エシェルとのお茶会(3)ー静かな場所で

フォローはしてくれるだろう。


「あの結界は、人間であれば通ることができる。忍や司の妹がそうしたように」

「……でも、それ感知されてるみたいだし……害がなければ追及されそうな雰囲気でもなかったけど……」

「初めから、あの空域が閉鎖される前からその中にいた、と言ったら?」


うわ、すごい灯台下暗しな展開だ。

思ったより行動が早かったようだけれど……わざわざ今度はそこに行ったのか。


オレが感想で終わるところを忍が聞いた。


「前は関わろうとしなかったのに、今度はそんな近くで見てたって…………」


そこで忍の言葉は途切れてしまう。

聞いた方がいいのか、聞かない方がいいのか。


そんな疑問がその先にあったからだろう。

今度はエシェルがいち早く察して、答えをくれた。


「言ったろう? それが僕の『役目』なんだ。人を見る。だからそこで、ただ、見ていた」

「……今度は厚木の時と違う。『外』と繋がった。2つ聞くよ」


重大なことなのか忍は前置きをする。


「その役割に変わりは」

「ないよ」

「外との連絡は取れた?」

「……とってない」

「…………………」


あ、駄目だ。こいつ2つとか言ったけど、まだ聞きたいことができたらしい。

話しながらどんどん疑問を発見していくタイプだからして。


「聞きたいことがあるなら、最初から二つとか言わない方がいいんじゃ……?」


さすがのエシェルも空気を読んで、忍のやらかしてしまった感をフォローしている。

ていうか、聞けばいいだろ。

自分から2つと言ったのだから、2つで終わりにする。


律儀ですごく偉いと思うけど、ちょっと今のはミスったよな。


「お前もそういうとこ、あるのな」

「普通だったら多めに言っておいて、少なく切り上げるんだけど、なんかあんまり聞くのもどうかなと」

「こっちの方が半端に話したようで気持ち悪いからこの際、ちゃんと聞いてくれるか」


それぞれ気遣いが交錯していて、話がまた絡まりそうだ。


「じゃあ追加させてもらいます」


己のイージーミスを反省した忍、謙虚に敬語。


「あの空間の中にいたなら、エシェルは外に出ることもできたでしょう? ……どうして、エシェルは戻ろうとしなかったの。エシェルにとっては、この国はそれ自体が出ることのできない閉鎖空間だったはず」


聞いてしまえば完全に同意の疑問だった。

エシェルはその質問に瞳を伏せて……その視線の先にある手つかずのティーカップには紅茶がゆらりと風景を映しこんでいたが、それも見ていないかのような遠い目をしていた。


それから、その存在に気づいたようにカップを持ち上げ、口づける。

すっかりぬるくなってしまったそれで、口元を潤してからエシェルは顔を上げた。はっきりとしたいつも通りの表情だ。


「一度出てしまえば、二度と人間としてこの地を踏めないからだよ。僕に与えられた役割は、人を見続けること。……それは今も変わっていないし、今後、同じようなことが起こらない限り、変わることもないだろう」


聞きたいことは大体それで終わりだった。

エシェルが危害を及ぼすような存在にならないなら、それでいい。

変わりないようでよかった、とも思う。


それは忍も一緒なのか、小さく安堵するように息を漏らした。


「なら、私から聞きたいことは終わりかな。秋葉は?」

「あ、オレは特には。そういえば、せっかく教えてくれたのにお礼も言ってなかったよな」

「礼? 何の」

「さっき忍も言ってたけどエシェルが早く教えてくれたから、色々助かったんだ。な、忍」

「うん、そうだね。ありがとうエシェル」


エシェルはそれこそ鳩が豆鉄砲を食ったようなあっけにとられた顔をする。

帰属意識が強いようだから、礼を言われる立場ではないとは思っているんだと思う。


でもオレたちからすればそこを括って嫌悪するような相手ではなく……


「……日本人というのは本当に、寛容なんだな」


ぽつ、とそれだけ零された。


「そんなことないよ。しばらく前は他国にヘイト運動する人たちだっていたし……まぁ目立つ人たちが目立ちすぎるだけで、実際はそれを眺める人の方が遥かに多いとは思うけど」

「確かにネットの炎上も、ユーザー数に対してほんの一握りが騒ぎ立てていることの方が多いね」

「全員が全員、同じ価値観を持っているわけじゃないからね。でも日本人としては挨拶と礼は基本だと思う」


育った環境にもよるんだろうけど、オレもそう思う。

実際、エシェルの警告があったから早く動けたし、それを有難いと思うのは普通だと思うんだが……


世の中にはそうでない人も少なくないかもな、そういえば。


「たぶん、そういうのが日本人の根源にあるんだよ。何も信奉しなくても……というか、誰かに言われて、定められて初めてするようなことじゃないんだ」

「……」


多くの人間が無宗教という日本の、八百万の神様たちは、戒律や教義を押し付けない。

海外で無宗教というと「ルールを持たない危険な人間」と思われるそうだ。

随分な価値観の違いだなと思ったけれど、この国でそんな話を耳にするようになって、オレたちのそれは、自然派生したものだと、最近少しわかってきた。


戒律なんかなくても、それが当たり前だと思っている。


そういう意味では、ものすごく変わっている国なんだなとも。

どうりで戒律ありきの宗教の神魔(ヒト)たちが、奔放にやっていけるわけだ。


「難しい話はともかく、エシェルのこともわかって安心したよ。お茶、さめた」

「仕切りなおせばいいだろ」


そして、オレたちは……


フランス大使 エシェル・シエークルの公館の庭で改めてのんびりとした時間を過ごす。



なんだか久々に、日常が戻ったような気がした。

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