めたように、
「わかった。」と小さく答えた。
パレードは何事もなく終わった。
本当に何もなく、ただ淡々と時が過ぎていった。
勇者はパレードが終わった2日後に最前線の街へと出発した。
彼を見送る者は誰もおらず、仲間の中で、勇者について行く者もいなかった。
それでも勇者は、勇者であった。
勇者が魔王を倒してから5年の歳月が流れた。
姫は隣国の王子と結婚したらしい。
とても優秀な人らしく、国の貧困の割合も減って来たと、街の人々も喜んでいた。
5年前にこの街に来た彼は魔物を殺し続けていた。
彼の周りから血の匂いが消えることはなかった。
そして、彼の周りには笑い声もなかった。
彼は強かった。
冒険者ギルドの中で両手で数える程しかいない最上級であるSランクのパーティーに、一人で互角に戦える程の強さがあった。
冒険者達からは畏怖の目を向けられ、
民衆からは戸惑いの目が向けられた。
彼はずっと一人で魔物を殺し続けていた。
彼に話しかける者はいなかった。
それでも、彼は勇者であった。
勇者が魔王を倒してから10年の歳月が流れた。
彼は5年前より確実に強くなっていた。
10年前とは比べ物にならない程肥大化した筋肉が彼の死闘を物語っていた。
相変わらず彼は魔物を殺し続けていた。
彼の周りから血の匂いが消えることはなかったが、
彼の周りには笑い声が絶えなかった。
一部の、若い冒険者からは尊敬の眼差しを向けられた。時に教えを請われることもあった。
パーティーに誘われることも幾度となくあったが、彼は必ずソロで魔物を殺し続けた。
それでも、大半の冒険者には、理解出来ない生物に向けるような視線を投げかけられ続けた。
劇的に変わったのは民衆の反応だった。彼は民衆から「英雄」と呼ばれ、慕われた。
民衆の間で彼の話題が尽きることはなかった。
民衆は彼に本当に感謝し、彼に様々な恩返しを行った。
食事に宿に風呂、いずれも最上級のものを提供し続けた。
それでもしたりない程の恩義を感じているのである。
そんな彼らの誰として、彼を「勇者」と口にする事はなかった。
それでも、彼は勇者であった。
勇者が魔王を倒してから20年の歳月が流れた。
彼は衰えた。
彼ももう40歳だ。
普通の冒険者なら引退している。そうでなくても、最前線で、しかも一人で魔物を相手にし続けるなんて、正気の沙汰ではない。
しかし、彼は強かった。
衰えて尚、前線で戦う上位のパーティーと遜色のない力を持っていた。
ギルドマスター、爵位、名誉のすべてをはねのけて、最前線で戦い続けた。名誉を受けとる事に後ろ指を指すような人は誰一人としていなかった。
むしろ、誰もがそれを受けて欲しいと本気で思っていた。10年前に畏怖の眼差しを投げかけた冒険者の、彼らさえも。
それでも、それでも、彼は戦い続けた。
間接の節々からは上がる悲鳴はいよいよ悲壮感をました。
少し武術をかじった者から見れば、彼の体の異常さを見破る事は、目の前の魔物の名前を当てることより遥かに簡単であった。
名誉にも目もくれず、そんな状態になってまで戦う彼を、彼らは尊敬と畏怖の気持ちを込めて、
「武神」、と呼んだ。
その名は瞬く間に広がり、各地の冒険者が手合わせや、教えを請いに来た。
彼の事を「武神」と呼びながら。
それでも、彼は勇者であった。
勇者が魔王を倒してから30年の歳月が流れた。
彼は最前線から身を引くことを決意した。
彼の決断に民衆は心の底から喜んだ。
彼の姿は民衆から見ても異様であったからだ。
しわが深く刻まれた顔に、白髪が侵食してきた髪の毛。全盛期に比べれば大分衰えたと言えるが、一般人と比べれば何倍もありそうなその筋肉は、普通ならそんな顔とは絶対に両立しない物であった。
朝早くから、木刀で素振りをするその姿は、
見かける市民の涙を誘う程の物であった。
実際に酒場に乗り込んで、泣きながら引退を請う市民までいた。
彼はその人を優しく立ち上がらせ、微笑みを向けた。
次の日、彼はいつも通り最前線へ足を運んだ。
彼が引退を決めたきっかけは、このギルドの全体的な実力が、大幅に上がったことにあった。
このギルドの冒険者は、何かしら「彼」に、影響を受けて育った。
戦い方であったり、戦闘に望む心構えであったり。
人によって学んだことは様々であったが、全員が「彼」に対して深く恩義を感じていた。
そんな彼らにとっての最高の恩返しは、自分達が強くなって、「彼」に安心して引退してもらうことだった。
彼らは努力に努力を重ねた。
全ては「彼」への恩返しのために。
結果として彼らは、彼が思っていたよりも、ずっと、早く強く成長したわけだ。
彼らが、多くの若手が、前線で活躍できるようなパーティーになったことが、引退を決意する大きな要因となった。
前線に、もう年老いて衰退するしかない彼の居場所がないことを、彼が理解したからである。
最前線を退くことになった彼には、10年前に来たお誘いが流れ込んでくる事となった。
ギルドマスターに騎士団の教官、中には市長に、
と言う声もいくつか出てきた。
彼はその選択肢のなかから一つも選ぶことはなかった。
彼は危機に瀕している小さな村の人々に防衛手段を与えるために、各地をまわろうと考えたのだ。
彼のその意向は、瞬く間に街中へ伝わった。
当然、この街にとどまって、体を休めて欲しいという声も少なくなかった。
だが、彼は理解していた。その言葉の裏に、「年だから。限界だから。」という言葉が潜んでいることを。
