序.おわりの はじまり(2)

「秋葉にそんな力があるとでも?」

「力はない。だけど、それが事実だ。エシェルも聞いただろう? 彼がどうしてこの国と神魔を繋いだか」

「……魔界の公爵につかまって、無理やり交渉役に立てられた」

「ははは、それも合ってるね」


その話を聞いた者ならば、誰でも偶然だと思うだろう。

誰もが「他の誰かができたこと」と思うだろう。

実際、秋葉自身も災難だとかその程度にしか認識していない。


けれどそれはやっぱり違うとキミカズは言った。


「その魔界の公爵。僕たちが誰とも繋がっておらず、天使狩りに悪魔が跋扈していた頃……異形の魔王みたいな恰好をしていたそうだよ」

「彼の性格を鑑みれば、TPOに合わせたとかそれっぽく見せたというのはあるだろう」


それもその通り、とキミカズは笑う。


荒廃した街。

人を殺す天使。

天使を殺す悪魔。


曇天の暗い空。


「さぞかし、恐ろしい姿だったろうね」

「君はそれを見ても平気だと思うけど」

「そう、だけど普通の人はそうじゃない」


キミカズは、悪魔本人に聞きました、とばかりに続きを話す。


「見た瞬間に隠れる。話しかけられた瞬間に逃げる。司みたいに理性的にそれを選択できる人間もいるだろうけれど、大体が悲鳴と一緒にさよならだ」


魑魅魍魎を見た時に、ふつうの人間がどんな反応をするのかは、おそらくキミカズはよく知っている。

それが悪魔になったところで、想像に易かった。


「でも彼はあきらめた。あきらめることにより冷静になった。……そして、異形の怪物の話に聞く耳を持った」

「随分な買いようだ」

「話は聞かなければ何も進めないよ。事実、それができたのは、秋葉が最初だったんだろうからね」


なるほど、その通りだ。

するとあの悪魔は、話を聞く人間を探すためにわざわざ姿を変えて試していたというのか。

今になってみれば。

ない話ではないなとはエシェルは思う。


「凡庸であると、誰もが勘違いしている。彼は凡庸じゃない。特別な力もないし、普通ではあるけれど、僕にはそれが一番難しいことだと思えて仕方ない」

「君は『普通ではない』人生を歩んできたわけだからね」

「普通の人生ってなんなんだい?」


楽しそうに。

聞かれた。

エシェルは少し、呆れたような顔をする。


「どうしてそんなに楽しそうなんだ」

「どうしてかな。ここが、僕たち人間が、何もないと思っていた世界の端っこだからかな」

「……要するに、君は境界線を超えたいし、すでに超えているし、消したいんだろう?」


そんな過去の話を聞いたそれを、要約するとそうなる。


「別に消したいわけじゃないよ。あっていいと思う。ただ、出入りは自由になったらいいよね」

「よくないよ」


そんなことになったら大問題だ。

ルールも生態系も違う、というかそもそも文字通り次元が違う。

問題は山積なんてものではない。


言わんとしていることが伝わったのか、あっさり訂正されて返ってきた。


「出入りが自由になっても、問題がない時代が来たらいいね」

「……来ないな」


それはそれで、別の問題が発生する。色々と。

頭のいい人間……もとい、存在は可能性を瞬時にして多様に考える。


「この国は、元々そういう気質だからそうなる。でも世界中がそうというわけじゃない。境界は異なる者同士の区切りを示す。……共存し得ない関係も確かに存在する」

「わかってるんじゃないか」

「人間の国の話だよ」

「魔界も天界も、異教の神も結局人間社会を拡大したような仕組みだと思うけど」

「……だからそれは君がこの国の人間だから至る結論だと」


振り出しに戻った。


「それで、普通っていうのは一体何なんだい?」

「……」


もう一度聞かれて、エシェルはただ、黙した。

それから、答える。


「それは君たちが、各々決めることだ」


普遍的な答えだった。


「秋葉は、僕たちと神魔をつなぎ、そして君と僕をつないだ。僕らはみんな境界の際にいて、繋がれた者たちはここに集う」

「大げさだな。異聞録でも記すつもりかい?」

「いいや、長くそこに立っていた君が一番分かっているはずだ。ここに来た僕たちは、みんな狭間にいた者たちだ」


キミカズはそういって、柵から手を放して体を起こす。

強い風を正面から受け、装束は大きく翻った。


「面白いよね。秋葉の場合は真ん中に行こうとして、いつのまにか端っこに来ちゃってた感じがあるけど」

「それは彼らしいな」


くすりと笑うエシェル。


いつも人間社会の真ん中の方に行こうとしているのに、なぜか際どいところで、けれどそこは決して底の見えない崖が口を開けているわけでなく、ただ隣人の敷地だったという感覚。

それがキミカズの言葉から伝わってきた。


「僕らには力がある。それは僕らにそれぞれの役割があるからだ。……そろそろその勤めを果たしに行かないとね」

「そうか」


そして『清明』は風をはらんだ装束を大きく翻した。


「もう一度聞きなおしてもいいかい?」


キミカズが聞く。


「エシェル、君には今、何が見えている?」


エシェルを一度だけ振り返る。

けれど、キミカズはその答えを待たずに、微笑みだけ残して消えた。


「……」


役割。


それを果たすべき時が、来たんだろう。


「僕も行かないとな」


ザッ、と風が鳴る音がした。

その時には、すでにそこには、何者も存在してはいなかった。

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