11.歩みを始め【その境界は】

「! 堕ちるって……エシェル……ウリエルが!?」

「アスタロトさん、視えているんですか?」


視える、といったのは「時間」の話だろう。

見上げるその翡翠色の瞳は、ただ何かを見る、といったふうではなかった。


「そうだね、ボクは彼に関わっていないから。あと、この辺りは今とても空間が不安定になっている。魔界のそれと境界があいまいだ。ボクの制約も、たぶん多くの神魔の制約もはずれかけている」

「それって……」


そんなことになったら、もつのだろうか。この街は。この国は。

この国が陥ちれば、もう世界は終わったも同然ではあるのだろうが……


「それから、彼自身の力が弱っているから、ボクの時間見に抵抗力がない。それどころではないのだろうけれど」

「……!」


見た。

堕ちる。

霊的な意味での堕天、という意味ではないのだろうがエシェルもミカエルにつかまり、片翼をもぎ取られるその瞬間を、オレたちは見てしまった。


落ちる。

落ちてくる、この地上に。


「……」


アスタロトさんはその短い時間、それをただ黙って眺めている。いつものように傍観者として。


「……!」

「やめておくんだ」


駆け寄ろうとしたオレの肩を掴んで止める。

その声は、あくまで静かだった。


…ッ


無線の切り替わる、小さな音がした。


『総員用意』


司さんの声だった。


エシェルが、そのまま地に落ちる。

追撃しようとミカエルを先頭に大挙する天使たち。


『攻撃開始』


そして、その高度が地上近く。ビルの4,5階に達した時。


「!!」


待機していた特殊部隊が一斉に、四方八方から中央に集まった天使たちを強襲した。

森さん……いや、「スサノオ」だろう。明らかに神魔でも白服でもない姿の女性が刀を手に、巨狼を従え、真っ先に最奥に陣取るミカエルへと到達する。

中途の天使たちを止まることなく無慈悲に斬り捨てながら。


「人間ども……!」


一牙を浴びながらも最中央にいたミカエルと、素早いものは翼を打って、再び高度を取る。

その上空には神魔、地上には人間。

一気にその数を減らした天使たちは、そこに挟まれ、ただ、中空にとどまった。


一瞬。


水を打ったような静けさが訪れた。



「ミカエル、君にしては随分と慈悲深いことだね」


酷く傷ついた側の肩を抑えるようにして、地上に落ちたエシェルが立ち上がった。


「彼らはみんな、生きているようだけど、一体どういう風の吹き回しだい?」

「……背徳者ウリエル。よもや人間に助けられるとはな」


中層ギリギリで天使を討った何人かのゼロ世代の人たち、司さんはエシェルを守るようにその前に立っていた。

司さんがちらと振り返り、その姿を確認したのをオレは見る。


「背徳者、か。僕はまだ何も裏切っていないし、それを決めるのは神だ。違うのか」

「……」


問答は何のためなのか。

意味はないのだろう。

オレたちにとっては。

けれど、彼らにとってそれはとても大事なことのように思えた。


「僕は四大天使でありながら、行き過ぎた人間の天使信仰の見せしめに、その地位を剥奪された」


ふいに、そうミカエルに向けて語る、エシェル。

いや、今はウリエル。というべきなのか。


「今でも僕は西の地では聖人扱いだよ。おかしいと思わないかい? 人間が勝手に信仰を過熱させて、人間が勝手に同族への見せしめに天使の地位を剥奪する。君はいまでも信仰の対象のようだけれど、どんな気分なんだい? 神を差し置いて信仰され続けるというのは」

「……」

「神にでもなったつもりか。僕を断罪できる権利は君にはない」


今の話が本当だとしたら、人間も、目の前の天使長もただの傲慢だ。

ウリエルは頑なに。だが、その本質を見続けている。


……だからだろうか。

『ウリエル』に人を見続ける役目が与えられたのは。


「……私は天使長ミカエルだ。故に、同じ四大天使の断罪の権限は、私にある」

「ふん、君のその力づくなところは僕とは合わないね。いいよ、やってごらん。君が正しければ、僕は断罪されるだろう。それが摂理というものだ」


天命。

エシェルにとってのそれは、唯一絶対のものだ。

オレたちの解釈とは違う。

だからこそ、譲れないのであろう。


一触即発の気配を見せるミカエル。


次に誰かが動いたら、最後になるのかもしれない。


そこへ。


「君がウリエルかい? はじめまして」



オレたちのお守りが終わったと見たのか、彼の地獄の公爵は音もなくその隣に降り立った。

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