第100話 真剣綱引きと双子の応援

 人は否応なしに現実逃避をするものだ。


 それは例えば絶望的な状況。それは例えば絶大なる壁を目にした時。それは例えば絶叫するほどの苦痛を味わった時。

 己の許容できるキャパシティを遙かに超えてしまった事態が起きた時、人間は防衛本能から思考停止してしまうものだ。


 これは良い悪いの話では無く、感情豊かな人間という生物の自己防衛システムだ。

 優れた知能を持つ我々人類は、優れた感情を持つ故に他の動物より感情により左右されやすい。

 だからこそ心という器を壊してしまわないように、脳が意識をシャットアウトして感情の崩壊を防ぐのだ。


 さっきから何の話をしているのかって?

 要するにさ、陰キャがリア充の巣窟である体育祭にぶちこまれればテンパっちゃうよね!


 俺の出番――綱引きの開始前の時間が来ていたのだ。



「っっっっしゃああああああ!!!! 白組絶対勝つぞおおおおおお!!!!」


「赤組ぃぃぃぃ! これで負けたら承知しないぞおおおおお!!!!!!!!」


「緑組! 全員覚悟はあるかーーーー!!!!」


「黄色組ぃー! 死ぬ気で綱引き勝つぞぉぉーーーーおおおお!!」


 各組のリーダーが競技前に雄叫びを上げてチームを鼓舞する。

 普段聞くことのない大声に俺は肩をびくりと跳ね上げてしまった。


 こいつらどんな喉してるんだよ……!

 グラウンドの端から端まで届きそうな声量だ。俺なんか教室の中でさえ消えそうな声しか出せないのに。

 たぶん100dbデシベルくらいあるんじゃないだろうか。

 一般的に70~80dbを超えれば騒音だと言われている。電車の音なんかは80dbらしい。

 でもこいつら全員人間離れした大声で叫んでいる。たぶん一般人が拡声器を使うよりうるさい。


 化け物かよ。

 これが体育会系リア充。人生の勝ち組の実力か。

 なるほどみんなが夢中になるわけだ。


「やば……なんか空気がピリピリしてるし……。オーラとか覇気って現実に存在していたのか……!?」


「いやリーダーたちの声で空気が振動してるだけじゃね」


 横から金髪に冷静にツッコミを入れられる。

 うるさい、ちょっと言ってみたかっただけだっての。


「つーか進藤ビビってるのウケるわ。さっきマジで一瞬呆けてたし」


「び、ビビッとらんわ! これはその……武者震い的なやつだよほら!」


「武者つーか足軽だよなお前の場合」


「どーせ俺なんか将棋で言うところの歩ですよ」


「いや盤面にも立てないっしょ~」


「駒ですら無いの!?」


 俺ちゃんとここにいるんですけど!?



 一年生の俺たちは三チームに分けられて同じく一年の白・緑・黄色組と対戦する。

 俺のチームは白組と戦うようだ。白組は三・四組の連合軍だ。


「そういや三組や四組の奴らと戦うのって、あんまりないな。いつも体育は二組とやってるし」


「まぁ五組以降のヤツよりはしってるけどな~。一学期はなんか四組と体育やること多かったしよ~」


「そうだったな」


 よく見れば白組の中には体育の時間に見かける顔もいくつかあった。

 とは言っても四組と体育をする時は毎回、ミカと一緒にサボってたのでほとんど知らないが。


「体育の借りを返してやろうぜ進藤。あいつらボコボコにしたら気分良いぜ~」


「どっちかって言うと同じクラスの奴らに恨みがあるんですけどね俺は」


 クラスメイトには敵しかいねえ。

 そんなやつらと一緒に戦うなんて、よく考えたら面白くない。

 体育の時に雑用押しつけられたりしたしな。あの恨み忘れはせん!


 そう思うと俺が頑張ることであいつらの勝利に貢献することになってしまうのか。

 いっそのこと手を抜いてやろうかな。別にそれで仕返しになるとも思えんが。


「って何考えてんだ俺は。そういうとこだぞ陰キャ野郎……!」


 いかんいかん。体育祭だというのに黒い感情が芽生えかけていた。

 俺みたいな陰キャが殺意の波動に目覚めても何か出来るというわけでもないんだけど。


「……ほどほどに頑張るとするか」


 手を抜かない程度には頑張ろう。

 ユカと約束したしな。体育祭を楽しむって。




 競技開始のピストルが鳴り、みんな一斉に綱を握る。

 俺も地面に置かれた綱を握ろうとしたが、既に大勢が掴んでいるせいで勢いよく地面から綱が浮き上がる。


「ぶべっ!」


 顔面直撃。

 綱と聞くと縄のような柔らかいイメージがあるが、全然そんなこと無かった。

 何十人もの人間がひっぱりあう物だ。めちゃくちゃ硬い。


「ふべ……ほごぉ……!」


 つーかめちゃくちゃ痛い!

