24.そして……

先ほどとは打って変わった、奇異と恐怖の感情が辺り一帯を支配し始めている。


うつむいたままこちらに歩を寄せる。だが、傷は深くはないのだろう。

足取りはしっかりとしたままで。


「……本須賀……?」


他の隊員ほどではないにせよ、警戒の構えを取っていた南さんが確かめるようにその名前を呼んだ。

顔を上げる本須賀の姿をした「それ」。


「はい」


その顔は、笑顔だった。

本須賀葉月、十八番(おはこ)の自信にあふれた顔。

一瞬にして違和、そして緊迫感が飛んだ。


「まさか……自我があるのか」

「言ったじゃないですか。森さんは一般人。器としては私の方がふさわしいんでしょうね」


そうして、不自然なまでの距離感でオレたちの方に近づいてくる。

やはり返り血、ではない。血まみれなのは、自分の血のようだ。

痛みを感じていないのか、何事もないようにそして、すでに通り過ぎた最前線にいた司さんの方をくるりと身体ごと振り返った。


「白上隊長。この剣、このまま私がもらっちゃってもいいですよね?」

「……」


しかし、司さんは何も言わない。

制御できるなら、制御できる人間が使った方がいい。

それが当然に思う。

森さんだって、こんな目に合わずに済む。


なのに、何も、言わない。なぜなのか。ただ、感情の消えた目で、本須賀を見ていた。


構わずに本須賀は続けている。


「これで妹さんも危険はないし…… ?」


ふと、その顔に違和感が生じたのはその時だった。

おそらくは全員がそれを見た。


ピッ、と頬に新しい傷が走って赤い線を描く。

しかし、本須賀が感じた違和感は「それ」ではないようだ。


笑みが消えた顔で、再びこちらを振り返る。

そして、ぎこちなく意識を失ったままの森さんの方へ刀の切っ先を向ける。


「おい……?」

「何、これ」


ググっと反発しているようにその腕が振るえていた。


「何をしている本須賀!」

「違います! 私じゃない!」


そして、気づいた。

黙ってみているのは司さんだけではない。清明さんもだ。

何が起こっているのか、その顔は神妙だが焦りや驚きの色はなかった。


「やめろ!」


南さんや橘さんたちがそれを抑えようとする、が。


……本須賀の手は、その刀を、森さんのところへ戻しただけだった。


「え……」


ゆっくりと。

それを待っていたかのように森さんのまぶたが開かれる。


そして、同じようにゆるりとした動作で、上体を起こした。長い髪が、遅れてさらりと流れ落ちる。


「……願い通り解放してくれた礼に、力を貸してやった。どうだった?」

「どう、って……」


ピピっ


不自然なまでに、誰も触れていないのに本須賀の体に、切り傷が刻まれていく。


「貸し借りはこれでなしだ。お前と俺が一緒だと? 奢りきった己の末路を知るがいい」


森さんの口から発せられる、その言葉は森さんのものじゃない。

それは誰にでもわかることだった。


清明さんの瞳がここにきて初めて細められた。

悲壮なものでも見るかのように。


「本須賀っ」

「やだ、何……?」


本須賀の手には、自分の刀。

その刃がひたりと首筋に据えられていた。


「スサノオ、やめてください。彼女は……」

「はき違えるな。楽しかったのだろう? 他者の力を己のもののように振るうのは。何度も同じ人間たちから警告はなかったか?」


止めかけたが、一言でそれを遮られ、清明さんは再び黙す。


「護るに値しない、護られるにも値しないヤツは、死ね」

「いやっ!」


オレはその時、初めて本須賀の顔に恐怖という感情を見た。

周りの仲間たちが血の海に沈んでも、天使たちを前にしても見せたことのないその顔が、今、静まり返ったこの場所で、歪んでいる。


「本須賀!!」

「いやぁぁぁ!」


今まさに、自刃しようとしているそれを前に、さすがに御岳さんたちも動いた。

力づくでその刀を取り上げるが、本須賀は悲鳴とともに大きくそれを振り払うようにして瓦礫の散らばった地面に転がった。


「本須賀さん……完璧な人間なんていないんですよ。あなたにも、もちろんここにいる全ての人間にもどこかしらに必ず欠けがある」


「やめて、やめて……」


その姿を見て、清明さんはもう聞こえてはいないだろうその姿に、語りかけた。


「人為的なカミオロシは、無理だと断念されたことはあなたも知っていたでしょうに」


もうその手に自刃のための刀はなかった。だが、怯えるように転がり、本須賀は何かから逃げるように、はいつくばって地面をひっかいている。

何が起こっているのかわからない。

身体には裂傷が次々と増え、気が触れているとしか思えないその状況に、ほとんどすべての人間が、動けるはずもなかった。


いつのまにか方々に降り立ち、見守る神魔はただ、静かだ。


何かを悟っているのか、それともこれは「内輪もめ」であるからか。


そして、オレは見た。

やめて、と言いながら、そこに落ちていた、おそらくは仲間のものであったろう刀を手にする。

本須賀はそれを握りしめて……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る