4.七福の幸(1)ー多忙な魔界の公爵

日常を取り戻したかった。

なんでもない

あの日常を。



……なんて思う間もなく、日常はあっさり戻ってきていた。

それはそうだろう。しがない外交官が、天使の襲撃の後始末で何ができるというのか。


それらは大体、警察や情報局の一部と、神魔のヒトたちの仕事だ。

特に事後処理で活躍してくれる神魔は、街の復旧工事にあたる人が主力だったりする。


と、いっても本当に、塔を建てるとかあっというまの能力のヒトがいたりするので、それももう終わっている感が強かった。


だから、一部を残して日常は、表面上だけでも十分なくらい戻ってきていた。


「なんか風が出てきたな……オレのポテトの袋が吹っ飛ぶ」

「さっきまで晴れてたのにね」


暖かかった午前中。

ゆえに、一仕事終えてテラス席で昼食をしているオレと忍は冷たくなってきた風に少し肩をすくませる。


「……」


オレが黙ると忍も黙る。

元来はあまりおしゃべりなたちではない。二人の時は常にしゃべっていることの方が珍しいだろう。

さて、今日は忍はその間に何をやっているかといえば、さりげに手にした昼食のパンズをちぎって足元に落としている。


本当にさりげないので、こんなふうに見る気があって見ていないと気づかないのだが、落としたパンくずの先には、小さなすずめがちょんちょんと数羽、行き来をしていた。


「……お前さ、そうやってよく餌付けとかすんの?」


オレのことは特に意識していなかったのか、改めて聞くとスズメの方をやはりさりげなく見ていた忍は、気づいたかのように顔を向けなおしてきた。


「スズメくらいならね。テラス席に大体いるでしょ?」

「お前がテラス席好きなの分かった気がするわ」

「違う。ふつうに閉め切られた室内より外の方が好きなんだ」


理由はいろいろあるらしい。


「昔は公園のハトの餌付けも定番だったらしいね。浅草寺とか別名ハト寺みたいなくらい、ハトと猫がすごくいたって」

「そうなのか? 今はいないよな?」

「どこも近所迷惑とかで餌付け禁止の公園が多いからね。……つまらない」


ぼそっと本音が聞こえたぞ。


「衛生面の問題とかあるからな」

「住宅街に集まりすぎるのは問題だと思うけど、広大な公園内ならいいと思わない? どうせどこかをねぐらにしているんだ」


そうだな、結局ねぐらに集まるよな。

それが住宅街だと大変なことになるという話で。


「たまたま寄った小さな公園でも、昔はたくさんハトがいたんだって、おじいさんが言ってた」

「お前、知らない人とはよく話せるよな」

「知らないから話せるんだ。で、昔は知り合いのホームレスがせっかく餌をやったハトを捕まえて食ってたと激怒していた」

「どんな話の展開?」


たぶん、本当に小さな住宅地の公園で、その老人はハトに餌をやることを楽しみにしていたんだろう。

それはわかる。


忍は催促するようにテーブルの足元を縫って跳ねるスズメに、指先でパンを小さくくずして再び落とす。


「でもうっかり見通しいいところでこういうことをすると、ハトはもちろん、目ざといカラスとか果てはカモメまでやってくるから、鳥マスターみたいなことになって大変な注目を浴びる羽目になる」

「……ハトって、誰かがえさやってるの勘づくとものすごい勢いで集まりだすよな」


このご時世だから、禁止されているところで大っぴらにえさをやる人はいないが、うっかり観光客が食べ物を落とすと祭りになる姿は割と見かける。


「この間なんて、クジャクが現れてさ……あれにはびっくりしたよ」

「いやそれびっくりだよ! 普通に今聞いてオレがびっくりしたわ!」


何こともなげに言っているんだ、こいつは。

ていうか、どこの話だ。


「そんなにパンを持ち合わせていないので」

「論点はそこじゃないんだ。そのクジャクはどうしたんだ」

「ごめんねーそんなにないんだ、って言ったら去っていった」

「…………」


それ、放置するの問題じゃないのか?

クジャクって結構凶暴だって聞いたことある気がするけど気のせいなのか?


「野良クジャクとか……」

「野良じゃないでしょ。たぶんどこかで飼われてるのが逃げたんだよ。きっともう捕獲されて戻っている」

「こういう時はお前は悠長だよな」


忍の中で事件性として低いからだろう。

そんな話をしながらして、食事を終えて午後はいつものダンタリオンの公館。


今日も護衛は特にいない。


「こんにちは、公爵」

「よく来たな。この忙しい時に」

「それ、オレたちじゃなくてお前な。まだ何かやってんの?」


天使は真向、魔界に対する勢力。

ゆえに前回の襲来を受けて、あれやこれやと魔界からの大使であるダンタリオンはすることがあったらしい。


……夏休みの宿題サボると、そういうことになるんだぞ。


「大体終わりだな。魔界への報告、破損個所の修復作業。この辺がけっこう急ピッチで」

「今回、結構派手にビルが倒れたりしてたけど、何事もないかのように直ってるのがすごいよな」


現場は凄惨だった。

護所局の記録は当然にされていたが、マスコミはシャットアウトされていたし、政府の意向でそれらの視覚的情報は公開されていない。


知らせないことは必ずしも正しいとは言えないが、おかげで一般市民は恐怖という感情を必要以上に抱え込まなくて済む状況であるのも確かだ。


だから、日常が戻るのも早かった、ということでもある。


「神様は自然系が多いけど、悪魔のヒトは科学系が多いから、現代社会とは相性がいいよね」

「まぁな。もともと科学はあいつらの排除したがる思考で、自然、オレたちの能力はそっちに向いている存在が多いわけだ」


自分の机に頬杖をついてため息をついていたダンタリオンは、そうしてようやく何やら書類だらけの席を立って、ソファの方へやってきた。


「そういえばそっちのカミサマの敬虔な信者は、地球温暖化とかも信じない人が多いって聞いたことあったっけ」

「……世界中が温暖化対策に取り組んでるときにもか?」

「そうだよ。ちょっと前のアメリカの大統領も熱狂的な信徒で、だから油田だとか鉱山だとかエネルギー関係の協定ぶっちぎって、再稼働してたでしょ」

「……マジか。あれってそういうことだったのか。宗教国家でもないのに、大統領が熱烈な信者とかヤバくないか」

「ヤバかったと思うよ」


しかし、忍の話では一般の信徒には当時、温暖化の重要性を普及する活動が始まっていたため、そしてようやく考え方を改める人も少なくなかったらしい。

宗教というのは、思想統一という意味では手っ取り早いが、改めて妄信すると危険でもあると感じる。


オレ、日本人で良かった。


「それでな、大体復旧作業も終わったから遊びにでも行っていいか?」

「オレたちに聞くのかよ、それ」

「こういう時に限ってアスタロトの奴は顔出さねーし、オレもう缶詰状態なの嫌なんだよ。どっかに連れ出してくれ」

「いつも自分からほっつき歩いてる奴が何言ってんの? ヒマができたならどこでも行けばいいだろ」

「何て言い草だ! 労いの一つもないなんて!」

「公爵、おつかれさまです」

「…………いや、このタイミングで真顔で言われても」


その時、ノックが響いて返事を待たずにドアが開いた。

ここは応接室ではなく執務室なので、こういう時は形上なんだろう。

ダンタリオンも返事をしなかったわけで。


「ダンタリオン様、報告書の作成と、分類4~186までの書類の整理が終わりました……と、お客様でしたか」

「「……」」


いくつかの沈黙が重なった。

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