14.【全ては終わり そして、はじまる】

勝敗は、天使が敗れる。だと踏んだ矢先だ。


なだれ込む天使の増援。「あれ」が合流したら、再び形勢が逆転する。

それとも予見は、ミカエルがアスタロトさんを標的にしたことで、変わってしまったのか。


「困るね。これ以上は」


あちこちに仕掛けられた収音装置やモニターで、各所の会話や戦況は伝わって来ていた。

もっとも、モニターはそれ自体が壊れてしまってもう役に立たない。

一方で数が多く小さい収音装置は、まだ、生きていた。


アスタロトさんの声が、その内の一つから聞こえた。


「ミカエル、そろそろ君に教えてあげるよ。ボクの視た未来を」

「ほざけ! 我らの勝利以外に何がある!」

「そうだね。誰も勝てないし、誰も負けない。この勝負の行方は、おそらく……」


ミカエルが炎をまとった大剣を振りかざす。

体格差のあるアスタロトさんがそれに直撃されれば、まずいのではと思うのはやはり人間の基準だろうか。


大きく剣が振り下ろされた。

だが、ゼロ距離での接近を許していないアスタロトさんには届かない。その衝撃以外は。


まさか、というほど軽くはねのけてみせた。それでもそれが必要最小限の、ギリギリの動きだったのだろう。

動作は軽く見えたが、凄まじいスパークと「受けて」撥ねるその行為自体がそれを物語っている。弾かれた力は行く手にあったビルの側面に爆音とともに大穴を穿つ。


その褐色の頬に傷が走った。

しかし、その口元が不敵に微笑う。


「ミカエル、君が消えて終わりだ」


その後ろから。

白刃が肉薄していたミカエルの心臓部を正面から貫いた。


「司さん……!」


アスタロトさんの影から強襲したそれを、ミカエルは避けきれなかった。

深々と、柄まで埋まるそれをオレは見た。


「君を消すのはボクら神魔じゃない。人間だ」


それが、アスタロトさんの見た、結末。


「そして」


強靭な精神力で大剣を再び振り上げる。

その胸に別の白刃が背後から突き立てられ、司さんの眼前に、その切っ先がのぞく。


「君を殺す英雄は彼じゃない」


森さんだった。

いや、スサノオ、だろうか。

前と後ろから串刺しにされたミカエルはさすがに一瞬動きを止めた。

それが動きだすより早く。


ドスドスドス!


収音機が、間髪なくと突き立てられる刀の音を伝えた。

御岳さん、橘さん、浅井さん、南さん……『ゼロ世代』の多くのそれが、ミカエルの体をあらゆる方向から捉えていた。


「君の裁くべき『人間たち』。君が一番注意すべきは彼らだった」


がくがくとミカエルの巨体が大きく揺れる。振り上げたままの腕はそのまま。

瞳はカッと見据えるように大きく見開かれたまま。


落ちる。


ドォォンと、質量の大きな音を立ててオレたちの前に落ちてきたそれは、その時、もうどこも見てはいなかった。


刀のほとんどは、墓標のように刺さったままだ。

おそらくは、抜けなかったのだろう。


離脱したゼロ世代の人達の手に、それは握られていない。

ただ一人、森さんの手にした十握剣(とつかのつるぎ)以外は。


そして……ミカエルの身体は、光の粒子となってざらりと消え始めた。



「……聞いておくべきだったね」


アスタロトさん、そしてそれを見届けたダンタリオンが戻ってきた。

天使たちは、自らの長の敗北を前に、完全に動きを止めていた。


襲うでもなく、逃げるでもなく。


ふたたび、街が海の底のような静けさに沈む。


誰もが歓喜などしていなかった。

すべてが終わったかと思われたその中で、視線は、エシェルに注がれている。


未だ残る、大天使の一人に。


「……」


エシェルはその視線を受け、まるで一人一人を記憶するかのように、一度だけその光景を見渡した。

人間と、神魔が混じり居並ぶその光景を。

そして、こちらに背を向けたまま、言った。


「キミカズ、結界を開けておいてくれるか?」


水を打ったような静寂の中、「清明さん」が無言で左手を上げると、術師たちは逡巡したがやはり無言でその通りにしたようだった。


先ほどまでの喧騒が嘘のようだ。

静かだ、と思った。


それを破ったのは一体の天使。

ミカエルの消えたその跡に、支えをなくし、倒れて散らばった刀の前に、舞い降り膝をついた。


「ウリエル様」


それはあの屋上で聞いた声だった。


「我々はミカエル様を失いました。我々の指導者を」


こちらを見ているのは神魔や人間だけではなかった。

天使たちも、ただ、沈黙してそれを見下ろしていた。


「今、この場において代われる方は、あなたのみです」

「……!」


天命。

神からの命令。

それが下れば、エシェルもまた、従わざるを得ない。


いや、その言い方は間違いか。

従うのがそもそもの彼らの勤めだ。


次は、エシェルを殺さなければならないのか……?


その言葉を聞いた特殊部隊の人たちの間にも緊張が走った。

だが。


「そうか……」


エシェルは静かに言って、傅く天使から視線を上げた。

そして、こちらを振り返る。


「秋葉」


名を、呼ばれた。


「さよならだ」

「え……」


その意味がわからず、オレはエシェルの顔を見る。

相変わらず、飄々とした顔をしている。

だが、もう見慣れたその顔には、静かな笑みが浮かんでいた。


「僕は天界に帰る。忍に司、それからキミカズも」


呼ばれた面々は、その顔を見た。

友人である、エシェル・シエークルのその顔を。


「ありがとう」


それだけ言うと、エシェルは再び踵を返し、天使たちに向かって手を薙いで振り仰ぐ。


「全軍、撤退だ。天界へと疾く戻れ」


聞くや、上空にとどまっていた天使たちは無言で翼を返し、空へ去る。

閉ざされかけていた結界の向こうへ。


傅いていた天使もまた、大きく羽を打つと追って高みへと昇っていった。

神魔たちは、それがごく当たり前のように、無言で道を開ける。


「エシェル……!」


オレは、去ろうとするその背につい手を伸ばし、名を呼んだ。


バサッと今まで散々、恐怖の対象でしかなかった音がすぐ目の前でして……


「au revoir mon ami」


彼は一度だけ、その片翼を広げ、オレたちに手を差し伸べると、微笑みを残して空へと消えたーーー







全世界に同時多発的に、現れた天使たちは


その日、同時刻に世界中のすべての場所から、理由(わけ)もなく消えた。




そして、以後、二度と地上にその姿を現すことはなかった。


エシェル・シエークルという人間の姿も、またーー……

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