前兆なき異変(2)ー王の不興によりて

ドォン!


その背後に、爆音とともに光が降った。


「きゃあああ!!」


また。

既視感というにはつい最近、出会ったその感覚にオレは一瞬、何が起こったかと理解する間があったが、一瞬だ。

とっさに我に返ってはじかれたように辺りを見回す。

忍も同じように振り返ってその光景を見、互いに何があったのか理解した。


また、天使が『来ている』。


ビルの瓦解する音と、人々の悲鳴が不協和音となって辺りに響いている。


「まさか……嘘だろ!?」


前兆はなかった。

要石に何かあれば、いずれかの関係者から連絡が入っただろう。

空に異変があれば、おそらくそれもわかったはずだ。


けれど、唐突だった。

当然、特殊部隊も術師も来ていない。


と、いうことは結界すら張られていない。


この地区は「閉鎖」されていない。


「秋葉、ここ危ない。いったん離れよう」


光が降ったのとは逆方向に踵を返して、駆ける。

離れると言っても、一体どこに。


見回りの黒制服の警官の姿もあったが、現場はパニック状態でどうしようもないようだった。


「お前、何か今感じたのか!? 空!」

「わからないけど、何か変な感じはした。気がしただけだったから、わからない」


轟音と怒号が背後から迫る。

天使たちはその場にいた人間を狩ろうと大きく場所を動いてはいないようだが、スピード的には不利だ。


「地下鉄!」


その入り口を見つけて、駆け込む。

倒壊は中層部辺りからが多いから、ビルの地下でもいい。だがそれでは閉じ込められる恐れがある。


地下鉄なら、万一出入り口がふさがっても構内を通れば、比較的近い場所に別の出口がある。

それが使えなければ最悪、線路を通って別の駅にも出られるだろう。

……まさか、このご時世に、そんな映画みたいな状況に陥るなんて思いもしなかったが。


だから、多くの人がその判断を誤っていた。

誘導する人間がいないので、ほとんどがそのまま逃げ惑うか、ビルに入る。

当然に助かる人もいるだろうが、賢明とは言えない。

近くを通った運のいい人間が、地下道に駆け込んでくる。そんな感じだった。


「警察がいたからすぐに特殊部隊には連絡が入ると思う。けど、私たちの現在地も知らせておいた方がいい」

「オレが清明さんでいいか?」

「じゃあ私は公爵の方にかける」


多分、気づいてるだろうけど、と前置きしてそれぞれできる場所に連絡を取る。

清明さんにはすぐにつながった。


『モニタリングはしていたけれど、まったく予兆はなかったよ。ただ、派手に動いてくれたから場所はすぐにわかる。二人とも、そこから出ないこと。いいね』


短く最善の手を尽くすと言われて通話は終了する。

ダンタリオンの方はすでに、官邸にはいないようだった。


速さ的には、神魔の方が人間より先に来るはずだ。


「ここから出るなと言われたけど……」


忍は地上の様子を気にしている。

大がかりな奇襲は初めだけだったのか、建物が大きく崩れる音はしない。

が、少し離れた場所からまだ外にいるだろう人の悲鳴が聞こえる。


「少し距離がある。ちょっと見てくる」

「待てよ、危ないって!」


こんな状況だ。好奇心ではなく、危機回避のための確認だろう。

音を聞き分けてから忍は階段を上がろうとした。


翼が邪魔になるのか、天使たちはこういう狭いところには入ってくる気配はない。

それを知っているから、本当は行かない方がいいのだとわかりつつも、オレも壁伝いに地上に戻る。


「……」


そこに広がっていたのは。


あの時と、大差ない光景だった。




人が、白い砂になったかのようないくつもの塩の山。

瓦解したビル群。

割れて飛び散った厚いガラス。


天使はただ、人を塩にして消すだけではない。

剣を持っているものもいて、抵抗するものはそれで薙がれる。


すでにあちこちに血痕が飛び散り、一般武装警察のもの、だろう。

銃声が高い頻度で響いている。


「……酷い……」

「みんな、殺される……」


オレはその光景を目前に、そうつぶやく。

まるでオレの意志を無視して出た声のようだった。


『あの時』。

オレは街に出ていなかった。

だからこの惨状を、目の当たりにしていない。


忍も同じだ。


すぐに地下道に戻ればいいのに、その光景を前に動けない。

浄化、なんていうものじゃない。

これは殺戮だ。


その中心になる現場は少し遠かったが、目を付けられるまでにそう時間はかからなかった。


大きな影と、羽音がすぐ真上をかすめた。


「!」


我に返っても遅い。

微笑みすら浮かべたそれは、静かにこちらに手を伸ばす。


ガゥン!


そのつんざくような銃声でオレは我に返る。

忍が護身用の銃を撃ったのだ。


当然に、一発当たったくらいでは効きはしない。

けれど、天使はそれで異分子とでも認識したのか、素手ではなくもう片手に持っていた剣を振り上げた。


オレも銃を取り出すが……


間に合わなかった。



「ギャウッ」


獣のような声を上げて、その天使の翼は引き裂かれ地に落ちる。

その寸前に、背中からやりのようなものが貫いてオレたちの前に切っ先を向けた。


緑色の体液が、飛び散り、それが倒れるとしみ出して、地下鉄の構内に滴り流れ落ち始める。


「……不愉快な天使ども。まさか私が来訪している時にひと時を踏み荒らすとは」


倒れたその向こう、その影から現れたのは一人の少女だった。

いや、少女、ではないのだろう。


ハスキーな声は酷く陰鬱そうで、足元に倒れたそれを見下すように瞳は氷のように冷たい。


「パイモン……さん?」

「そなたはいつぞやの娘だな。シノブといったか」


それはひそやかに国が探し回っている魔界の西方の王だった。

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