第102話 ミカとユカのチアリーダー

「ピッピッピーーーー!」


 甲高い笛の音がこだまする。それを合図にグラウンドにいる全校男子が空高々に足を上げる。

 我が校伝統の全校男子による三点倒立である。


 俺は胃に溜まった昼飯が逆流してこないように祈りながら、足を天に伸ばすのだった。


 やっぱり食い過ぎたよなぁ……!

 でもミカとユカがあんなに嬉しそうに勧めてくるんだもの。仕方ないじゃない!


「うっぷ……やべきもちわるい……!」


 腹の底からじりじりと登ってくる(倒立してるから降りてくるが正解か?)吐き気に耐える。

 十秒間がまるで数分のように感じられる。

 早く終わってくれと、ぷるぷる震え始めた両手に力を込めながら願う。


「きついきついめっちゃきつい腕こわれる……! あかんやつや、これあかんやつや……! 普段使ってない筋肉がピクピクする……!」



 もはや限界か――そう思った時。笛が鳴った。

 三点倒立の終わりを知らせる笛だった。


「終わった……? 俺やり遂げた……のか」


 達成感に浸るのもつかの間、すぐさま別の演目に移る。

 俺は金髪とペアになりサボテンや風車といった組体操をこなしていく。

 しかし頭の中はさっきの三点倒立のことで頭がいっぱいだった。


 無理だと思ったこと。不可能だと投げ出しそうになったこと。

 投げ出してばかりの俺が真っ正面からぶつかって、乗り越えた。

 その事実にまるで生まれ変わったかのような感覚に浸っていたのだった。





 ◆◆◆◆◆





「おつかれー! すごかったね男子の組体操! みんなぐわーってなって、ガシンって凄かったよー! リョウ君もビシッと足を伸ばして逆立ちしてて、かっこよかったねっ!」


「逆立ちじゃ無くて三点倒立な。あれマジで大変だったんだぞ? 普通こんなの体育祭でやらねえよ絶対さ。ほら見ろ腕なんかパンパンだぞ」


「あははっそうかもねー。でもそんな大変なことをキチッとやりきったんだよね。えらいえらいっ♪ 頑張ったねリョウ君、ユカが褒めたげるよー」


「お、おう……」


 そうストレートに褒められると、なんていうか少し照れる。

 褒められ慣れていない陰キャの悲しいサガ……。


 ユカはひとしきり俺の頭を撫でた後、入場門へと向かう準備をする。

 女子の注目競技(競技か?)のチアリーディングである。


 お手製のポンポンを手に持ち、何かのスポーツ用のビブスを体操服の上から着ている。

 チア衣装に期待していたのだが、体育祭でほんの数分の出番のために衣装を用意するわけも無く。

 俺の淡い期待は水泡に帰したのであった。


 いやチア衣装とか別に好きじゃ無いんだけどね?


「よーし、じゃあユカも行ってくるとしますかー! ユカのこと……ちゃーんと見ててね、リョウ君?」


「分かったよ。その代わりガン見したからって訴えるなよ」


 本人から許可をもらってるなら視姦してもOKってことだよな?

 まさかそこから法廷コラボなんてしないよな?

