EP15.スサノオ
いつもの部屋。
家族とともに日常を送ってきた家。
一日を終えて帰って来ればほっと一息つける、その場所。
それがいつにない緊張感に包まれていた。
いつ以来だろう。
そういえば、両親が帰ってこなくなった「あの時」。あの時もわけもわからず命の瀬戸際で何日もそんな状態が続いていた。
けれど、あの時は森が……片割れがいたから日常を日常として続けることが出来た。
天使の来ない夜は唯一の安らぎの時間だった。
「何をそんなに緊張している」
その森が、正しくは森の顔をしたそれがらしくない表情で(かお)で口の端を吊り上げてこちらを見ていた。
「スサノオ……お前のことは昼間に聞いた通りだ。けど、こんなふうに出てくるなんて、聞いてないぞ」
森の中のスサノオが、森と、森を通した忍と意思疎通ができると聞いたその日。
森と一緒に帰宅して、その話をしている最中にそれは突然現れた。
「出てくる気ならいつもで出られるということだ」
その一言に更に司は警戒を示す。「協定」。森はそんな言葉を使っていた。
森はスサノオを否定しない。必要な時は身体を貸す。だがそうでない時は乗っ取ったりしないことが森とスサノオの間で交わされたルール。
ぴりつく空気に、スサノオがその笑みの質を変えた。どこかあの魔界の大使である公爵に似ているような見下すような笑みであったが、それがまっすぐに変わる。
「案ずることはない。ルールはルールだ。俺にとっても悪い話ではないから呑んだ。この身体は俺の身体でもある。俺が守ってやる」
司とは話す気がないようなことを言っていたが、どこでどう気が変わったのか。目の前の「スサノオ」は一対一で司と話をしている。
「残念だが、俺が森を守りたいのはお前の支配からだ。そうして主導権を取るつもりなら、何度でもそれを封じる手段を考える。そうしたがっているのは、俺一人じゃない」
「支配、か」
ちょっと考えるように笑みを消す。すぐに返答があった。
「それをしないためのルールを呑んだと、今、俺は言わなかったか?」
「だったらなぜ突然にそうして現れている。その気はないんじゃなかったのか」
ふん、とその神は森の顔に非ざる表情で息をつき、
「お前とは話したくない。だから一度で済ませてやろうと言っている。シノブと言ったな。『あれ』は異国の神を行使する。敵に回すと厄介だ」
なぜかいきなり忍の話が出てきた。訝し気に眉を顰める司。
「だから仲良しごっこはしておいてやる」
「『ごっこ』。それがルールを守る理由か」
「それだけじゃないがな。俺にとっても悪い話ではないと言った。俺を無理やり抑え込んでいたお前たちの言いなりになるわけじゃない。その点でも『協定』は守ってやってもいい話だ」
だが。
と、スサノオはつづけた。
「肝心の器がそれを認めてもお前たちがそれを破ってきたら話になるまい? この娘の命が守られるかどうかはお前たちの出方次第だ」
それはスサノオの尊厳を認め、自由を与えること。
危険ではあるが、森はそれをやってスサノオの暴走を止めている。
過去の例があるから相手の尊厳を奪い、自由を奪う。そんなことをすればますます反発が高まるのは人間だって同じだ。
その性(しょう)は善とも悪ともつかない。破壊の神であり一方で英雄でもあるスサノオのそれを見極めるのは難しい。しかし
「……こちらもその条件を飲んだら、森を支配することはしないか」
もう一度、聞いた。
同じことを繰り返したのは、その意味を理解した上で条件として成立するか、という意味だ。
反故にしたらただでは済まないという強い、確認でもある。
「さすが片割れだけはある。神を前になかなかに、芯の通ったことだ」
悪くない、と小さくスサノオの口元が動いたことは、読唇の術を持ち合わせない人間にはわからない。いやいやと言いながら、見込むものはあったらしい。
「この娘も同じだ。芯が強く、抵抗力がある。身体(しん)と心(しん)に、神(しん)を宿し、その名は森(しん)と来るとは、まったく不可思議な偶然ではあるが」
「森はどうしているんだ」
「無論、聞いている。俺とお前の会話。その方向次第では、このまま出てこられなくなるかもしれないがな」
暴れもしないから、抑える必要もないのだとスサノオは言った。
「……今はお前の力は必要ないだろう。森と話がしたい」
「いいだろう」
そして、突然に現れた人格は、忽然と去った。
「森?」
「だよ。初めて直接話をした感想はどう?」
表情から本人であることは全く持って、明らかだった。突然、乗っ取られていたのにこの平常心。逆に呆れてもおかしくないくらいだが、司はそれを見てなんともいえないため息をひとつ大きくついた。
「どうもこうも……いきなり入れ替わらないでくれるか。心臓に悪い」
「そっか。なんかもう、ほぼ同居状態だから私は違和感あんまりないんだけど……やっぱり外からじゃわからないもんね」
だが、空気に流されるだけでは何も話が終わらない。司は心を鬼にして戒めるような口調で、だが静かに低く聞いた。
「本当に身体を貸すという提案を、自分からしたのか」
「そうだよ。だって、必要なことだから。私が選んだ。それじゃダメ?」
「……」
そう言われると。
何よりも自由意思を尊重する森。そして悪魔たちの契約者となりながらも同じ道を先に行っている忍。
すでに何度も見てきた。司はそれを、ふいに思い出した。
「……ダメじゃない」
甘い、と思われるのかもしれない。けれどこれはそういうことではなく。
誰にわからなくても、自分が知っている。だからそれでいい。
今はそう思う。
「司がそう言ってくれるなら、良かった」
何よりも。
森が自分の同意を得て笑ってくれる。その姿が司の強張りかけていたすべてを緩めてくれることにも違いなかった。
そして、それが。
彼女らの無防備ともいえるその理解が、強張っていた事態もまた、溶かし進めてくれたのも確かだった。
スサノオ……果たして最後のその時が来た時、彼はどう動くのか。
「家族」として最大限の力で見守り、また守ることを強く想いながら司は、いつも通りの部屋で、いつも通りの片割れの後ろ姿を見やっていた。
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