7.ミッション開始(2)ー寿司食マナーを学ぶ
忍の雑学あるあるBOXから、またひとつ時代の変遷とともに意味を変えた言葉の起源を知ったオレ。
ということは、初めに先に入ったのはOKで、椅子を引いてあげたのも正解ってことだな。
オレに向かってどす黒いオーラを放ちかけていたリリス様の表情も幾分和らいだが、気のせいか嫌悪感がとってかわっているように見える。
「やっぱり人間の男はろくでもないわね……」
どーするんだこれ、昔の傷がほじくり返されてんぞ。
っていうか、元・夫のこといつまで根に持ってんだリリス様!
「ですから」
と、ここで「へい、お待ち!」と高級とは思えないパフォーマンスらしき声を上げて、握りが出てきた。
「……これ、どうやって食べるのかしら」
そこからかぁぁぁぁ!!!
もう、これは異文化交流の原点だけど、原点すぎて日本人でもわからない人が多いのではと思われる質問だ。
空はどうして青いの?
とかそういうレベルの、大人が聞かれると「え……考えたことない」みたいなことになってしまう。
大体、こんなに素直にアレはなにこれは何聞いてくるヒトあんまりいない気がするんだけど、こんなところばっかり素直になられても……
いや、最初から素直だな。
人類滅ぼすとか言っちゃう時点で。
しかし、オレもあまり考えたことがない。
ここは……
「正しい作法は私も良くわかりません」
忍も素直に答えた。
仕様です、が通じないのは目の前にプロの職人がいるからだろう。
「知っているのは、シャリと呼ばれるお米に醤油をつけないこと。それから一度口にした寿司は皿に戻さない。あとはお会計をおあいそ、醤油をムラサキなどと言いますがこれはあくまで職人さんの隠語であり、客が使うものではない、などでしょうか」
それだけ知ってれば十分なんじゃね?
ていうか、おあいそって客が使ったら間違いなんだな。よく使ってる客いるよ。居酒屋とかでもみかけるよ。
あれみんな、間違ってるのに「俺って通だぜ」みたいな人達だったのか……
オレのマナーレベルが、1上がった。
「お嬢さん、よく知ってますねぇ。こちらのお方は神魔の方ですか」
店の人が声をかけてきた。
正体を知ったらビビるかもしれないが、ふつうにいい人っぽいので黙っておく。
「そうよ。見た目は完全に人間だと思うけれど、よくわかるわね?」
「まず、そんなふうに疑問を持ってくれるのは日本人じゃないだろうし、海外から来るヒトになると、今時はみんな神魔のヒトたちですからねぇ」
そういいながら次のネタを握っている。
確かに、身近過ぎて疑問に思わないが伝統食だからすごく、奥が深いのはわかる。
時間がお昼時を少し過ぎていたせいか、客はちょうど会計を済ませて帰っていく頃合いだ。
余裕があるのか、話もしてくれそうだと思ってオレから聞いた。
カウンター席の醍醐味だ。
「じゃあ他にあまり知られてないマナーやおいしい食べ方はありますか?」
「ネタの味が死ぬから醤油はあまりつけないのも基本ですかねぇ。あとは味の薄いものから濃いものを食べる」
あ~なるほど。
濃い味のものを食べると薄いのが分からなくなるもんな。
次々に握られたものが出てくるが、そういわれるとちゃんと白身魚から始まって、赤身になってきている。
……お任せしておいてよかった。
「出す順序も考えられているのね。さすがグレードが高いお店だけあるわ」
「光栄です」
さすが高級店の職人。
庶民の回転ずしのバイトとは訳が違う。
客商売でありながらも、プロとしての自信が漂っている。
寿司職人がまぶしい。
「リリス様、食べられないものはないですか? 初めての寿司ということですが……」
「おいしいわ。でも甘いものも食べたい気分ね」
「甘いネタは満腹感が出るから最後の方に出しますよ」
プロだ。オレ、銀座のカウンター寿司とか初めて来たけど、これは役得だ。
さすがに食事時なので、リリス様もおとなしいし。
やはりプロに任せられるところは任せた方がいいな。
ベレト様の時は庶民体験がメインだから無理だったけど、この街ならいける……!
他力本願と言いたいなら言うがいい。
その時、ブブ、とオレの業務用のスマホが振動した。
緊急連絡もあったり、オフにはできないのでバイブモードにはしてある。
リリス様は隣の忍と話しているので、さりげにチェックする。
『何か喋れ』
……忍からだった。
どんなスキついてメッセージ送ってんの? いじってなかったよね?
さっきから会話に参加したり職人の話も興味深そうに聞いてたよね。
しかし、隙をついているせいか、メッセージは異様に短い。
オレにはこの状況で、返信なんて高度な技は無理なわけだが、リリス様を挟んで会話するわけにもいかず……
途方に暮れていいか?
と思ったその時、メッセージは更新された。
『「苦手なものがないようで何よりです。私もご相伴に預かり光栄です」』
気遣いの言葉と、寿司職人の光栄ですにさりげなく乗っかった嫌味のないセリフが送られてきた。
オレ、復唱。
「苦手なものがないようで何よりです。私もご相伴に預かり光栄です」
「そうね、このお店はとても気に入ったわ」
「ありがとうございます」
復唱に続き職人さんが笑顔で合いの手を入れたので、ナチュラルに会話が成立した。
オレも空回りを警戒しつつ、努力をしなければ。
「銀座は元々、グレードの高い街ですから。対応する人たちもレベルが高いと思います」
「確かに魔界に例えたら、この街の店員は貴族の屋敷に出入りするくらいの礼節は心得ているように見えるわ。先進国には子供を狩りに来たことがないからわからなかったけれど、原始人から随分進化してたのね」
いや! 子供狩るとか言っちゃダメ!
原始人はあなたの宗教圏にはない進化論だしね!?
つっこんだら殺されそうなので黙殺。
でも職人さんは、わが耳を疑っている様子。
「私、赤身魚より白身が好きなんだけど、なんでだろうね」
「脂が足りてないんじゃないんか」
会話が成立したら成立したで放っておかれる悲劇。
ともあれ……
「あまり食べてないようだけれど……意外と満足感があるわね」
「良質なものをゆっくり食べるとそうですよね。女性には良いのでは?」
「おいしかったわ」
昼食のミッションは完璧だ。
会計を済ませ、店を出る。
もちろんオレが先導で……
「そういえば、西洋のレディファーストはわかったけれど、東洋と違うと言っていたわね。どんなふうに?」
逸れっぱなしでいいのに、こんな時は戻ってくる。ブーメラン戦法か。
しかし、これは忍の圏内。
オレは黙って先に出る。
「西洋とは逆ですね。日本の古い時代に男性が前を歩いていたのはつまり……」
「つまり?」
「女性を身を挺してでも守るためです」
何それかっこいい。
オレ、そんなにかっこいいことになってんの?
確かに西洋で女性を先に行かせて安全確認するセコい男とか最悪だけど、日本人ってかっこよかったんだな! ただの亭主関白じゃなかったんだな!
侍か。
「でも危険から守るという意味なら護衛のツカサが前にでるべきじゃ?」
悪意が全くないゆえの、最悪の質問が飛んできた。
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