8.降らせ新たな【語り】

「『契約』はしない。命令も、服従させるようなことも、オレにはできない」


それは忍がいつもしていることだ。忍は従わせるために契約をしたわけではないし、そんな力の使い方はしない。けれど、おそらく、ウリエル自身からも求められているのは「契約」だ。それをすれば一番早いのだろう。


でもそれは違う。


オレは思う。


「それが君の出した答えか」

「悪い。オレ、日本人だからな」


そういう教えの中で育ってきた。だから、たぶん間違ってはいないんだと思う。


「願いはもちろん、ここにいる全員が無事に今日を超えることだよ」

「……」


はっきり思ったわけでも、言葉にしたわけでもない。

けれど、その「全員」の中にはエシェルも含まれている。きっとそれは、事情を知る人にはわかることだろう。


「そうか。……君らしいな」


ウリエルはとん、とはじめて地面に足をつけて地に降りた。


「君は僕の尊厳を尊重している。なら、僕のすることはひとつだ」


そのまま背中を向けて腕を振る。たった一度だけ左から右へ。

ざ、とミカエルの炎がかき消えた。


大通り中央の上空に、こちらを見下ろすミカエルと、それから距離を取るように天使たちとビル際で交戦を続けている特殊部隊の姿があり。


ミカエルの見下ろす先。人とほとんど変わらない姿をしたウリエルはそれよりずっと小さく見える。


「ウリエル……貴様は裏切るのか」

「またそれか。聞こえてなかったのかい? 僕は彼らに命を救われているんだ。報恩の問いは裏切りには値しないだろう」

「そうか。ならばそこを退け。その者は、お前に何も願わなかった」


ふ、っとため息を若干大げさについて直後に聞こえたのは羽音だ。

ざ、と音を立てると羽ばたきもなくウリエルはその場を離れていく。

図らずしも時間稼ぎにはなった。オレたちと神魔を除く全員が退避を終え、ベースの設営ラインは下がっている。


「秋葉、お前な……」

「最初から当てにしてないだろ。悪いけど、計画通りやってくれないか」

「『ウリエル』まで相手にしてか」


さすがに大天使が二人になったのを見て、ダンタリオンの顔から余裕の色が消えていた。浮かぶ笑みは苦笑、失笑、そんなふうに変わりそうだ。

ミカエルひとりでもこれだけ防衛に力を割くには訳がある。「信仰」。それはさっき聞いた話だ。

けれど逆を言えばミカエルさえ仕留めれば、なんとかなるという話でもあり。


その相手が、二人に増えてしまった。



「相変わらず弁が立つ」


しかし、上空では天使ふたりの会話が続いていた。

会話はあちこちに敷かれた無線を通じて入ってきている。音声が響いてきた地下への道を振り返るが、そちらも静まり、清明さんたちもそれに聞き耳を立てていた。


「人間を丸め込んで契約か。そこまでして一体何になる?」

「人聞きの悪いことを言わないでくれないか。契約をすればこちらが行使される側だ。一体、何のメリットがあると?」

「罰も咎も逃れることが出来ると考えていたろう」

「なぜ僕が咎を負う必要が?」


飄々としたウリエルの声に対し、ミカエルの声音には明らかに低く怒りを孕んでいた。あるいはウリエルのその態度が、ミカエルの怒りを煽っての結果なのかもしれない。会話は続いている。


「私の邪魔をする気か」

「君こそ。僕には僕の役割がある。君たちと違うそれが」


対峙するような大天使たちの会話に、神魔もそしていつしか上級天使たちもその動きを止め、成り行きを見守る。相も変わらず下級天使たちは無機的に人間を襲っているが、それだけなら特殊部隊にとっては大した脅威ではない。斬り捨て、彼らもそれを注視した。


「僕は君の邪魔をする気はない。けど、君が僕の邪魔をする気なら、僕も僕の理由でそれを排除しなければならない」

「排除? できるわけがない」

「君のやり方は力づくだ。どうりで僕の役目が君には渡らないはずだ。同じように僕に君の持つ役割は無理だろう」

「わかっているのなら」


誰もがそこに決裂の予感を抱いた。直後だった。


「地上もろとも断罪する」


堕ちよ、という一言とともに再び熱波が予兆になって放たれる。目の前が、空が朱に染まる。深く透明な赤に。


『結界内範囲を超えた予測攻撃です!』

『白服はすぐさま最大距離で退避しやがれー!!』


局長の叫びが肉声と、無線を通して重複して響く。一斉に視界の白い影がその場から跳び退った。


炎は空の高みから、地上まで覆いつくす。

それほどの勢いだった。火の海、というのはこういうことをいうのだろう。

けれど炎上しているのではない。満たされている。

海水のように、水面から、最も深い場所までが。

そして。



……海の底は、本物の海と同じく、静かだった。

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