第101話 ミカとユカと重箱の弁当
午前中の競技が全て終わり、生徒たちは保護者の待つ場所へと各々散らばり始めた。
午後の開始時刻まで一時間。それまでゆっくりするとしよう。
「腹減ったなぁ……。つっても午後イチで組体操あるから腹一杯食うわけにもいかんか」
「リョーウ君! お昼一緒に食べようー!」
腹を押さえている俺の背後からユカが勢いよく飛びかかってきた。
俺は心臓の鼓動が跳ね上がるのを悟られぬよう、胸を押さえる。
こいつ周りに人がいっぱいいるのに何て不注意なやつ。
いや周りに大勢いるからこそ……か?
この熱量の中ならいやでもテンションが上がる。これくらいのスキンシップ、リア充にとって普通なんだろうか。
「ママたちがあっちで待ってるってー。ほらほら行こうよっ」
「え、いやユカん家に混ざるなんて悪いだろ? 一家団欒してこいよ。俺のことは気にしなくて良いからさ」
「そう言わずにね?」
ユカは俺の言葉なんてちっとも聞かずに手を掴んで走り出す。
その強引さに俺は抵抗することも出来ずに言われるがままユカに着いていった。
◆◆◆◆◆
グラウンドから離れた校舎裏、そこにユカの両親はいた。
ブルーシートを広げて大きな重箱を置いている。こういうのは進藤家には無いので新鮮だ。
「久しぶりね~亮君」
「お久しぶりですミユさん。それに康介さんも」
「さっきの綱引きはおしかったね。もう少しで勝てそうだったのに」
「見ててくれてたんですか。ありがとうございます」
「頑張ってる亮君を見てると年甲斐も無く熱くなっちゃったよ。疲れてるだろう? ささ、好きなとこに座って」
康介さんは家族でも無い俺を快く招き入れてくれる。
しかし俺は若干の申し訳なさを感じてしまう。
それもそうだろう。体育祭で女子の家族に混ざり込む男子なんて、図々しいじゃないか。
しかしミユさんもユカもまるで気にした様子は無い。
むしろ嬉しそうにしてるまである。もうちょっと警戒心持とうよみんな……。
「あれ? そういやミカはどうしたんです?」
「大丈夫だよ。迎えに行ってもらってるから」
「????????」
迎えにって……誰が?
ここにはミカを除いた朝倉家のメンバーが全員揃っている。
一体誰がここにいないミカを迎えに行ったというのか。
俺が疑問に感じていると後ろから人の気配がした。
「おまたせー☆ 人がいっぱいいたから大変だったわぁ~!」
「げっ……この声はまさか……!」
「あら亮ちゃん、お疲れ様~! 綱引き頑張ってたわねぇママ感心しちゃった!」
「やっぱり母さん!! な、なんでここにいるんだよ!」
ミカの手を引いて現れた母親に俺はお化けでも見たかのような声を上げる。
しかし母は特に気にした様子も無く――むしろ当然だと言った風な顔までしている。
「それはもちろん亮ちゃんを応援するために決まってるじゃない~! ママ今日の打ち合わせを夜にずらしてきたんだからねぇ」
「そ、そりゃありがとございます……じゃなくて! なんで母さんが朝倉家と一緒にいるんだよ!」
「だってミユちゃんに誘われたんだもーん♪ 酷いわ亮ちゃん、ママ体育祭があるなんて全然知らなかったんだからねっ!」
「そりゃ言う必要ないかと思って……。母さんこういう行事に来てくれたことねぇし」
「あるわよ! 小学校の頃に三回、中学の頃に一回だけ!」
「それ全部一時間もいなかったらしいじゃん!?」
母親が忙しいということに気付いてからというもの、俺からこういう行事を伝えることはしなくなった。
無理して来てくれても結局顔を合わせることも無くいなくなるのだ。
それなら最初から来ない方がお互い楽だろうと。
俺と母さんが軽い言い合いになっていると、康介さんがまぁまぁとなだめる。
「二人とも落ち着いてください。亮君、お母さんが忙しい中時間を作ってくれたんだ。そう無碍にすることも無いだろう?」
「それはそうかもしれませんけど」
「お腹が空いているからカッカしちゃうんだ。さぁみんなでご飯を食べよう。ミユが亮君の分まで弁当を作ってくれたんだよ」
「男の子にお弁当を作るのが初めてだから、なんだか張り切っちゃったわ~。いっぱい食べて良いからね?」
重箱から出てきたのは美味しそうな料理の数々。
おにぎりに唐揚げ、ソーセージといった定番の物が揃っている。
見ただけで冷食じゃないと分かる。これ全部ミユさんの手作りなのか。
「すげぇ……うちじゃ絶対出てこないわこんな料理……!」
「もう! 失礼ねこの子ったら!」
事実でしょうに。いや母さんの料理の腕は高いけど、頻度がね……?
母の味って言われてパッと思い浮かぶ料理が無いもん俺。
なんか悲しくなってきた。ミユさんの料理を食べてこの虚しい気持ちを書き換えるとしよう。
「あっユカが取ってあげるよー。ほいほいほいっと。はいどーぞ、リョウ君!」
「おう、ありがとなユカ」
「えへへーどういたしましてー♪」
流石ユカだな。こういう気配りの高さに女子力を感じるぜ。
しかもおにぎりに卵焼きや唐揚げと俺の好きそうなおかずを選んでくれている。
やっぱ運動会の弁当はおにぎりよな。いや毎年コンビニ弁当か父さんが買ってきた出来合いの弁当で済ませてたけどさ。
俺はおにぎりにかぶりつき咀嚼する。
「むむむ……んまっ。え、これおにぎりですよね? めっちゃ美味いんですけど」
「あらあら。口に合ったみたいで嬉しいわ~」
いやミユさんは何でも無いみたいに喜んでるけど、これめちゃくちゃ美味しいぞ!?
