8.フランス大使館

時間が早かったこともあって、忍のことはオレが病院まで送り届けた。

その中途。オレの携帯にも着信があった。キミカズからだった。


「珍しい……この番号、誰かと思った」

『私用なんだ。公用の番号は記録も取られているから……どうしても話したいことがあって』


キミカズは忍が一緒なことも知っているようだった。

その口調は「清明さん」のものだったが、声音はあの穏やかなトーンよりは揺れていて、だから「キミカズ」だと思った。


『スピーカー、オンにしてくれるか』

「わかった。いいよ」


病院の敷地内。だがまだ屋外だ。すぐに忍にも聞こえるようにして、広い庭のような植え込みの下にあるベンチに腰を掛けて聞く。


『すまない、本当は今話すべきじゃないんだけどオレの方が落ち着かなくて』


本当に珍しい。清明さんがキミカズとして話を聞いてほしいといっている。他に話せる人がいないから話す、そんな空気はもう伝わっていた。

顔を見合わせながら、耳を傾ける。


『エシェルが大使館に戻った』

「!」


一言。一言だけだ。それでもう繋がってしまった。


「それで、さっき司さんが……」

『無線の相手はオレだ。相手が天使だと特殊部隊か術師か……領域が曖昧になる』

「それで、司くんが行った……?」


無線からこの連絡までの時間差は、迷った時間に比例するんだろう。だから話すべきじゃないといった。司さんも多分、あの時、迷った。

後で話す、というのはそういうことなんだろうと思う。


『知ってると思うけど、フランス大使館はすでに閉鎖されている。巡回しているのは一般警察で、エシェル……ウリエルはごく普通に大使館内に現れて、一室にこもっていると』

「……こもっている?」

『報告では包囲済みで、術師か特殊部隊、対応できると思われる「僕」たちに緊急手配の命令が来た。でも一般武装警察なんてウリエルなら相手にならないはずだ。包囲は意味がない』


いつになく、口調が早い。元々頭のいい人ではあると思うのだけれど「話したいこと」が多いせいだろう。聞くしかない。


「自分の意志で戻って、自分の意志でそこにいる……?」

『そうだと思う。逃げ回るつもりなんてないことは最初からわかってた。だから……』


言葉がそこで途切れて黙した。続きはみんな理解している。それを誰が口にするのか。躊躇の間がオレたちの間にもあった。


「だから、もう捕まるつもりで、大使館に戻った?」


答えを言ったのは忍だった。


『おそらくは。武装警察にも逃げるつもりはないと言ったそうだ。そして自分を捕縛できる人間を早く呼ぶことだ、と』


それで術師か特殊部隊、ということになる。話が繋がってきた。


「それで清明さんが司くんに連絡を?」

『僕は卑怯者だ。自分でエシェルを捕らえる覚悟がないから、司に決めさせた』


それでか。それで、清明さんとしての立場とキミカズの立場から、板挟みにあっているんだろう。口調もブレていることに、オレは今更違和感を覚えていた。


無理もない。キミカズはオレたちより前からエシェルのことを知っていた。まして、自分が誰かもわからずとも受け入れられていた場所ともなれば。


「清明さん、司くんはそれでも自分で行くって言ったんでしょう?」

『……』

「なら、それでいいんですよ。その後は術師に引き渡される。違いますか」

『……そう、その通りだ』


制約のかかった一般神魔と同じ扱いで、天使を捕らえておけるわけがない。おそらく強力な結界だとか、この国を護っているものと同じような力がないとそれは無理だ。厳重に、天使をとらえておく必要がある。普通ならそう考える。


「そこから先は清明さんの仕事。だったら、言葉の使い方は違うけど痛み分け、っていうことでフェアなのでは?」

『……』

「むしろオレ、何もしてない。全然フェアじゃない」

「私もお礼も言ってない。全然フェアじゃない」

『お礼?』


オレと忍は辛い役目を司さんと清明さんが分けていることに納得するも、自分たちは何も「痛み分け」とやらをしていないことを悟る。その言葉を聞きつけて初めてむこうから疑問が返ってきた。


「あぁ、その話多分始めると少し時間がかかるかと……でも清明さんにもキミカズにも聞いてもらいたい」

『……聞かせてもらえるかな』


それは先ほど判明した事実。正確であるかはわからない。けれど、人間にわからないものを魔界の公爵二人が証言しているのだからたぶん、間違いないのだろう。

下手に話をするとどう拗れるかわからない。だからどちらにしても清明さんには話しておこうと思っていたところでもある。


オレと忍は病室まで場所を移して、先ほど知ったすべてを伝えた。

そして。


「どう転ぶにしても、エシェルは捕まるんだよな。……その後、どうなるのかあとで教えてもらえますか?」


オレはキミカズに話しているのか清明さんに話しているのかよくわからなくなってきていたが、独り言のように言ってから、そうお願いをする。自分から積極的に知ろうなんて珍しいことだと、自分でも思いつつ。


『……』


思案する間。芳しくないのか。


「秋葉、言い方が悪い。今の言い方だと清明さんに聞いている感じになってる」

「うん、まぁそうなんだけど」

「キミカズ、あとでどうなったか教えて」


忍がきっぱりと言い直した。そうか。「清明さん」だと立場的に考えることになるのか。オレも、きっとキミカズも無意識なんだろうけれど忍はそれを看破していた。


『叶わないな、忍』


デバイスごしに苦笑する気配がする。


『わかった。いつとは約束できないけど連絡する。必ず』


キミカズ、と呼ばれたことで躊躇した答えが出やすくなったらしい。その声は初めに電話を受けた時より、どこか晴れ晴れして聞こえた。

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