7.裁きの炎を【守り】

熱波の到達はただの前兆だ。炎の塊が降ってきたのは一瞬遅れてからだった。

風が地上に吹き下ろしたかと思うとそれは豪風になり、だがしかし更に遅れて熱は去る。


すぐ間近に逆巻く炎の渦が天井を、壁を作っている。神魔たちが総出で直撃を防いでくれていた。

そこは完全に炎から隔離された空間。あるいは炎そのもので隔離されてしまったここ。非現実的な、だが恐ろしい光景が周囲で轟々と展開されている。


「地下入り口の結界強化に移行しろ!」

「前線下げるぞ、お前ら」


これも想定内なのか。いずれ望ましい事態ではなかったが、撤収ではなく地下鉄構内への踊り場に必要な機材が急ピッチで下げられていく。

どこまで保つのかはわからない。けれど野ざらしと違い地下への通路のそれぞれにはすでに術者が張り巡らしているであろう結界の……おそらく要石のような役割をするだろうものが随所に貼り付け、あるいは埋め込まれていた。

きっと結界を更に盤石なものにするものなのだろう。


「くっそーいつまで耐久させんだよ、面倒だな」


オレと忍はそちらへの退避は最後まで引っ張って、そこに立っていた。顔見知りの神魔も多い。チ、と舌打ちしながらぼやいたのはダンタリオンだ。

ぼやくくらいにはまだ余裕はあるらしい。


「ミカエルの炎は範囲は狭いけど強力だからね。守りやすい場所への引き上げは正解だけど、防ぐ側にはとてつもない労力だ」

「オレはこういう地味な防衛は向いてないんだよ! お前は言ってる暇があるならそいつらくらいは面倒見とけ!」


振り返らずに言われる。オレたちの近くにいるアスタロトさんは反論があると思っていなかったのか、おや、という顔をしたがふと何かに気付いたように顔を上げた。


「まずいね。もちきれそうにない」


神魔合同の防衛ライン。その呟きはそれが崩壊することを示唆している。総員が前線を下げるまであと少し。その先はさらに強固な結界が厚く守りに入っているから問題ないようだが……


「機材は放れ! お前らも地下へ降りろ!」


ダンタリオンが叫んだ。同時に神魔も離脱の気配を見せる。オレたちもさすがにここにいたら手遅れになる。忍と顔を見合わせ駆けようとするが……

踵を返しかけたそこに、白い羽が降った。


「!?」


離脱しかけていた神魔たちの形相が変わった。それは炎の向こう、空ではなくこちらに向けられたものだった。

突如として、炎を遮るここに現れたのは……


「エシェル……いや、ウリエル……?」


エシェルその人だった。思わず呼び直したのはその姿がもはや人ではなかったからだ。

結界内に忽然と現れた「天使」の姿を認めた順に緊張が走るが、構内のざわつきは逆巻く炎と風の音でここまで届くことはなかった。


「ウリエル……てめぇ……何で……!」

「僕は彼らには大きな借りがある。それを返しに来た」


借り?

ウリエルは周りの神魔に自分の意図だけ告げてこちらに向き直る。こころなし。空気が変わった気がする。感じていなかったはずの熱波が、更に遮断されたかのような感覚だ。それが正しいのかはわからない、が。


借り。

思い当たるのは一つだけ。


どうしてエシェルがここにいるのか。

堅牢な地下に幽閉されていた天使。それは


「オレが逃がした」からだ。


最後に会った時、頼まれたのはそれだった。来るべき時が来たら「そこ」から出る算段が欲しいと。忍にも一緒に聞かせれば早かっただろう。けれど忍は危険な方法を取ってでもそれをしようとするだろうことを見越して、エシェルは聞かせなかった。


オレは、できるだけ危険のない方へ逃げる。だから、ほうほうの体ではあったけれど清明さんを相談相手にすることで「その時が来たら」エシェルが自分でそこを出られるように細工をほどこした。

オレがしたのは、清明さんができないこと、あるいは「やってはいけないこと」。手引きを受けて手伝いくらいではあったけど、ここにいるということは上手くいったんだろう。


誰にとって、何がどう上手いのかもわからないけれど。


「秋葉、選びたまえ」


オレの目線は少し上。中空にとどまりながら彼の大天使はこちらに手のひらを向け、そう語ってきた。


「僕は君に、君たちの言葉で言うところの命を救われている。僕にはそれに報いる義務がある」


何か気づいたのか、忍が小さくあっと声を上げた。けれど、その選択権を持っているのはどうやらオレだけのようで。

その説明を聞いている暇はなさそうだった。


「ひとつだけ、願いを聞いてあげるよ。ただし、ひとつだけだ。秋葉、君の願いは何だ」


願い。

ここですべき願いはおそらく、ひとつだろう。あの天使たちを退けること。


けれど一人でそれができるか?

それにそれはエシェルの、ウリエルの帰る場所を失くすことになるんじゃないだろうか。


「人間だから」そう考えてしまう。


言い淀むオレを前にダンタリオンが再び舌打ちをしてそれを伝えてきた。


「『契約』だ! 秋葉、そいつと契約しろ!」


神魔の張る結界がみしりと音を立て、歪み始めていた。


「契約?」

「秋葉、天使もまた、ボクら悪魔と同じように契約ができる。契約さえしてしまえばいくらウリエルが君の言う通りに動いたところで、ルール違反にはならないだろうね」


それは契約さえすれば、天使を従わせて天使を殺させてもその罪は問われない、ということか。

息をのむとともに忍を見た。少し困ったような顔で首を振った。一体、どういう意味なのか。


「オレは……」


自分で答えを出すしかない。消去法なのがオレらしいと思うが、僅かな時間で選べる答えは一つだけだという。心配そうに見るいくつかの視線を感じる。


「今度は間違えない。前は忍にその役を渡しちゃったからな」


ソロモンの指輪。

あの時はオレが問われていたのに、応えなかった。


是とも非とも、だ。


だから、それだけはもう間違えない。

こんな時なのに、忍に向かってそんな言葉と一緒に苦笑が漏れた。

ずっと心の中で引きずっていたのだろうか。


選ぶのは、自分。


霧が晴れたような心地すらする。


オレは顔を上げて答えた。

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