籠国の天使(4)ーこの国を護る者

エシェルは汚れを落とすと、着替えを済ませて姿を現した。

すぐに回復というわけにはいかないようで、初めて会った時ほどの鋭さはない。

辛そうには見えなかったが、ひどく疲弊しているようには見えた。


「本当に大丈夫なの?」

「……彼はあれでも、大公爵の地位にいる者だ。制限がいくらか効いているにせよ、結構な威力だよ」


そういって少し笑う。

それで、大丈夫、ということだろう。

それ以上はつきつめずに、かけたソファで向かい合う。


「さぁ、どこから話したらいい?」


聞かれた。


どこからと言われても……


戸惑うのはオレだけではない。さすがにあの光景を見た後、しかも『天使』という存在の可能性に、忍もいつものようにはいかないようだ。


察したのかエシェルの方から口火を切った。


「彼の言うように、僕は天使だ。2年半前からずっと、この国にいる」

「2年半前?」


忍の復唱は、短かった。


「僕はこの姿で長い間、人の中にいた。それが僕の役割だったからだ。フランスの大使だったのは、現代でその役割の人間として生きていたというだけのこと」

「……人の中にいる役割なんて、あるのか?」


『天使』なら、あるいは神であれば大抵、天界なんてものから地上のことはわかりそうなものだ。

わざわざ人間の中に紛れる意味は分からなかった。


「それは『2年前』の出来事とは関係ない。聞くのなら、その先の方がいいんじゃないかな」

「……合理的だね」


話したくない、という風ではなかった。

本当に、聞いても意味のないことなんだろう。


性格がわかるほど付き合ってはいないが、なんとなくそう思った。


「じゃあ2年前から、どうしてここに居続けているの」


忍が継ぐ。


「理由はふたつ。僕の役目は人間を殺すことではなかったし、2年前その命令が下ったのは、最下層の天使(エンジェルズ)のみだ」

「……エシェルの階級、これは聞いてもいいのかな」

「聞かれたら答えないとならないね。それが君たちとあの公爵との『約束』だろう?」

「聞かれたくなければ答えなくていい」


本当は聞いたほうがいいのだろうが、これを聞かないのは、オレたちの都合だ。

今は、嫌なことは無理に聞きたくはない。

これは多分、エシェルの為というより、自分たちのため。

至極単純な理由だ。


エシェルはふっと瞳を細めると両手を重ねてテーブルの上に置いた。


「今はあまり関係ないことだから、優先度の高いものから答えることにする」


それが本当かどうかもわからないわけだが。

ダンタリオンが気づいたように、一人ではどうにもならないということはエシェルが一番わかっているはずだから、深入りしないことにする。


「天使の階層は9つに分かれる。僕はそれより上だから今までの役割を続行して、人間の世界を『視て』いた。ふたつめの理由は……その後」


一度区切って、視線を何ものっていないテーブルに落とす。


「神魔とこの国で協定が交わされ、強大な結界が張られた。……ここに居る限り、連絡手段はない。故に、任務続行、という立場を優先した」

「人間として、出国をしなかったのは? 結界に引っかかったりする?」

「どうだろうな。そこを通ったことはないから、どれくらい感知能力があるのはわからない。当然、その危惧もあって『出る』という選択肢は取らなかった」


引っかかればその場で、どうなるかわからない。

言い方は悪いが犯罪者が検問を抜けようとして、みつかる、というようなものだ。

その時点で、相手は人間ではなく複数の神魔になる。

そこは「天才」であれば、戦力くらい計算するだろう。


もはや何を基準に「天才」と言ったらいいのかもわからないが。


「でも、神魔のヒトたちはそれなりに自国と連絡を取り合っているよね」

「それって、神魔がほいほい出入りできないようにするためもあるけど、そもそも天使が入れないように情報交換だろ?」


忍にしては抜けた質問だな、オレは思う。


「そう、逆を言えば最初から天使がいることは想定されていないんだ。いたら神魔のヒトが気配とかでわかると思うし」

「じゃあなんでエシェルは気づかれなかったんだよ」

「天使としての気配を消していたからでしょ?」


なんか本人に聞いたほうが、早くないか。


オレたちは揃ってエシェルを見た。


「その通りだよ。そうでなくても結界が強力すぎる。まぁ、直接は出るのも無理だし連絡も……気取られるくらいのレベルで試さないと無理だろうね」

「その程度が人間には全然わからないからなぁ……やっぱり、がっちり守りが入ってんのか」


天井で見えない空を振り仰いぐ。

今度はオレ自身が、間の抜けたことを言っていると思いつつ。


「外から来た神魔もさることながら、この国そのものの結界が強い。さすがに、地場との相性もあるだろうし、当然と言えば当然かもしれないが」

「この国そのものって、術者の人たちの結界が神魔を上回るってこと?」


人間の力が、神魔を凌いでいる。

その可能性に、驚いて聞くと、なぜか逆に驚いた顔をされた。


「違う。この国の神々のだよ。術士はそれを結ぶ程度のサポートだと思うけど……知らなかったのか?」

「「知りません」」


二人して首を振った。


「日本の神様は、姿を見せたことがないから……話も聞かない。それはおかしいと思っていたけれど」

「結界を絶え間なく維持するのに力がいるんだろう。どこぞの魔界の貴族のようにほいほいその辺に現出できないわけだ」


あ、今のはちょっと棘を感じたぞ~


しかし、納得はする。

この国にも確かに神がいて、常に日本全土に結界を張っている。

どこぞの魔界の貴族が遊び歩いている間にも、だ。


必要性の問題もあるんだろうが……


「君たちが知らないのは、トップシークレットだからだろう。おそらく、国のお偉方は知っているはずだ」

「……術者がつなぎで入ってるってことは、まぁそうなるよね」


日本は、思っていたよりも大変なことになっていた。


今更。本当に今更だ。

日常の陰には、いつだって誰かの支えがあるもの。

そういうことだろう。


「そのトップシークレットをあいつに話していいと思うか?」

「どうだろ。エシェルが知ってるなら、公爵も知ってる可能性は大だと思う。言わないのは、そんなこと言っても意味ないから、あるいは余計な情報が落ちると危機感があおられて日本人が動揺する」

「そんな親切に考えると思うか?」

「じゃ、言い方変えるね。危機感があおられてめんどくさいことになる」

「把握」


すぐにデマだの炎上だのに流される人間が多いのも事実だ。

人間が知ってもどうにもならないことで、危機感を煽るのは得策ではない。


そのやりとりを眺めるようにして見ていた、エシェルはふ、と笑みを漏らすと続ける。


「そのあたりは、なんとなくの世界だからね。確信に変えるかどうかはそれを見た存在による。神魔でも気づいていないものの方が多いだろう」


じゃあ本当にトップシークレットだ。

黙っておくことにしよう。


その辺りは術者がらみだから清明さんが知っていると思うし……



「……清明さん」

「?」

「気づいてるんじゃないか。エシェルのこと」


ふいに忍に降ると、忍は「あー」と理解したようだった。

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