13.友人であった者

と思ったんだが。


「エシェル、元気?」

「……この状況で元気だったらただの馬鹿だ」


忍が全然考えていない。

いや、考えてるんだろうけど、むしろこういう時は考えていない。


オレと忍は割とそれからすぐにエシェルの元を訪れていた。


「何をしに来たんだ。来るのはよくないと言っただろう」

「差し入れ」


後半は完璧に無視して、忍は質問のみに応えた。

そう、差し入れだ。

こちらから手を出せることはわかったので、そんなことを思いついた忍。


今日は、マスカットを持ってきている。


「……食べられないんだけど」

「秋葉くんが剥いて食べさせてくれます」

「いや、そこはせめて君がやってくれないか」


そうだな、いくら状況が状況でも、男にあーんとかされたくないよな、なんとなく。

オレは諦めてマスカットを剥き始めている。そのまま食べることを想定されているので、とても剥きづらい。


「のどを潤すくらいは悪くないでしょ? はい」


現実的な環境改善の手段と理解したエシェルは、その気持ちを汲んで大人しく差し出されたそれを口にした。


「……おいしい」

「まぁ何日も飲まず食わずじゃ……」

「前に人間生活長かったって言ってたし、まったくこういうのが無くてもいいってものでもないんだよね」


その辺の感覚は人間が、気分転換に飲み物を口にするのと一緒だろう。

神魔たちだって、よくお茶を飲んだり酒を飲んだりしている。


「君たちの気持ちはありがたい。でも本当に、もう来なくていい」

「どうして? 立場的な問題?」

「前に忍が言ってたけど今度はオレが言うよ。人間舐めんな」


なんとなく、言いたくなったので言いたいことを言ってみる。忍のフラットさの延長か、空気は全く険悪ではない。


「こういう時に本性が見えるんだよ。知ってるだろ? 何かあった時に手のひらかえす奴とそうじゃない奴がいることくらい。オレたちの本性ってなんか、裏とかありそうなの?」

「……」


少し黙っていたが、エシェルはため息とともに口を開く。


「君たちが来ても現状は変わらない。正直に言う。僕はこんな姿を君たちに見せたくない」


それは、エシェルの立場としての気持ち。

それに気づく。

誰だって、自分がらしくない姿をしていたら、それを見られるのは嫌なものだろう。

オレたちはよかれと思って「余計なお世話」をしていたことになるのだろうか。


「……エシェル」


忍が聞いた。


「そんな姿、だとしたらどうして? 哀れみの目で見られるのが嫌だ? それとも弱者として慈悲深く手を差し伸べられるのが嫌?」

「!」


オレはすぐには理解できなかった。けれど次の忍の言葉を聞いてそれをはっきりと理解することになる。


「それって、エシェルたち天界の人が得意なことだよね。自分たちがそれをしても、自分がそうされるのは嫌なの?」

「……」


そう、ではないだろう。

他の天使であれば、の話。

それは絶対の教義そのもの、神の愛とか憐憫とか、そんなものは十八番(おはこ)で守るべき鉄壁のルールでもあるのだろうから。


エシェルは忍の名前を呟いてから、うつむいたまま、小さく続けた。


「僕はどうやら、長く人間界にいすぎたらしい」

「別に反省することはないでしょう。ここにいるのがエシェルだから私たちはここにきているわけで」

「そうだな。それこそ『人間舐めんな』だろ」

「秋葉、何度も言うと語彙力ないと思われるから」


そして、何か吹っ切ったように顔を上げたエシェルのそれは、また、以前のものに戻っている。と言っても、真剣なまなざしではなくむしろ真剣を装った痛いやつだ。


「そうだな、もう少し君は本でも読んだ方がいい」

「……図書館で借りても延滞するのがオチだから」

「僕のところにあったものは勝手に持って行っていいよ」


いや、それ難しそうだし下手したらフランス語とかで書かれてないか?

意図はともかく本気、としか思えない発言につっこみづらい。

その前に、エシェルが話を元の道に戻した。


「君たちの言いたいことはわかったよ。でも本当に、これ以上はやめておいた方がいい。これは感傷ではない、忠告だ」

「……エシェルがそういうなら」


忍は今までの押しがうそのようにあっさり退いた。

けれど、忍には前回言いそびれていたことがあった。どれだけの時間、どんなふうに会えるのかわからなかったから、本当は一番に言いたかっただろうこと。


「一つだけ聞いていい?」


しかし、素直にはそこにたどり着かずに言の葉を口にする。忍らしい言葉で。


「エシェル、私のこと見舞いに来てくれた?」


見舞い。

目を覚まさなかったあの時だ。エシェルが大使館に戻る少し前の。

さすがにそう来ると思っていなかったのか、少しだけ目を見開いて、それからふっと口元に笑みを浮かべて答える。


「気づいてたのか」

「気づいたというか……不知火がね」


他にも気づいた悪魔たちがいるがこちらはあえて声には出さない。必要のないことだろう。

言葉は途中だが、忍は礼を言う。


「ありがとう。目を覚まさせてくれたんでしょう?」

「大したことはしていない」

「そんなことはない。わざわざ来てくれたんだから、私からお礼に来るのもおかしいことじゃないよね?」

「しかしもう今後は」

「わかってる」


だからこそきちんと言っておきたかったんだろう。礼も言えないままというのは、忍のような人間にとって気持ちの悪さを残すだけのものなのかもしれない。


「ならいい。じゃあ今度は僕からひとつだけ。秋葉。君にはお願いしたいことができたんだ。聞いてくれるか?」

「いいけど。オレ?」

「忍は外してくれ」


これで最後になるかもしれない。なのにお願いなんて言われたら、断れるわけもないだろう。聞くだけは聞こうと思うより前に、忍だけはずされるように言われた。


「……外さないといけないほどのことなの」

「君は頭がいいから、話を聞かれると目の届かないところで動かれそうで怖い。秋葉だけでいい」


司さんと同じこと言われてるぞ、忍。


「そういわれると逆に気になるんだけど……」

「エシェル、わかったから本当に聞かれたくないなら、それ以上は黙秘した方がいいと思う」

「そうだな、行ってくれ。忍」


そう言われ、少しだけ不承不承、という感じで忍は先にその場を後にする。

そして残ったオレは、エシェルからひとつの「頼み事」されることになる。

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