籠国の天使(3)ー悪魔の判断
まさか、とエシェルを見る。
ダンタリオンが「攻撃」をする相手。
正体を見せろという。
まさか。
「天使だろ、お前」
「!?」
炎で肉が焼けるにおいがする。
目の前で、人の形をしたものが、燃えている。
「よくも二年もその姿で居続けられたもんだな。……どうしたよ、死んじゃいないだろ。さっさと正体見せたらどうだ」
「っ! やめろよ! すぐ炎消せ! できるんだろ!」
気持ちが悪い。
熱は感じないのに、焼け焦げるにおいで炎だとそれがはっきり感じられる。
オレは自分が耐えきれなくなって、ダンタリオンに掴みかかった。
「なんで庇うんだ?」
「なんでって……」
もう一度、その炎を見る。
人の形をしたものは、うずくまったまま陰になっている。
だが、倒れてはいなかった。
「そんなの……今更だろ」
「今更? 天使が侵入する手引きをしてたらどうする。明日にも、またあいつらがやってきたら?」
「!」
それは、冗談では済まされない事態だ。
今は、神魔がいる。
とはいえ、真っ先に犠牲になるのは人だろう。
先日現れた天使たちは、厚木から逃げたものだった。
だから「数」も「現在地」も把握できたのだ。
迎え撃つ準備が先に出来た。
けれど、それは多くの事前情報と、絶対数が少ないという事実のおかげだった。
それがなければどうなるか。
また、大勢、人が死ぬ。
「それはおかしいよ、公爵」
一歩遅れて忍が我を取り戻したように、言った。
ダンタリオンが、いつもとは違う、見下すような目で忍を見る。
「おかしい。手引きに二年もかかる? フランスの大使なら、人間としての出国は簡単だし、二年もいればそういう穴をみつけることはできたはず」
「……」
ダンタリオンは黙って忍を見返した。
「情報を流している素振りはある? エシェルはどうしてこの国に残った? あの天使たちがここに来た理由が何なのか……焼いてしまう前に、聞くことは山ほどあるんじゃないですか」
「…………そう来るか」
そして、珍しいくらい面白くなさそうに、炎をあげたまま焼け切らないその塊に再び目を向けた。
「だとよ。話す気があるなら、姿を見せたらどうだ」
「……!」
炎の中から、生きている者の気配がする。
いずれ、姿を見せなければダンタリオンはエシェルを消そうとするだろうし、炎から逃れるためには姿を見せなければならない。
本当に、彼が『天使』なのだとすれば。
「公爵、炎を消してください」
「先にオレが消すのか?」
「姿の確認は必要ないです。もうこの炎の中で生きていること自体が、彼が人間でないのは明らかですから」
その通りだった。
人間なら、絶命している。
熱はないが、確かに「燃えて」いる。そこで息の続く人間なんて、いるはずはなかった。
「消した瞬間に、暴れだしたらどうするんだ」
「しません。彼はそんなに浅慮なタイプではないです」
「……」
言い切る忍に、とうとう深い息をつくダンタリオン。
確かに、一人きりではどうしようもないだろう。
気配をあからさまにすれば、他の神魔もこぞってやってくる。
二年間。
エシェルの存在について、誰も疑問に思わなかったのは、つまりはそういうことなのだ。
少し話して頭が冷えたのか、ダンタリオンもそれに気づいたらしい。
「お前はどうなんだ」
突然に。
オレに視線が向けられた。
笑っても、怒ってもいない、無感情な視線。
皮肉だがそれがオレのことも、冷静にさせてくれた。
「消せって言っただろ」
「そうかよ」
ふっ、と指を鳴らすようなしぐさをすると、炎は何事もなかったように掻き消えた。
しかし、そこにうずくまるエシェルは、無事とは言えない。
肉の焼けた臭いは、身に着けていた革製品が焼けた臭いだったらしい。
服はところどころ燃え、至る所に煤がついていたが、ちゃんと人の形はしていたし燃やされたというより、火事場にでも飛び込んで、出てきたくらいでは済んでいた。
ほっと息をつく。
「お前、会ったことがあるだろう」
ふいにダンタリオンが言った。
今度は、静かに、だがすこぶる不機嫌な声音で。
顔を上げて、見据えるエシェルの瞳もまた、傷ついてはいたがどこか鋭さを内包してひたと見返す。
「いや、知っている。と言った方がいいのか」
「どういうことだ?」
「……どうもこうもない。オレは帰る」
「!?」
そして踵を返すダンタリオン。
赤い羽織が勢いで大きく翻った。
目を見張って、その背をどこか驚愕したようにみつめるエシェル。
「いいか? お前ら。必要なことは全部聞きだしてあとで教えろ。責任を持ってな」
「……なぜだ……ダンタリオン、魔界の大公爵……!」
「口を利くのも気分が悪いな。けど、そいつらは一番付き合いが長い人間なんだ。顔は立ててやる」
顔を立てる、というのが正しい表現なのかはわからない。
ダンタリオンはそのまま闊達な靴音をホールに響かせて、去っていった。
* * *
「エシェル……」
今更ながらに、駆け寄るオレと忍。
やはり、熱さは欠片ほどもあたりには存在していなかった。
「君たちは……どうして……」
相当傷が深いようだ。
魔法の炎なので、普通に焼かれるのとは違うのかもしれない。
無事なのは……やはり、人間ではないからだろう。
それこそ、ダンタリオンが決めつけてかかるくらいの、根拠があるはずだった。
「どうしてって……」
忍と顔を見合わせる。
ちょっと困ったが、思いついたことだけ、口にした。
「知り合いが焼かれるなんて、やっぱり嫌だよ。それが普通に人間の馬鹿なところかもしれないけど」
「……」
「私たちは、人間の貴方しか知らないからね。それに初めて会った時に、話してくれた」
忍は話し合いの余地があることを見越したのだろう。
よろりと立ち上がる、それを支えようとすると大丈夫だと、静かに手を押し返された。
「僕が『仮に天使』だったとしても?」
真っ向、向き合う形でそう問うてきた。
その質問には、忍が答える。
ただ、これまでの事実を。
「ここは神魔と共生している国だよ。すべての人がそうとはいかないけれど」
「分かり合えると、思っているのかい」
「それは話を聞かないとわからないな」
見かけに騙されるのも、人間の馬鹿さ加減だろう。
オレは、自分より華奢で年下に見えるエシェルを、到底突き放すことはできなそうだ。
「随分と……」
エシェルはふ、と淡い笑みを浮かべて呟きを落とした。
「……な、……が、出来たものだ」
「?」
やはり無理をしたのか、ふらりとよろめいて結局それを支えることになる。
「いや、怪我の方は少し休めばすぐに戻る。とにかく、部屋の方へ……来てくれるか」
何度目になるだろう。
そしてまた、忍と顔を見合わせて……だが、意志の確認なんて必要もなく、揃って頷いた。
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