ウリエルの独白(後編)


諦めたと思っていた。

けれど時々妙に腹立たしかった。

本当に諦めたものに対してそんな風に腹が立つものだろうか?


諦めたと思っていた。けれど僕はそのことに気がついていた。

腹が立つということは、まだ、僕の中になにかしらの「期待」のようなものがあるのだ。きっと。


エシェル・シエークル。


この名前を使い始めてどれくらい経った頃だろうか。僕は何度目かの人としての人生の中で、国と国とをつなぐ仕事……フランス国の大使として他国への派遣を任命された。


その国に人として入るのは初めてだった。随分と恵まれている国のようだ。貧困問題と言いながら大抵の人間は本当の意味で食うに困らない。

大抵の人間は屋根のある家に住み、教育を受ける。

惜しむらくは自分たちがいかに恵まれているのかを理解していないといったところか。


ともあれ、この国は今まで見てきた国とは少し違う。それは僕ら天使の勢力下にない国だからだろうか。随分とおおらかで、おめでたい何とも言いようのない国だった。


しかし、多少国が変わったところで文明の進んだ国の人間は大してやることは変わらない。特に政をそらんじるものたちは大抵言っていることもやっていることも似通っていて、民のためと言いながら自らの保身に余念がない。

知恵というよりも権力を持つほうがこの文明社会にとっては厄介なことのようにも思う。


今まで過ごしてきた人々の国から離れて、異国の地でまた客観的に僕は人を眺め始める。


その矢先だった。


何の予告もなく、エンジェルス達は地上に降り立った。

エンジェルスは天界における第三階級。地上の浄化の任に当たる。


人間の淘汰が始まったのだ。


僕は人は愚かだと長い間学んできてしまった。

その結末といえば「この結末」は間違ってはいなかった。そう、自身が結論付ける前にどうやら誰かが答えを出したらしい。


地上を浄化する。


そもそもが楽園を追われた人間を、結局のところは許し続け、野放しにしてしまったそれが過ちだったというのなら、下されるべくして下された判断だ。反論の余地はない。


想定外だったのは大陸の東にある、なんの警戒対象にもなり得ないような小さなこの島国に、数多くの異教の者と悪魔たちまでもが集結しはじめたことだった。集った神魔は、エンジェルスを相手にそれぞれが抗戦の姿勢を見せ始めた。


更に信じがたいことに、この国はそれからまもなく、現れた神魔たちを受け入れ手を組み独自の防衛ラインを作り出した。

僕の役目は終わったかに思えたが、結局張り巡らされた結界から出ることもできずにそのまま人間としてこの国に残ることになる。


四面楚歌。


大量虐殺を行った天使たちは、人間にとっても恐怖や憎悪の対象でしかなく、異教の神と呼ばれる存在や悪魔は当然の如く敵だ。

この国はそれらのすべてを受け入れ神魔と称されたそれらと共存を始めた。


最も四面楚歌というのは、僕のことを知っている僕から見た状況で、天使としての僕の置かれた身の上に過ぎない。


僕は人間として、再びこの国の中から人を見続けた。

幾度か、張り巡らされた結界は緩んだが天啓(メッセージ)はなかった。これは一体どういうことなのか。


いずれ来る刻に備えよということか、それととも単に放任されているだけなのか。

いずれにせよそれがない限りは僕が動く権限は僕にしかない。僕は、人を見続けることを選んだのだ。

最も……天使ということが明るみになった時は即座に処断されかねないこの状況で権限も何もあったものではないが。


不自由だ。


いや、違うか。天使として動くことは殆どなかったからそれは変わらないはず。

少し息が詰まるかのようだ、が正しいのか。


けれどいつのまにか腹立たしさは消えていた。

諦めの一方で感じていた腹の底にじわりとわだかまり続けていたそれはなぜか鳴りを潜め、だが、僕はかつてそうしていたようにまた静かに世界を見始めた。

ただ、傍観者のように。


当事者とならなければ余計な感情など湧くはずもないのは、あたり前のことだった。


まるでガラス玉を通してみているようだ。実際人間の瞳というガラス玉を通してみているのだからそんなものだろう。



今日もこの国は神魔が闊歩する、平和な国だった。それを眺めながら、雑踏に消える。

あるいは人波に。


それが僕の、今の役目。


ただ、見続けるのだ。

時が訪れる、その時まで。

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