 言質取ったからな。嘘ついたら承知しないぞ。カメラあったっけ、持ってくれば良かったぜ。


 ユカは後ろ髪をゴムで束ねてから、ニマニマ笑いながら俺の顔を見る。

 なんだその顔は。またろくでもないことを考えてるんじゃ無いだろうな。


「リョウ君の好きなポニーテール、じっくり見るチャンスだよー。ダンスの振り付けが結構激しいから、うなじもはっきり見えちゃうかもねー」


「な、なんだと……! くそ、スマホがあれば全力で撮影していたというのに……はっ!」


「んふふふー♪」


 ユカは上機嫌にいたずらな笑みを浮かべていた。

 嵌められた。こいつ俺の性癖を弄んでいるな。

 人の性癖を笑うやつは性癖に泣くんだぞ。いや何言っているんだろう俺は。


 からかわれて恥ずかしくなったからだろう、少し顔が熱い。

 俺はしっしっとユカを追い払うように手を動かす。


「ほら、集合かけてるぞ。行ってこいよ」


「うんっ♪ じゃあいってきまーっす!」





 ◆◆◆◆◆





 ユカが走って行ったのを見てから、俺は四組のテント近くまで向かった。


「ミカ……もうチアの集合かかってるぞ」


 ミカは未だにテントの側に座っていた。

 その顔はやや青白い。体調が悪い――というわけではなさそうだ。

 緊張しているのだろう。分かるよ。俺も陰キャだから、本番直前のプレッシャーで吐きそうになる気持ちは。


「りょう君……ミカ、どうしてチアなんて……やろうと思ったんだろう……。あの日断らなかった……自分を呪いたい……ルート選択ミスった……」


「お、おいおいおい! 始まる前から落ち込みすぎだぞ。この数週間ずっと頑張ってきただろ? それをみんなに見せつけてやろうぜ」


「でも失敗したら……もう学校に来れない……。ミカも不登校系ユーチューバーになろうかな……そうなったらりょう君……チャンネル登録してね? 拡散よろしく……」


「それは笑えないからやめろォ!」


 友達がそんなことになるなんて考えたくは無いな。

 ミカなら登録者数めっちゃ稼げそうではあるけど。



「体育祭が終わった後のダンスをやりたいんだろ? それならこんなことでビビってないで、さっさと終わらせてこい。ミカなら大丈夫だって!」


「ダンス……後夜祭……! そ、そうだった……ミカ目的を忘れてた……!」


「だ、だろ? この後のことを考えれば後は楽しむだけじゃん。ビビる時間なんてないぞ」


「うん……分かった……ミカ頑張るね……! だからりょう君……約束……忘れないで……ね? 忘れちゃ……やだからね?」


「任せとけ。だからミカは変なこと考えずにかっとばしてこい」


「なんか……やる気出てきた……! むんっ……!」


 そう言ってミカは力こぶを作ってみせようとする。

 だが生憎ミカの細くてぷにぷにな腕にはこぶなんて出来なかった。

 しかしその様子を見て俺は安心した。これなら大丈夫そうだ。


「ほら、みんな待ってるぞ。行ってこいよ!」


「い……行ってき、ますっ……!」



 ミカは恐る恐る、チアの集まる入場門まで駆けていく。

 彼女は気付いていないだろう。今この瞬間、周りから注目されていることに。


 そりゃ開始ギリギリまでやってこないんだから、注目されるに決まってる。

 だがそんな大勢の視線をミカは気にしていない。

 いや、そんな余裕もないんだろう。けど今はそれが逆にプラスに働いている。

 自分のことで精一杯で、周りの反応を気にしてる暇なんてない。


 それでいい。

 俺たち陰キャは自分のことでいっぱいいっぱいだ。


 それでもやりきれるのなら、それでいいじゃないか。


 だから――


「ミカ、頑張れよ……! 俺はちゃんと見てるからな」





 ◆◆◆◆◆





 そういえばユカにも見ててと言われたわけだけど、俺はどちらを見れば良いのだろう。

 目は二つあるけど、左右で別々の物を見るなんて出来ないわけで。


 こりゃあ視線を動かすのが忙しそうだ。

 まぁ美少女を見る分には全然困らないのだがな!

 なにせ本人の許可を得ている。合法的に目の保養が出来るというわけだ。


 グラビア撮影のスタッフのような役得感があるぜ。

 この言い方だとまるでいかがわしいことをしてるみたいで嫌だが。


『続きまして。女子選抜のチアリーダーです』


 アナウンスが聞こえた瞬間、会場は大盛り上がりだ。

 野太い歓声が地鳴りのように響いている。


「な、なんだこの熱狂っぷりは!?」


「そりゃ学校一の美少女朝倉さんが出るんだぜ。盛り上がるに決まってっしょ」


 いたのかよ金髪。

 そうか、ユカがチアをやることは事前に知られていたわけだし、男子も期待するのも仕方ないか。

 しかし応援という純粋な気持ちを表したチアリーディングを、よこしまな目で見るとは。

 男子の風上にも置けない奴らめ。


 え? 俺?

 俺は違うよ。だってほら、本人に見ていいよって言われてるし。

 謂わば公認なのだ。そこらの男子と同じにしてもらっちゃ困る。




 軽快な音楽と共にチアが入場し、所定の位置に着く。

 そこからリーダーが笛を鳴らして、別の音楽に切り替わる。


「あー練習で見たヤツだ。全体を通して見るのは初めてだから、何だか新鮮だな」


「お前も出れば良かったのによぉ。ホントもったいねぇわ」


「まだ言ってんのかお前……」


 こいつはいい加減女装から離れてくれないだろうか。

 最近尻の辺りが不安になってくるんだよ、こいつといると。



「おっユカがセンターで踊ってる!」


 曲のサビになるとユカが前に出てきた。

 ポンポンを両手に軽快なステップを踏むユカの姿は、まるで天上から来た天使のようだ。

 見ているだけで癒やされる。


「やっぱあいつは目立つよなぁ、チアの女子って美人揃いだけどその中でも一際輝いてるっつーか」


 明るい笑顔ではにかんで、楽しそうに腰を揺らす。

 その姿を見て心奪われない男はいないだろう。

 現に男子の多くは先程より五割増しで食い入るようにグラウンドを見ている。



 その後ろでミカも頑張っていた。

 練習では他メンバーとぶつかってしまったパートも、しっかりこなしていた。

 俺も一緒に何回も練習した振り付けだ。最後に見た時よりも、更に上達していた。


「ミカのやつ……きっと昨日寝る前まで練習してたんだろうな……。最初はあんなに不器用だったのにさ……本当すげぇよ。あんなMPが減りそうなダンスからよくもここまで……泣きそうだよ」


