25.末路
何の音もしなかった。
ビルの方を向いて背中を見せたまま。
ただ、真っ赤な液体が一瞬だけ飛び散り、そして、そのまま、動かなくなった。
静まり返った空間で、誰もが呆然としてそれを見ていた。
じゃり、とただ一人、大きく動いて立ち上がる気配。
「本須賀さん……」
清明さんが呟いた。
「それが、あなたの因果というものなのかもしれませんね」
「因果なんて何もない。欲しがっていたからくれてやっただけだ」
つぶやきに答えたのは、十握剣(とつかのつるぎ)を携えた森さんの姿をしたスサノオ。
静かだった。
前回、司さんにいきなり切りかかったのとは違う。静けさをまとっている。
そのせいだろうか。
司さんも、何も言わないのは。
「それで、今回はどうする。供物を捧げたつもりならあんなものは受け取れない。見た通り、あれは何にも耐えきれなかった人間だ」
「……その身体を返す気は」
「ないと言ったら?」
司さんが初めて口を開くが、まるで感情を失ったように淡々とした口調だった。
「……今度ばかりはどうしようもないだろう。俺を他の奴に移してみるか? みんなあぁなる。どんな屈強な人間だろうが、化け物だろうが」
人為的なカミオロシは断念された。
つまり、すべてこういう結末になったからだろう。
あくまでその意思は降りる神にあり、器は壊れないものが選ばれる。
そういう、ことだろうか。
「秋葉」
ふいに忍が声をかけてきた。隣を見ると、まっすぐ前を見たままだ。
「私が行く」
「行くって……行ってどうするって」
言いかけたところで忍はポケットから、何か取り出す。小さな瓶だ。親指ほどの大きさのものが数本。
それを忍はその場で開けると口に含んだ。
「忍?」
それは何なのか。全て喉に通すと一瞬だけよろめきかけ、空いた小瓶は忍の手から転がり落ちて、路面に当たると小さな音を立てた。
慌てて横から支えたものの、忍はそれを拾うことはせずに、大きく息を整えてから顔を上げる。気のせいか、顔色が酷く悪い。
「切り札、だよ。森ちゃんの意思を尊重したのも私だ。私が責任を取る」
「責任ってお前」
そう言ってオレから離れたときには、意外なほどしっかりと歩き出していた。
森さん……スサノオの方でも、清明さんの方でもなく、特殊部隊……の前も通り過ぎて、先ほどまで戦場の真っただ中だった広い場所まで歩いていく。
その先には何もなくて。
ただ、その手前には「本須賀だったもの」もただ転がっていて。
……やはり突然の行動に、誰もがそれを見送ってしまう。
立ち止まったのは、本当に何もない場所だった。
大通りの中央で振り返って、忍はこちらを……いや、スサノオを見た。
「素戔嗚尊(スサノオノミコト)、今度は私が聞きます」
誰もがその意図を理解できずに、その声を聴く。
「その身体を、返してもらえませんか」
「否、と応えたら」
まっすぐに見返した忍に森さんの姿でスサノオも見返す。
忍は、再び呼吸を整えるようにして……
「返してもらいます」
コートの左のポケットからハンドサイズの端末を取り出す。
一見してスマートフォンと同じ形をしたそれは。
「!」
シジルが中空に現れた。
同時に十……はあるだろうか。
いずれ、一度に呼び出すには無理がある数だ。
それらが光の軌跡を描いて次の瞬間。悪魔たちが現れていた。
今度は、何が起こるのか。
もう、誰にも予測がつかない。つけられるはずもない。
「ふん、いくら悪魔をけしかけてもその程度では俺には適わないぞ」
人の姿ではなく、本来の姿で現れたそれらは壮観だった。
人間の体に獣の顔、あるいは複数の獣を合わせたような、大きさもまちまちの異形の姿で、普通の人間だったらそんなものが突如道を占拠したら、逃げ出しているだろう。
そんな悪魔たちの中の何人かの姿に、オレは過去の記憶を引き出した。
海で出会った空を舞う銀の鯱……フォルネウス侯爵に、アモン侯、ナベリウス……
いずれも侯爵クラスだ。
この国の、とはいえ神に対抗するには確かに戦力不足にはみえる。元々召喚されていたアモン侯はともかく、いずれも戦闘能力に長けた悪魔ではなかったはずだ。
それから、オロバスさん、蛇事件の時に会ったエリゴル、ボティスと言ったか、他にも「鳩」の姿をした名も知らないそれがいる。
「なるほどな」
「彼女はその可能性に気付いたらしいね」
いつのまにか離れた場所で見守っていたはずのダンタリオンと、アスタロトさんがすぐそばでそう言葉を交わしていた。
「方法、って……森さんを戻す方法があるんですか?」
一様に揃った七十二柱の面々を見て、二人に聞く。
「確証はない。けど、そうだね、力技よりは確率は高い」
「どうやって……」
「聞くより見とけ」
忍は、肩越しに背後に居並ぶ悪魔たちを見て頷いた。
それが合図だったようだ。
突如として……
空間がブレた。
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