 鼻折れた! これ絶対鼻の骨折れたわ!

 やばい涙出てきた。もう帰りたい。


 ダサすぎるだろ俺……。


 スタート早々諦めムード全開の俺。

 しかし遠くからかすかに聞こえた声。


「リョウ君ー! ファイトー!」


「頑張って~……りょう君~……!」


 それは幻聴だったかも知れない。

 応援席からここまでかなりの距離がある。

 二人の声が俺の元まで届くわけが無い。


 でももしかしたら……。

 俺なんかのためにミカとユカが大声を出してくれたんだとしたら。

 ここで投げ出したらもっとかっこ悪いよな。



「っし! やってやる……!」


 気を取り直して綱を握り直す。

 俺たちのチームは白組に対してやや劣勢。既に真ん中のラインが相手陣地に入ってしまっている。

 俺一人が加わったところで状況が好転するわけも無いだろうが、それでも応援されたからには頑張らなくちゃな!


「うおっしょおおおお!!!!」


 普段使わない筋力をここに全てつぎ込んでやる!

 目覚めよ火事場の馬鹿力! アドレナリンパワー全開!

 ここでやらなきゃどこでやるんだよ俺! 頑張れ俺!

 ミカとユカに少しくらいいいところを見せてやるんだよ! どっこらしょーい!


「ピピー! 白組の勝ち!」


「って負けるのかよ!」


「あー悔しいぜ~! もう少しで逆転だったのによ~!」


 結果は敗北。しかし最初よりも綱は赤組側に戻ってきていた。

 金髪の言うとおり、あと少し頑張れば逆転していたかもしれない。


 周りを見ると他の赤チームは勝っていた。負けたの俺たちだけかよ!

 もしかして俺は疫病神だった……?




 点数計算も終わり退場をする。

 俺はクラスのテントに戻るでも無く、一人離れた場所に腰を下ろす。


「結局頑張ったところでどうなるわけでもねーか……」


「そんなことないよ」


 俺が自嘲気味に溜息を漏らしていると、俺の両隣に人影が現れる。

 目線を上げるとそこには嬉しそうな顔をしたユカと、ミカがいた。


「お、お疲れさま……はい、飲み物……」


「あ、ありがと。……いやー負けちゃったなー! やっぱ普段から運動してないと駄目だわ!」


「リョウ君」


「つーか俺らのチームだけ負けてたの笑っちゃったわ。もしかして俺のせいでデバフがかかってたのかもな! なんつって」


 俺は言葉をまくし立てる。

 応援してくれた二人に報いることが出来なくて、それを笑って誤魔化すしか出来ない。

 だというのに二人は俺の冗談に乗るわけでもなく、ただ優しく笑って言うのだった。


「すっごく頑張ってたね。ユカ、リョウ君があんなに叫んでるところ初めて見たよ」


「ミカ……りょう君が踏ん張ってる姿見て……感動した。陰キャでも体育祭を楽しめるって……勇気貰えたよ……!」


「な、なんだよ……二人して。別に俺は……」


「リョウ君もこの体育祭を楽しんでるんだって伝わってきた。ユカはそれがすっごく嬉しいの!」


「りょう君……ユカちゃんが言ってたけど……体育祭は勝ち負けじゃなくて……みんなで頑張るのが大事だって……。そのみんなの中にりょう君も……いるんだよ?」


 みんなの中に俺が……。

 ミカのその言葉に俺は息を呑んだ。


 リア充とか陽キャだとか目の敵にしていたあいつら。

 俺は『みんな』の仲間はずれ。陰キャぼっちオタクだと自分を卑下してきた。

 けど、そのみんなの中に俺が入っていたと言うのだ。


「休みの時のリョウ君は楽しそうだけど、さっきのリョウ君はそれとは違った表情だったね! さわやかってカンジかなー?」


「爽やかって俺とは真逆の言葉だろうに」


「そんなことないよー? さっきのリョウ君、心から楽しそうにしてたもんねっ!」


「それは……まぁ、その……あれだな。たまには全力ではしゃぐってのも悪くないかもな」


「うんうん♪ 素直でよろしい」


 ニコニコと笑うユカの顔を見ていると毒気が抜ける。

 性格が歪んで欠陥住宅な精神構造をしている俺だけど、たまには正直になってみるのも大事なのかもな。


「えっと……俺が頑張れたのはさ。二人が応援してくれたからだよ……。その、ありがとな」


「……うん♪」


「声……届いて……よかった……♪」


 勝負には負けたけど、なんだかすがすがしい気分になった。

 俺一人なら絶対に負けたことをグチグチ文句を言っていたはずだ。

 失敗も含めて楽しむことが出来るのは、やっぱり二人がいてくれたおかげだ。


 どうやら俺はすっかりミカとユカがいないと駄目になってしまったらしい。

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