日常への階段

1.エシェルとのお茶会(1)ールピシアとケーキボックス

以前の厚木の事件は、皮肉にも今回の天使襲来への大きな教訓として活きたことが証明されしまった。


司さんの言う通り、厚木から逃亡した天使の数が少なかったために、あれはシミュレーションになっていた。

その点も踏まえ、指示系統から編成からすべて見直されての今回の迎撃だった。

死者はゼロだった。


けれど、それが外部からの襲撃であったこともあり、社会に与えられた物理的、精神的なダメージは大きかった。


襲撃の舞台となった街は、一時、報道がすべてシャットアウトされたほどに壊滅していた。


もっとも、神魔がはじめて現出した時のように、物理的な損害は信じられない速さでなかったことのような光景に戻っていたが。


街は一見して、今日も変わりない。


「ルピシアに寄ったら、新しい紅茶が出てた。これをきっかけに私はエシェルのところに行ってみるけど、秋葉はどうする?」

「この状況で、お茶とか飲んでくれんの? ……まぁ、向こうがいいっていうならいいけど」


六本木ヒルズ近くへ仕事に来ていたので、忍は最初からそのつもりだったのか専門店の紅茶を持参しているらしい。

断られる可能性も高いが、電話を入れる。


エシェルは、必要最低限のことを迅速にしたいという人なので、逆にメッセージアプリを使いたがらない。

この場合は、すぐに確認するという意味で電話がいいだろう。


大使館だから、確実につながる。


『はい』


代表を通して、エシェルの声が通話口から聞こえる。

心なし、トーンが低かった。


「あ、エシェル? 忍だけど、いつものお店で新作が出てたから、持って行っていいかな」

『……』


この沈黙は何だろう。

……多分、いつもの調子で話しかけられたことに驚いているんだろう。


天使の襲撃あとだ。

一部の映像は、マスコミにも提供されているので、神魔や武装警察がどうしていたのかもエシェルは目にしているだろう。


ふつうは、何か聞かれるとかもっと深刻な事態を想定するよな。

とくに頭のいい人は、リスクマネジメント力が高くて、最悪な事態まで想定する。

楽天的になれないのは当然と言えば当然だ。


というか、今回に限っては楽天的に出る方がおかしいと思うよ、オレも。


「……今、ヒルズ近くなんだ。秋葉も一緒。お茶しに行ったら駄目かな」

『……いや、かまわないけれど……』


少し困惑するように、けれどOKが出た。

そういえば「フランス大使」は健在だ。

天使としてエシェルはこの国を何のリスクもなく出ることもできるチャンスだったと思うが……


残っていたんだな。


いることが当然のように感じていたが、今更、そんなことに気付いてみる。

そんなふうに端末に向かって会話するその姿を眺めていたが、通話を終了すると忍はこちらを見返してきた。


「お茶うけは買ってないんだけど、何か調達していこうか。……秋葉が手ぶらだからたまには選んだら?」

「いや、オレそういうのよくわからないんだけど」

「デパ地下行けば、適当にみつかるよ」


忍はよく手土産をもっていっているようだが、そういわれるとそんな気を回したことがないので、この際、そうしてみることにする。


大使館に近いからすでに定番は口にしていそうなので、季節のスイーツを買った。

選択が正しいのかどうかは、全くもってわからない。


「……秋葉にしてはおしゃれなチョイスだ」

「……さすがに洋式でお茶出してもらうのに、折詰はないだろ」


無難と言えば無難。タルトなど生菓子だ。

ケーキボックスを柄にもなく左手に持っているオレ。


……違和感。


大使館に着くと待っていたようにエシェルが出迎えてくれる。

実際、待っていたんだろう。


「いらっしゃい」


そういう顔は、どこかいつもより少し硬く見える。


「今日は秋葉がケーキを選んでくれたんだよ」

「君が?」

「えっと……どういう意味かな」


忍が構わずにそういうと意外そうな顔が返ってくる。

オレはケーキボックスをエシェルに渡した。


「いつもただ飲みして終わってるから、たまには土産でも持っていったらと」

「……ばらさないでくれる? ってか、ケーキ買ってくとかオレあんまそういう習慣ないから」

「経済を回しているのは主に女性だからね」


そこまで言うと、顔が少しほころんでいつも見ていたそれになる。

そのまま、もうだいぶ見慣れた通路を通って……


「……今日は天気がいいけど、テラスの方でお茶にするかい?」


大きな窓の向こうに見える緑を見やってエシェルが言うと、忍がそうしたいというので外に出ることになった。

日差しが暖かくて、風はちょうど心地よい。


「贅沢だな、こんな広くて静かなところでゆっくりお茶とか」

「慣れてくるといいよな。なんかピクニックみたいだしさ」


エシェルが用意してくれている間、そんなことを話しながら庭の奥に伸びる小道を見る。実は前まではむしろ、落ち着かない感じもしていた。

神魔のヒトたちの屋敷の庭もこんなふうにきれいでひと気のない庭園だったりするが、ここはひと気がなさすぎる。

静かすぎる、というのだろうか。


都会の喧騒になれすぎているオレには、逆にそれが違和感だったのだと思うが、いつもはすぐに話の方に意識が行くので気にしていたわけでもなかった。


けれど、今日はなんだか深い緑と静けさにほっとしている自分がいる。


さわり、と風が木の葉を揺らす音がする。

いつもなら、聞こえもしていない、音。


気が付くと、気が付き始める。

静かで何の気配もないと思っていたその場所は、鳥の声や風が緑を揺らす音、揺れる木漏れ日、あたたかな日差し、意外と変化に富んだ気配がある。


「忍はこういうのが好きなんだな」

「こういうのって?」

「あ、いや、静かだなーって」


買ってきたタルトは、ホールだった。

考えすぎてここら辺に買い慣れていないところが思いっきり出てしまったわけだが、切り分けていた忍がそれで顔を上げた。


エシェルがティーセットを揃えて、ケトルからお湯を注いだ。

……こういう時、外電源は便利だ。

ふつうに、最新型の電子ケトルを使いこなしている天使らしきヒトがここにいる。

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