「お前……それ朝倉さんのお姉さんに直接言うなよ……」




 その後も曲を変えながらフォーメーションを変えていく。

 センターのユカは他のメンバーよりも派手なダンスを披露する。


 俺はミカとユカがそれぞれ頑張っているのを見て感心していた。

 その時、視界の端で踊っていたギャルの姿が目に入った。


「……松山、練習だと苦戦してたみたいだけどちゃんと踊れてるな」


「負けず嫌いだからな~楓って。昔取った杵柄ってゆーの? 踊りは苦手だけど、コツ掴めばいけた感じかなぁ」


「昔取った……?」


「あー、今の話ナシで。楓に怒られちゃうわ」


「????」


 一体何の話だろう。ギャルは昔、ダンス教室にでも通っていたのだろうか。

 しかし大して興味が無いのでそれ以上詮索することはなかった。



 最後の曲になり、チアたちはポンポンを大きく振って見栄えのある振り付けをする。


「そういえばこの曲って昔流行ったよな。中学の頃にめっちゃ話題になったの思い出した」


「俺は知らねぇよ? 何の曲よこれ」


「えーっと……」


 金髪に質問されて、俺は頭の中のオタクフォルダに検索をかける。

 確か深夜アニメのエンディングだったはずだ。

 普通アニメのエンディングはあまり派手に動かさないものだ。一枚絵を並べるだけの場合もある。

 だというのにそのアニメは歌に合わせてキャラクターがダンスを踊っていたのだ。

 その作画の素晴らしさと、歌のキャッチャーさもあり、オタクの中で大流行した。

 かく言う俺もこの歌を一時期ヘビーローテで聞いていた。


「そっか、オタクの中の社会現象って一般層にまで全然普及しないもんなんだな」


「何の話だよ」


「いや、こっちの話。お前のようなリア充は気にすんな」



 歌はサビに入り、振り付けも派手になっていく。


 ミカは何故か他の曲に比べてこの曲だけは振り付けが上手だった。

 おそらく元々知っていたから、覚えやすかったんだろう。

 その適応力を他の曲にも活かせれば、もっと早く上達できただろう。


 でも我々陰キャオタクはシングルタスクなのだ。

 一つの物事をこなすので限界。他のことを考えるなんて無理。

 そして一つのことをこなしても、その経験を他で活かせないのだ。


 だからミカが他の曲に手こずるのも仕方のないことだ。


 まぁミカの上手なダンスを見れただけでも、安心だ。

 見ろよミカのあのどや顔。この曲だけは自信満々って顔だ。

 思わずこっちまで笑ってしまいそうだ。かわいい。




「もうすぐ終わりそうだな」


「こっから盛り上がるからよく見とけよ氷川。お前もしこれを見逃したらこの曲の元ネタの映像を24時間耐久で見せるからな」


「怖えよ! 何する気だよお前よぉ~!」


「ちなみに俺は新アニメのOP映像は数時間ループして見るの余裕です」


「聞いてねえよ! ほら、朝倉さんの出番だからちゃんと見なきゃいけないんじゃねえの!」


「おっと見逃すとこだった」


「人に言っておいて進藤こいつ……!」


 ユカはそれまでの曲同様に完璧に踊って見せた。

 はっきり言って『踊ってみた』系の動画は好きでは無いのだが、ユカが踊るなら許せそうだ。

 今度ユカに俺厳選のアニメのダンス集を見せて踊ってもらいたい。

 あの細く長い手足と抜群のビジュアルで踊れば、きっと二次元に勝るとも劣らないはずだ。


 うん、やはりユカは完璧だな。完璧美少女だ。

 見てるだけで眼球が焼けそうだ。かわいい。



「やっぱユカって才色兼備だよなぁ~……ん?」


 俺がユカのダンスを眺めていると、その後ろでやたらキレの良いダンスをしている女子がいた。

 視線をずらすと、そこにいたのはギャルだった。


「あれ、さっきは普通のダンスだったのになんであいつ……」


 まるでミカの様に、それまでのダンスとは違う腕前を披露するギャル。

 その違和感に俺はぼんやりとギャルの過去を連想する。

 しかしそんなわけがないと首を振り、再びミカとユカに視線を戻すのだった。




 最後に全員でポーズを決めて音楽が鳴り止む。

 すると会場全体から激しい歓声が送られる。


 間違いなく今年の体育祭で一番盛り上がった種目だろう。

 かく言う俺も一つのショーを見終わった後のような充実感を味わっていた。


 うーむ……チアっていいものかもしれんな。

 今度アニメショップに行った時に探してみるか。

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