6.逃亡
「いいですよ。今からここを出て、しかるべき人に連絡を取ります。……それだけです」
「……!」
そして忍は踵を返した。
ドアに向かう。
オレはそのちょうど真ん中にいる羽目になったが……振り返り、そして。
ドアノブに手をかけようとした忍の首筋に、するどく巨大な爪をつきつけている悪魔の姿を見た。
「……YESだろうがNOだろうが、結局こうなるんじゃないですか」
「そうですね、あなたは頭のいい人だから結局、こうするんだろうなとは思ってました」
悪魔。
見たことがない姿だ。
翼は悪魔らしく黒く、顔は人のそれに近い。
到底人間の肌からは程遠い色をした腕から伸びるのは猛禽類のような鉤爪だった。
忍は振り返らずにそのまま動きを止めている。
動けば、その爪を突き立てられてもおかしくない状態になっていた。
「あなたは頭がいいから、YESでもNOでも、ここまでは来ると思いましたよ。でも、今日は近江さんも一緒。人質になるのはどちらがいいですか?」
「本須賀、お前!」
振り向くが、そのとたんに首筋を抑えられて背中から壁にたたきつけられた。
これは本須賀自身の手だ。
が、強化を受けているその細腕はびくともしない。
「悪魔の中には、任意の場所に人を送り込んだりすることのできる存在がいる。でもこの国ではそういった能力は制約を受けている。葉月さんが悪魔と契約をする理由もタイミングもなかったろうし、そこが解せなかった。……でも」
首筋にナイフのような爪の切っ先を突きつけられたまま忍は振り返った。
「やっぱり、制約を受けていない悪魔がいたんだ」
「……そうですね、だから、YESでもNOでも、あなたたちの記憶を消します。YESの場合は、そのまま無傷でふたりとも帰れますよ」
外へ出る気配を失くしたことで、悪魔は爪を引いた。
背丈は本須賀の倍はある。巨体を丸めるようにしてオレたちを見下ろしている。
その目は白目のない黒で、表情はわかりづらく瞳孔だけが動いてこちらを見るのが分かった。
「NOの場合は?」
「……どうでしょう。少なくともYESといってくれるまでもうひとりは苦しんでもらうことになるかもしれない」
「えげつないな……結局、何も変わってないじゃないか」
「だから言ったんですよ。断られることは想定してない、って」
そして本須賀は笑う。いつもの、自信に満ちたどこか愉悦すら覚えさせる微笑みで。
「わかった。でもその前に聞きたいこともあるし、確認したいこともある。この悪魔が本当に制約を受けていないなら、私たちが逃げ切ることは不可能、そうでしょう?」
「物分かりがよくて助かります」
そして本須賀はようやくオレの首から手を放す。
背中が床から離れて、浮きかけていた足ががくりと前に落ちた。
「っはぁっ はぁっ」
「秋葉、大丈夫?」
「あぁ……ってか、内部犯て……」
「……特殊部隊は神魔との何かしら契約の類で接触をしていないか、検査を受けている」
二人して部屋の奥にいる本須賀と悪魔を見た。
そちらを見ながら、忍がそういう。
「よくご存じですね。そうです、私は契約はしてないし、内部犯でもないですよ」
そして、本須賀はまたにこりと本音の分からない笑みを浮かべる。
「どう、思う?」
「わからない。けど、契約していないのは本当だと思う」
「それじゃ内部犯確定みたいじゃないですか」
「じゃあどうしてこんなことをするの? 私たちに消させようとしていたアレは何」
呪いだ、と本須賀は言った。
契約をしていない悪魔だというのなら、突然にこんなところに現れるのは不可能と思われる。
かといって、本須賀は契約者ではなく、内部犯でもないというのなら一体何をさせようとしていたのか。
「だからあれは、呪いですよ。呪い(まじない)という名の」
嘘をついているのは確かだが、何がどこまで嘘だか分からない。
嫌な状況だ。
忍の顔を横目で見るが、忍も考えあぐねているようだった。
本須賀は何をしたいのかはもちろん、まずその悪魔はなんだとか、どうしてここに来られたのだとか、疑問が多すぎて……
「決めました」
ふいに、本須賀がそう手を打った。
「今日はここまでにしましょう」
「!?」
そして、我が物顔でコツコツと部屋を横断するように歩き出すと、足を止め、続ける。
「仕切り直しです」
「仕切り、直し?」
「えぇ、記憶だけ消させてもらって、もう一度。いいえ、何度でもうまくいくまでお二人にこの役をお願いしますね」
「!」
記憶を消す。
悪魔としては高度な能力ではないだろう、が。
制約を外した悪魔であれば、本当に「何度でも」この状態に持ち込まれる可能性がある。
なんとしても逃げなければ。
恐怖か理性かはわからない。あるいはそれらが混合しているかのような意識がそう告げた。
本須賀の声に反応するように、無言のまま悪魔が巨体をゆっくりとこちらへ向ける。
手を、伸ばしてきた。
「忍……っ ?」
いつもだったら、俺よりも早くに決断をして動く忍が、まるで目を覚ましたまま意識が飛んだかのように一点を、遠くを見つめるような視線をしたまま、止まっていた。
「何ぼんやりしてるんだ!」
その鉤爪がゆっくりとだが、届く寸前。
オレはとっさに忍の腕を引っ掴むと、部屋を飛び出した。
バン!という扉を開く音は、先だったか同時だったか。
どちらへ向かったらいいかもわからない通路を、来た方向とは逆に駆ける。
「追いかけっこですかー? いいですよ。10だけ数えてあげますね。いーち」
そんな本須賀の声が遠くなった。
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