EP10.食堂のリサちゃん(前編)

大手企業には大抵社食というものが完備されている。

会社ではないが、省庁も例外ではない。


少し例外なのは特殊部隊の配された庁舎で、ここには訓練期時代は特に栄養管理の行き届いた専用の「特別メニュー」や時間外対応の食事が用意されていたことだった。


「なんか懐かしいなー。あんまり思い出したくないけど」


当時は新設されたばかりでゴタゴタとしていたところもあったわけだが、今は利便性の面から事務部門などと一緒になっているそれ。


「リサちゃんか……思い出すと芋づる式に、あの頃の地獄の訓練が蘇ってくるからな」


ゼロ世代の何人かが懐かしみながらも、ため息交じりになったりしている。

リサちゃんとは先代の食堂のおばちゃんである。特殊部隊が18人に絞り込まれ、組織として軌道に乗った頃、退職していった。


「懐かしむほど昔の話じゃないだろう。……なんでそんな話になってるんだ?」


昼を前にした同期の会話に司が珍しく自分から加わった。

リサちゃんのその思い出たるや……


「いや、これから昼だし食堂行ってみようかなって」

「でもなんか、リサちゃんの思い出が強すぎて、思い出したら行きたいような行きたくないような」

「あの人、訓練で何も食えないくらい疲れたところに無理やり山盛りの飯とか突っ込んでくるような人でしたからね」


そんな感じだ。


「俺なんてとにかく水分だけでも~ってテーブルで倒れてたら、いきなりヒレカツ大盛持ってきてその上にエビフライ乗せてくるし。トドメにタルタルソース攻め」

「仕方ないわね、みんなには内緒でねvってやつだろ」

「一応、筋力つけるためのメニューだったんだよな? なんで油ものなんだよと」


二十代前後の男子は、みんなそういうものが好きだという偏見が多分にありそうだ。


「食べないとガンガン来るしな。無理やり胃に突っ込んだから、俺、吐いた」

「俺も」

「俺もだよ」


なんのための食事管理だ。

……という光景が日夜繰り広げられていた思い出。


「でもまぁなんかみんなのおかんみたいだから、憎めないんだけどな。食べられるようになってきたら、息抜きになる場所だったし」

「リサちゃんはなんだかんだいって愛されていた。泉ピ〇子似だけども」


今時三角巾が、すごく様になっていた。そういう意味で。


「俺、一人暮らしだしあの頃はコンビニで何か買う余力すらないし食堂使うしかなくてさー」

「わかる。大体家に帰ったらそのまま倒れて、気が付いたら次の日の夕方だった、とかあるあるだったもんな」


それくらい厳しかったのだ。特殊部隊の第一期の訓練というのは。だからこそ食事の管理も身体を作る意味もあって、重要視されていた、はず。だが。


「司さんはさっさと弁当に切り替えて逃げてましたよね」

「……そこだけ真顔になって言わないでくれるか」

「ある意味、そこは本気で羨ましいと思わざるを得なかった。作ってくれる人がいることもだけど、選択の余地のない俺たちからすれば」

「謝る必要性はないと思うんだが、謝った方がいいのか?」


ほのぼの懐かしんでいたような雰囲気が割と本気で無意味に責められるような空気になっている。


「だって毎日疲れ切った胃に油ものですよ? アスリートの食事ってもっとさっぱりしていてタンパク質とか多めなんじゃないですかね?」

「それを俺に言われても」

「起きる気力もなくダレてたらいきなり揚げたての唐揚げをつっこまれた俺の鮮明な思い出を聞きます?」


リサちゃんは、口中やけどもいとわない。

司は黙って首を横に振る。


「司さんはあの頃の凄惨な食堂通いをしていないから、不平等を感じる」

「いまさらそんなことを言われても」


かといって当時そんなことを言われても絶対に、そこで付き合おうとかそういう話にはならなかっただろう。疲れている時ほど誰もがリサちゃんから逃げたがっていた。

しかし、そこでしかダレきった状態で水も飲めないという矛盾。


「それに俺だってあの人には捕まっている」

「弁当前まででしょ?」

「いや、弁当持参後も」

「そういえば、リサちゃんは弁当組になったやつらに出張サービスもしてたよな」


その言い方やめろ。


「弁当持って庁舎外に逃げれば済むことでは」

「そりゃ今なら可能だろうけど、そもそも食堂で倒れる日々を送っていたころにそんな余力が弁当組にあったと思う? ねぇ、司さん」

「そうだな。だから顔を見かけるとものすごい勢いで声をかけられた」


目に浮かぶようだ、と目の前で会話に興じていた三人が黙り込んだ。


『あら司くん、久しぶりねぇ、ちゃんと食べてるの? ダメじゃない! こんな量じゃ足りっこないんだから、これでも食べなさい!!!』


と言いながら、弁当箱からはみ出るくらいに……むしろ実際はみ出て机を汚染したわけだが、カレーをぶっかけられ、その上に例によってメンチとエビフライを山盛りにされたなんてことは割とあった。


断ろうにもその余力もなければそれ以前に相手は力押しで攻めてくる。

……誰も断れなかったのはそういう理由だ。

そんな時は誰もが顔色を悪くしながら黙ってそれを食すしかないのだ。


たまたま通りすがったふうなのに、カレーやらフライ系をどこから出した、など謎も多い。


「悪意はないんだよな」

「悪意がないのが一番怖いんだよ」

「俺たち、よく生きてたよな」


消化活動には実はものすごく体力を使う。動物が本当に具合を悪くすると食べるよりひたすら眠るのは、さきに食べるための体力を回復しなければならないからだ。


そこに、あぶらものをつっこまれた日には、胃もたれと吐き気で死にそうになるのは目に見えている。


人間というのはそれがわからないのか食べたら元気になるとか言いがちだが、本当に調子が悪い時は下手に食べないことも正解。


「でも今はふつうに俺、からあげ丼とか大盛で食ってるし」

「仕事柄運動もしてるし、太らないからな。好きなものが好きなだけ食べられるって幸せだよな」


概ね同意だが、体重は増えなくても血中なんとかが増えているかもしれないぞ。

特殊部隊の体調管理は文字通り生死を分けることもありそうなので、考えたい。


昼休みに入るチャイムが鳴った。

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