7.判断
それからどれくらい走っただろう。
短い階段を上がった先、その空間は平坦だが広く、複雑で、もしかしたら同じ場所を回ったかもしれない。
息が切れて遂に続かなくなりオレたちは一旦、手近な部屋へと身を隠した。
こんなことをしても無駄なのかもしれない。
ただ、捕まえられることを確信してか、まだ追ってくる気配はない。
「忍、大丈夫か?」
ただひたすらに逃げていたから、会話らしい会話はあの部屋を出てから初めてだった。
「うん、ありがとう」
やはり息を整えながら忍。しかし、瞳に光は戻っている。息は乱れているが、いつも通りの表情に少し安堵する。
「さっきはどうしたんだ。あの悪魔に、何かされたのか?」
「違う。つい、考えていて」
あの状況で、何を考えていたというのか。
しかも危機回避ができないほどに止まるなんてらしくない。
そう聞くと忍は、再び、何か思いにふけるように少し視線を遠くした。
そして、口を開きかけて……
「近江さーん、この辺にいますかー?」
「!」
その時、本須賀の声が聞こえた。
息をひそめ、身を隠したまま伺う。本須賀の声はゆっくりだが、近づいてくる。
同じ場所に居続けるのは危険だ。
人には役割があるのだろうか。
いつもと違ってらしくない忍の手の引いてそこから出る。
走りながら会話を続けた。
「どうしたっていうんだよ」
「……今、誰かを呼び出したらどうにかなる?」
まるで自問。だが、今度は手を放しても自分でちゃんとついてきていた。
どこに向かっているのか、自分たちでもわからないが。
「呼び出す? 召喚のことか?」
「そう。私が召喚者であることはまだ、知られていない。でもここで誰かを呼び出したら、それが明らかになる」
監視カメラの下を抜けた。
ちかちかと点滅したそれは、おそらく記録されたことを示している。
された、というかこの場合はしてくれた方がありがたい。
再び距離が開いて、別の部屋に身を寄せ、膝をつく。
少しでも休んで回復させておかないと、まずい気がする。
その間にも、忍は話をつづけた。
それはおそらく、この場を逃れるための、大事な話だ。
「例えここを無事に切り抜けられたとしても、それを知られるデメリットを考えていた」
宮古は関わっているのは権力者であるらしいと忍に告げた。
相手が相応の人間であれば、この件はもみ消された上で利用される危険性がある。
それは、大きなデメリットだ。
「そうだな、とにかく逃げられるところまでは逃げて、いよいよなら……って召喚できるのか?」
「プログラムを入れた小型の端末を持ってきてる。一人くらいなら問題なくできるはず」
「プログラム……例のやつができたのか」
「なかなか試す機会はないからね、いきなり実地だけど」
そういって、忍はポケットから小さな端末を取り出す。
旧世代のスマホ程度の大きさしかないそれはだが、薄く、タッチパネルで操作できるようで、無言で電源を入れるとすぐに画面が灯った。
「やっぱり、結界が崩れないことの方が優先だ」
忍が片手で操作を始める。以前にモバイルで見たものより数段、操作性がよくなっている。
次々とスライドで画面が変わって、その都度、表示されるシジルも変わっていった。
「ありがとね、秋葉」
礼を言われるようなことは特にしていないと思うが……
忍はそれを使うことを決めたようだ。
「誰を呼ぶんだ?」
「……後々のことも考えて、転移召喚で済ませたい。となると、公爵しか思い浮かばなかったんだけど」
ダンタリオンか。
確かにあいつなら、この事態を目の当たりにすればただ「もみ消される」ことは避けられるだろう。
しかし
「けど?」
忍は何かに引っかかっているようだ。
「それは最善かな」
「……どういう意味でだ。引っ張り出すチャンスだろ? あいつの権力ならもみ消す方が無理じゃないか」
「と思うんだけど」
向こうは余裕の追いかけっこなのか、走ってまで追いかけてくる様子はない。
再び部屋を出たオレたちは、さらに先の十字路近くにある部屋に飛び込んで、そこで一端息を整えた。
「問題は、あの悪魔がどう出るか」
「あれが誰かを知るためっていうのもあるんだろ?」
「展開によっては、相手側の証拠隠滅なんてものもありがちでは」
……それは、人間の権力者は何とかなっても、その前にあの悪魔が関係者の口をふさぐ可能性もあるってことか。
もし。
本須賀が「あれ」を利用しているようで、利用されているんだとしたらそれはありうる。
召喚をしても契約を正しく済ませられなければ、「悪魔を従わることができなければ」逆に人間が犠牲になるケースがあることは、今までの話からすでに知っていた。
「そうでなくても、関係者がどれだけいるのかわからない。公爵を呼べば当面の問題はクリアできるかもしれないけど……事実にたどり着くのに時間がかかる気がする」
隠ぺい、工作、証拠隠滅。
大体、犯罪というのはそういうものを前提として成り立っている。
人間は、確かに小賢しい生き物なんだな、とオレは訳もなく思った。
「じゃあ、他に誰か……」
「誰か」
忍の顔つきが変わる。
オレより早く、答えにたどり着いたらしい。
時々、忍は人に問いを投げることで実は、自分に問うているだけということがある。
問いかけながら、一番に自分で答えを出してしまうのは、そういう時だ。
「わかった。ありがとう、秋葉。とにかく、呼ぶことにする」
忍が手にしていた端末のスリープ状態を再び解除した。
片手に収まるほどの液晶画面だけが細いフレームに入ったそれ。
技術部が作り上げたプログラムと、七十二柱の情報が入っている、現段階では「試作品」らしい。
が。
迷いなくタッチ操作するとシジルが床に光で弧を描いた。
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