前兆なき異変(3)ー選択
「するとその隣にいるお前が、アキバ……オウミアキバか?」
「っ は、はいっ」
突然の声掛けにそれだけ答えるのが精いっぱいだった。
気づけばパイモンさんの背後には無数の天使たちが、浮遊しながらこちらを見下ろしていた。
「こ、れは……」
「悪魔(わたし)の匂いを嗅ぎつけやってきたな。いいだろう、まとめて地獄に連れて行ってやる」
そういうと小柄なその体の向きを変え、真向一人で、それらに向き合う。
次の瞬間に、パイモンさんは地面を蹴るとそのど真ん中に突っ込んでいっていた。
「集まってる。これ、向こうの人達にはいいことなんだろうけど……」
「私たちがものすごく危ない予感がする」
ほとんどおとり状態だ。
すぐに地下鉄構内に引き返した方がいいとは思うのだが、この状況でオレたちはパイモンさん一人残していっていいものか。
悩んでいる暇はなかった。
ドォン!
「……!」
戦闘が激化したせいで再び建物が瓦解するほどの衝撃が繰り出されている。
しかし、その音は建物が崩れた音ではなくすぐそばにいた何かに、何かがさく裂した音だった。
「お前ら! こんなとこで何してる!」
「ダンタリオン!?」
やはり神魔の来る方が早かった。
一番乗りはこの好戦的な魔界の大使らしい。
その奥では、臨海付近に住まう神魔も加勢に到着したのが見えた。
「たまたま居合わせただけです。パイモンさんは私たちを助けてくれて」
「そりゃ、たまたまじゃなきゃこんなとこいなかったわな。おかしいこと聞いたわ」
ダンタリオンは神魔が現れたことで人間からターゲットを変え、こちらに向かってくる天使に向けて、派手に魔法をぶちかましながら背中越しにそう言った。
「閣下が見つかったのはいいが……惨状だな。これ以上天使が増えると散らばりだす」
「! 結界も張られてないのに……」
「大虐殺だ」
右手上空から迫った個体を吹き飛ばす音に、会話もままならない。
「それで? どうやって止めるんだい?」
こっちに向かって女性が走ってくる。
しかし、見知らぬその人はここへ辿り着く前に後ろから斬りつけられて、倒れたまま動かなくなった。
そのまま肉薄した天使数体を、いつから現れたのか腕を薙ぐだけで、払いのけるアスタロトさん。
天使たちは一度、跳ねるように体を中空で反らすと、翼を散らし地面に落ちて行った。
「どうやって? 人間の方が揃うまでには時間がかかりすぎる。……これを使うしかないだろ」
そう言ってダンタリオンが背中を向けたまま何かを取り出した。
『それ』をアスタロトさんに渡す。
「使う? 使わせる、の間違いだろう? しかもこの役をボクにやらせるつもりかい」
「お前の方が適任だ。オレは付近の奴らを飛ばしてくるから、さっさと『選ばせ』ろ!」
そういうと、ダンタリオンはアスファルトを蹴って近い上空に跳び上がる。
遠くへ行くというわけでなく、この付近を守りながら天使を掃討するつもりらしかった。
「まったく……結局嫌な役はボクに任せるつもりか。まぁいい」
その背中を呆れたように見やってから、振り返る。
アスタロトさんのその手は何かを軽く握っている。
「さて、秋葉。運命の選択だ」
「え……」
オレの前に向き合う。まるで演出がかったその言葉の意味が、オレには全く分からなかった。
アスタロトさんは、握っていた手をそっと開いて、それをオレに見せる。
銀の細い鎖につながれた指輪だった。
「時間がないから手短に説明しよう。この指輪は『ソロモンの指輪』。かつてボクたち七十二柱を使役したと伝えられるソロモン王が使っていた指輪だ」
人間側として語ってくれているのか。
それとも真実が別にあるのか。
断言はせずにそう言って、器用に手のひらから指先に鎖を持ち替えてそれを垂らす。
銀のチェーンに通された指輪は、地下道の入り口に膝をついたままのオレの目の前で、時折鈍い光を放ちながら揺れた。
「通常、召喚には多大な準備と時間、労力がかかる。けれどこれを用いた召喚はそれらすべての行程を飛ばすことができる。時と場合にもよるけどね」
何、を言っているんだろうか。
ダンタリオンはそれを「使う」と言っていた。
アスタロトさんは「使わせる」の間違いだと言っていた。
誰に、何を使わせるって?
理解がついていかない。
当然、それを理解しているだろうアスタロトさんは説明を続けた。
「この指輪自体が契約の証のようなものなんだ。もちろん、これを使うものは誰でもいいというわけではない。適正のない人間には触れることも不可能だろう。けれど、外交官として多くの神魔と接してきた君であれば……」
「ちょ、っと待ってください。それで……オレが仮にその指輪に触れられたとして、何をしろって……?」
「七十二柱……悪魔の召喚だよ」
我知らずに息をのむ。
気づかないうちに口の中がカラカラになっていた。
周りでは、神魔と天使の戦闘が続いている。
それ以上答えようもないオレの代わりに、アスタロトさんが更に言葉を紡ぐ。
「以前、ウァサーゴが召喚された時のことを覚えているだろう? 召喚が成立すれば、悪魔は制約を超えて力を使うことができる」
「でもそれは……すぐに政府が対応したって……」
「この指輪を用いた召喚に比べれば、とても軽微な召喚だよ。あの時はこの国にいる悪魔の力の一部を転移させたに過ぎない。この指輪を用いた召喚は、世界の境界すら超えて直接ここに『本来の存在』を呼びだすもの。対象がどこにいても、誰であろうと強制力がある」
「……」
忍も黙ってそれを聞いている。
オレと違って、理解するために聞いているだろう。
オレは説明された内容を咀嚼する以前に、それをどこかで拒んでいる自分に気付く。
悪魔を召喚する。
それは、ふつうの人間としての領分を、すでに超えた場所にある。
それを手にするのは、『ふつうでなくなる』ということだ。
「残念だけど、選択にはあまり時間がない。君が選べないなら、ボクもやらなければならないことがあるのでね」
あるのは躊躇だけだ。
確かに時間はないだろう。それがどんな意味を持って言われたのかはわからないが「それでどうにかなるのなら」次の一瞬で殺されている人は少なくとも、死ななくて済むのかもしれない。
「強制はしないよ。君には選択権がある。いずれ、無理だと思うならそれでもいい。ただ、イエスかノーか。それだけはすぐに出してほしい」
「それ、は……」
引っかかるように出した声は、それ以上続かなかった。
アスタロトさんもこれ以上、話に時間を割くつもりはないのか、もう言葉を返してこない。
倒れかけたビルが自重に耐えきれずにきしむ音。爆音。悲鳴。
異様な沈黙が、オレたちの周りにだけ落ちていた。
「……」
それもほとんど一瞬だったのかもしれない。
異様に長く感じられた。
地面を掻くように握った手は動きそうもない。
それを認めたアスタロトさんは、言葉を待つまでもなく小さく息をつくと空気を緩め、時間切れを告げようと……
「!」
その目の前で。
ふいに、チェーンごと指輪が攫われた。
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