そして、それと同時に彼は理解していた。その言葉が何より心配や、良心から発せられているということも。
だからこそ彼は行かなければならなかった。
例え、「老い、力を失った」と。
「もう無理だ」と。
そう言われようが
それでも彼は勇者であった。
勇者が魔王を倒してから40年の歳月が流れた。
彼は各地を周り続けた。
各地の青年に、少年に、武術を教え続けた。
最前線から引いた彼の姿は元の姿を思い返すことが難しいと思わせる程衰えていた。
黒いローブから覗く、真っ白な髪と子供に武術を教えるそのしわしわになった手のひら、すっかり細くなってしまった腕からは、
最前線で剣を手に魔物の血を浴び続けた、あの頃の姿を思い返すことはできなかった。
彼が魔物を殺す機会はほとんどなくなったと言っていいほど少なくなった。
やったとしても小物ばかりで、今まで彼が殺してきたものと比べれば、小動物と表現したとしても過言ではないと言えるほどだった。
もうあの戦場に戻ることはできないということを彼が一番良く理解していた。
防衛手段を持つことの意味は、何も魔物に対抗することだけではなかった。
各地の村の生活には、余裕が生まれた。
それぞれの村の間での物々交換は彼が訪れる村の数が増えるほど活発化していった。
彼は彼の鍛え上げた筋肉と引き換えに、渡り歩く村々から様々な知識を手に入れた。
彼は防衛手段を教える交換条件として知識を教えることを強要した。
しかし、誰もがそれが対等な立場に立つために言っていることだと理解していた。
そんな彼のことを人々は「聖人」と呼んで尊敬の眼差しを向けた。
彼を蔑む者はもうどこにもいなかった。
彼は前線から離れ過ぎた。
もうあの頃のような強い魔物を相手にすることも出来なくなってしまった。
それでも彼は勇者であった。
勇者が魔王を倒してから50年の歳月が流れた。
彼は王都から離れた村にはあらかた教え回ってしまった。
彼には次にするべき行動がわからなかった。
彼はあてもなくぶらぶらと街々を渡っていった。
どの街も今まで以上に活気づいて、子供達は楽しそうに友達と遊び回っていた。
彼の功績だ。
新しい野菜や新鮮が村々から流れて来るようになって、食料が値下がりし、新しい雇用が生まれた。
彼はどの街でも歓迎された。
「ゼタ・バルセリア」という彼の名前を知らぬ者はいなかった。
彼は一つの街へと足を運んだ。
彼が30年間戦い続けた、あの街である。
あの頃と違って、道はきれいに舗装され、随分安全に向かえるようになっていた。
街の入口には、昔教えを請いに来たことのある、あの頃と比べて随分大人らしくなった青年が門番をしていた。
青年…と呼べるかどうかも怪しくなってしまったが、彼にとっては紛れもなく青年であった。
青年は外部からの入って来る人の身分調査をしているようだった。
「次。」
少し不機嫌そうにそう言う青年の目は、しっかりと彼を捕らえていたが、彼をあの英雄だと気づいている様子ではなかった。
無理もない。
深くローブをかぶっていて、顔は分からないものの
彼の骨がむき出しになったような指と、木の枝のような腕。
あの頃の彼を知っていればいるほど、気づくことはできないだろう。
彼は慣れた手つきで、純白のギルドカードを提示した。
引退する時に返そうとしたギルドカードであったが、当時のギルドマスターが押し返してきた。
彼なりの感謝の気持ちだったのかも知れない。
身分を簡単に提示できると言うことは大きい。
ありがたく受け取ってから使い続けている。
提示されたギルドカードを見た青年は、打ち上げられた魚のように口を開いたり閉じたりを数秒間繰り返した後、脱兎の如く街の中に向かって走っていった。
英雄が帰ってきたぞ、と叫びながら。
暫くして、彼は街の中に案内された。
彼を歓迎しようと街の人々は大きな広場に集まっていた。彼らの中で彼が本当に英雄かどうか疑うものはいなかった。誰もが彼を英雄だと一目で理解した。
街の人々は彼に山ほどの言いたいことや、質問があったのだが、長旅で彼が疲れているだろうと、明日にまた集まることにして、彼を宿屋に送った。
最上級の宿屋に。
彼が目を覚ましたのは、いつもより大分遅い時間だった。彼らが言ったように移動の疲れが出ていたのかも知れない。
彼はベッドからゆっくりと足をおろした。
いつも感じる痛みは不思議と感じなかった。
やはり高級宿屋だけあって寝床も素晴らしかった。
それがよかったのかも知れない。
彼は備えてある食事場所に降りて、軽めの朝食…と言ってもスープだけを口にして、急いで身仕度に取りかかった。
どんな時も連れて回った愛剣を腰にぶら下げ、黒いローブを深く被った。
彼が昨日の広場に顔を見せた時には、もうたくさんの人が集まっていた。
しかし、その中には彼が世話をしたような、前線で戦う冒険者はいなかった。
最近は魔物の動きが活発化していると聞く。
…恐らくは新たな魔王の出現だ。
それの警戒にあたっているのだろう。
彼が健康そうな若者に手を引かれ、用意された席につこうとした、そのときだった。
昨日門兵をしていた青年が走り込んできた。
顔面を真っ青にしながら発した言葉は集まっていた人々をおおいに恐怖させた。
「魔物の大群が押し寄せて来た!」と。
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