普段食ってるコンビニのおにぎりが80点だとすると、このおにぎりは120点くらいある。
米の握り具合や塩加減が絶妙なのだ。口の中でほろほろと崩れる白米の甘みと、塩のバランスが最高すぎる。
おにぎりだけでここまで美味しく感じるのか。
昔の人が愛食していただけはある。だって具なしなのにこれだけで腹一杯食えるくらい美味しいんだもの。
そのままおにぎりを一気に頬張り、喉を通す。美味い、美味すぎる!
けど一気に食べたせいで口の水分が持って行かれてしまった。
お茶……お茶を飲みたい! それかジュースでもいい。飲み物はどこに……!
「はい……お茶……だよ」
俺が周囲を見回していると、横からミカがコップを差し出してくれた。
俺は返事を言うよりも早くコップの中の水を飲み干した。
よく冷えた麦茶が喉を通り、食道にまでその冷たさを感じた。
「ぷはぁー……ありがとミカ。よく俺がお茶欲しいって分かったな」
「うん……りょう君のこと……見てたから……」
「え?」
見てた? なんで?
「あっ……えっと、その……。あぅ……」
俺の疑問の声にミカははっとなり、顔を赤くするとそのまま黙ってしまった。
誤魔化すように小さな口でご飯を食べている姿が、小動物みたいで可愛らしい。
ミユさんの料理は素晴らしかった!
唐揚げもソーセージも!
だが、しかし、まるで全然! この俺の腹を満たすには程遠いんだよねぇ!
というわけで他にも美味しそうなおかずはないかな?
俺が弁当箱を物色していると、ユカがどこか恥ずかしそうにしながら言ってきた。
「ね、ねぇ! この卵焼きとかどう!?」
「ん? ああいいかもな。肉ばっか食べてたし、次は卵焼きもいいかも」
俺がそう答えるとユカは自分の皿から卵焼きを箸で掴み、俺に向けてきた。
「じゃ、じゃあはいっ! あ、あ~ん……」
「な、なにやってんだよユカ? 別に自分で取るけど……」
「い、いいから! ほら、食べてみてよー!」
「でもほら、何もそんな風に食べさせようとしなくてもいいだろ? な?」
ユカがやっている行為。美少女からの『あーん』
それは何物にも勝る甘美なる響き。神に選ばれた男にだけ与えられる報酬だ。
だがそれは美少女と二人っきりの時にされたいのであって、家族が見守っている中でやるものではない。
「「「じ~……」」」
ほら母さんはともかくミユさんや康介さんまでこっち見てるじゃん!
何見てんだよあんたら! 見せ物じゃ無いんだぞ!
というか自分の娘が変なことしようとしてるんだから止めろや!
ユカも見られていることに気付いているのか、少し頬が赤い。
だが決して箸を下げるようなことはなかった。
俺は諦めて心を無にする。
そしてユカから伸ばされた箸に――黄金に輝く卵焼きを口にする。
「ど、どう……?」
「う、うん。めっちゃ美味しい……。甘くて、焼き加減も丁度良くて……うまいよ」
「そ、そっかぁ……よかったー!」
「????」
一体何が良かったんだろうか。ユカの考えていることはよく分からん。
それはともかく、この卵焼きは大したもんだ。
寿司屋の腕前を測る時に卵焼きを食べると、その店の実力が分かるという。
つまり卵焼きは全ての料理の腕前に通じるというわけだ。
卵焼きが上手な人は料理上手ってわけだな。
ミユさんの料理の腕は先程までで上手と分かっていたが、改めて凄いと認めざるを得ない。
「うゅ……」
俺が卵焼きを飲み干すと、今度は逆隣のミカが唸っていた。
どうしたのだろう。腹でも痛いのか?
「りょ、りょう君……!」
「ほいどうした」
「こ、これ……食べて……みてくだしゃい……!」
「ミカまでどうした!?」
なんと次はミカがおかずを差し出してきたのだ。
何なの? 朝倉家では俺に供物を捧げるのがブームなの? 何かの儀式なの? 俺って神様か何か?
ミカが持っているのはハムとチーズを重ねてくるくると巻いた物だった。
簡単そうなおかずだけど、綺麗に包丁で切りそろえられている。
「わ、分かったよ。どうせミカもやめる気ないんだろ……?」
「ど、どうぞ……」
「あむ……うん、おいしい」
とは言ってもハムチーズなんて食べる前から味の想像なんてついていたのだが。
美味しいから全然問題ないけどさ。
俺の感想を聞くとミカは大きく息をつく。
まるで面接を終えた後のような、緊張から解放されたといった様子だ。
「うぅ……上手に出来た……ミカ、頑張った……!」
「まったく、二人してなんなんだ……?」
正直ミカとユカの考えが全く見えてこないのだけど、どうして親の前でこんな罰ゲームじみた真似をしたのだろうか。
俺からしたら嬉し恥ずかしい気持ちこそあれど、役得だから文句ないのだけど。
俺は頭の中にはてなを浮かべながら、その後もミユさんの料理に舌鼓を打っていた。
「青春ね~」
「三人とも微笑ましいわぁ」
「うーん、学生の頃を思い出すね」
親連中はどういうわけかニマニマして俺のことを見ていた。
何なんだろうこの空気は。むずがゆいというか、居心地が悪いぞ。
まるでペットを見るような目というか。
こうして俺たちの昼食は終わっていった。
結果的に俺は食い過ぎてしまった。この後組体操があることをすっかり忘れていたのだ。
だってしょうがないじゃない!
美味しすぎる弁当が悪いのよ!
俺は悪くないから!
いや嘘です。すっかり忘れてましたよ、ええ。
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