10.不知火と……

夜も明けきらない頃…

カチャ、と控えめに玄関の扉が開いた。


白上家のリビングにいた不知火は、耳聡くそれを聞きつけて、主を迎えに出る。


「ただいま、不知火」


無言のまま顔を出すとそういって、司は不知火の頭を撫でる。

はたり、と控えめに尾を振る不知火。


石鹸の匂いがする。

三交代制だから司の勤務時間はまちまちだが、ちゃっかりシャワーは浴びてからの帰宅のようだ。


彼の主はそのまま、音をたてないように洗面所を経由して自室へと姿を消した。

じっとみつめる自分の姿に気付いて「明日も頼むな」と小さく声をかけて。


夜は静かだ。

森はまだ寝ているし、カーテンも閉まっていていかに都内といえども薄暗い。


そして、再びリビングのソファ、不知火の定位置となったそこへ行くと不知火も眠る。

……彼に眠りが必要なのかは謎だが、そうしてぴくりとその耳が動いたのは、夜明けを少し過ぎた頃だった。


「おはよ、不知火」


反対側のドアが開いて、森が起きてきた。

カーテンを開けて、いつもの朝が始まる。

このあと森はでかけるが、平日だから見送るまでが不知火の仕事だ。


「司は寝てる?」


一歩遅れてキッチンに立つ森のところに挨拶に行くと、そう聞かれる。


「ウォン」


小さく答える。

これで何がどう通じているのかはわからないが、森は「そう」と答えると朝食の支度にとりかかる。


といっても、大体昨晩のうちに仕込むタイプなので、あっというまに弁当と朝食は出来た。


静かな朝だ。

二人とも、互いに気遣って大きな音を立てたりはしない。


「行ってきます」


きちんと挨拶をして出ていく森。

しばらくして司も起きてくる。


「おはよう、不知火」


はたはたと小さいながら尾を振って挨拶。

司は、身支度を整えに再び洗面所へ姿を消す。


そのあとは、ついでに作れるものなら森が何かしら置いて行ってくれるので、その日はテーブルの上にあるサンドイッチと、スープを自分で入れて朝食。


ここは高層マンションだが、白石家は低層でも高層でもない、ほどよく下界の喧騒が遮断された階に住んでいるので、やはり静かだ。

ベランダからは青い空に遠い高層ビルがよく映えた。


ちなみに、エレベータが停止した際に、自力で昇降できる高さでこの階が選ばれたようだ。


司がいる日は一緒に、まったりする。

そして夕方になると、これは平日であれば大体パターンで、不知火は森を迎えに行く。


司がいる日はその時間になると、行ってくる、という意味で玄関を開けてもらい、そうでない日は窓から出ていく。


そして二人とも昼間いない時。


とてもヒマだ。


「あー不知火だー」


あまりうろうろするものではないのだが、マンションの近隣住民はすでに不知火を「白上家のとても利口な飼い犬」として認知しているので、そこは普通に歩いていてもあまり問題がない。


駅で森を待つ場合は、忠犬ハチ公並みだともっぱら駅員にも有名である。


今日はヒマなので散歩。

問題は……


「不知火―あそぼー」


平日でもこの時間にいる、こどもたちである。

捕まると、ぎゅうぎゅうに耳を握られたりもみくちゃにされるので好きではない。


タッ


と軽くスピードを上げると、すぐに角を曲がって子供たちが特に多い公園から離れた。


はじめは公園でリードを外して森とじゃれていると驚く人間も多かったが、そこに忍が加わってエキサイティングなゲームになると参加したがる子供が増えた。


……森も忍もあまり子供が好きではないのに、なぜか子供が寄ってくる。


まぁそれは下手をうった休日のことなので、今日は一人。


散歩がてら一気にスピードを上げて不知火は移動を始めた。


「やぁ、今日も来たのかい?」


フランス大使館。

ここは目一杯動いても、何をしても誰にも目に留まらない秘密の遊び場である。

……森や司には秘密でないが、他の人間の目がないので、気が楽だ。


「ウォン」


カタカナにすると同じ表記でも、実際は強さや抑揚が違うので、大体、通じる。

空気を読んでくれる「人間」は好きだ。


エシェルには挨拶をするためだけに顔を出すが、時々、自分の気晴らしにか街に誘ってくれることもある。


「いつものください」

「あらあら、今日もワンちゃん一緒なのね。はい、コロッケ」


大体、どんな道を通ってもその精肉店に寄って、それを買ってくれる。

……揚げたてでおいしい。


「たまには別のものも食べてみる?」


ふるふる。


このヒトは、人間ではない。

それはもう知っていたので、ふつうに意思表示を顔を振ってする。

ここのコロッケは、普通においしい。


白上家の二人にも教えてあげたいが、さすがにそれはできないのが残念だ。


「霊獣なのにコロッケが好きなのは珍しいね。それとも君の家族が好きなのか?」


首を捻る。

好きな方だとは思う。大好きかというほど好物ではないと思うが。


そんな、間。


「ますます謎だね」


ふふ、と金の髪の異人は微笑う。


時間になると、一度帰宅してそれから、森の迎え。


「不知火ただいまー」


挨拶をよくする礼儀正しい兄妹だ。


もふもふ。


「んー? ……なんか、香ばしいにおいがする」


鼻がいい。


「何食べたの?」

「ウ、ウォウ」


何と言ったらいいのだ。つまみ食いはしていない。


「知らない人から食べ物貰っちゃ……って、それはないか」


頓着しないように帰途につく。


「エシェルかな。よく平日遊びに行ってるみたいだし」


勘もいい。


「違う?」


聞かれたので、うなづいた。


「……日本語って難しいよね」


合ってる、の意味だったが、違うに対してYESともとれる行動。どうしたらいいのだ、この場合。

顔を振っても「違う」になりかねない。


「違うの? エシェルじゃなくてご近所さん?」


今度は具体的に聞かれたので首を横に振った。


「エシェルかな」


縦に振る。


「そっか、あとで電話してみよ」


通じた。


そして、後日。


「なんか、不知火がお気に入りのコロッケ屋があるらしく」

「そうなのか。というか、前もそんなことがあったような」


森に誘われて司と一緒に、不知火はそのコロッケ屋に行くことになる。

もちろんエシェルも一緒に。


「あ、めちゃくちゃおいしい」

「僕もあまり食べつけないものだったんだが……ここはいい肉を使っている」

「あら、嬉しい。イケメン二人にかわいい子も連れてきてくれて、ワンちゃんにご褒美よ」


店のおばさんはそうして、いつもと違うメンチをくれた。


「いい店みつけたね」


そして、結果的に白上家のふたり不知火にとっての「家族」とも同じ味を共有しつつ。



なんだかとても、満足な一日だった。

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