3.はじまりの、おわり
他の人の机の上にも写真が置いてあるけれど、机の中に、見えないところにそっとしまっておくあたりが父らしいな、と思った。
あまり口うるさくないが、大事にしてくれた人だ。
それがわかるから、俺たちも父のことを大切に思っていた。
そんなことをなんとなく遠く思っていると電話がつながる。
森が出ている。
スピーカーをオンにしてくれて、話は分かった。
その人は、たまたまトイレに立ったところ、悲鳴が聞こえてそのまま個室で震えていたらしい。
二度とここへ来る気はないと言ったが、席を立つときに父の姿を見たと言った。
ミーティングテーブルで客と打ち合わせをしていたらしい。
『どこに座っていたかまでは覚えていないけど……大体座る場所が決まってるの。通路側の、一番奥の席がうちの上座』
つまり、序列順に席が決まっている。組織の暗黙の了解だ。客は扉から遠い方に案内し、更に入り口に遠い方から順に立場が上の人を案内する。
だから父は迎える側の一番奥。
俺は一度写真を戻すと、森と一緒にそこへ足を運ぶ。
椅子は引かれたままで塩の山。塩の山。塩の山。
……一番奥の席も、同じだった。
「これが、お父さん……?」
唐木さんも来てくれている。
森がその山に手を伸ばし片手でそれを掬った。ざらざらと指の間から、少し荒い粒子がこぼれ落ちる。
「……これじゃ、わからない」
どの塩の山も同じだった。
唐木さんはどう声をかけようもないと言ったように痛々しそうにそれを見ていた。
わからなければ、『連れて帰る』こともできないんだ。
だから森は、きっと確証が欲しい。
これが、父だという確証が。
「……」
「お、おいっ君!」
唐突に、森が塩をざらざらと両手でかき分け始めた。気味が悪がって普通は素手で触ろうなんて思わないだろう。
唐木さんには黙ってそうした森が取り乱しているように見えたかもしれないが、俺は止めなかった。
すぐに、それはわかった。
森の手が止まる。
その指先に何かが当たったようだ。摘まみ上げたそれは、金のネクタイピンだった。
「……それは」
唐木さんは目を見張った。
服も何もかも、塩になって消える。どれも大差ない小山を見ると、そう思うのは当然で。
……そこから、個人を特定する物が出た。
「純度が高い貴金属は、そのまま残るそうです。宝石とか、純金製のものだとか」
「それじゃあ、それは部長の……?」
「はい、俺と森が、誕生日に贈ったものです」
二人そろって確認をすれば、間違えようもなかった。
「お父さん、やっぱり帰ってこられなかったんだね」
森の口調は、静かだった。
それから唐木さんに、何か袋でもなんでも、入れ物がないか聞いた。
確証が持てたからには、連れ帰ってやりたい。
すぐに唐木さんは新しいビニール袋を持ってきてくれた。
森がそこにふたすくいほど、その遺骸に代わるであろう塩を入れた。
「その……二人とも」
痛々しいまでに。
思えたんだろう。
大人だって近づかない場所に、子供が二人で父の死亡を確認しに来たなど、普通は考えられないことなのかもしれない。
「唐木さん、ありがとうございます」
森が礼を言った。
「え……」
「これではっきりできました。父は連れて帰れるし、もう待たずに済みそうです」
「……」
俺も礼を言った。
唐木さんは、どこか信じられないと言った顔をした。
「そう、だよな」
ぽつり、とつぶやく。
「この塩の山、ひとつに一人、誰かがいたんだよな」
そんなこと、考えなかったんだろう。
『それが誰か』なんて。
なんとなくみんな死んでしまった。あの日に、ここにいた人間は。
それくらいの認識だったのかもしれない。
そして見まわす。
ふらふらとなんとなくおぼつかない足取りで、唐木さんは自分のいたデスクとは裏側の、ある席の前で足を止めた。
すこし後ろからついていた俺たちは、その机の上に何枚か挟んである写真の。そのうち一枚に唐木さんの姿をみつけてしまった。
「そうか、これ……」
椅子は半端に引かれたまま、その上には崩れかけた塩の山がある。
「お前なのか……」
そう言って、唐木さんはその机に両手をついて、その名を呼んで、堰を切ったかのように大声で泣いた。
その人とは仲が良かったのだろう。
それが友人のなれの果てであるということに、今、初めて気が付いた。
ただの何も言わない塩の山が、ここで毎日のように会っていた、その人なのだと。
……しばらくして……唐木さんは腫れたまぶたをこすりながら言う。
「すまないな、いい大人がこんなに大泣きして。君たちはそんなに静かに部長を見つけ出したのに」
顔を見合わす俺と森。
森が首を振った。
「泣くくらい、大事な人だったんでしょう?」
それで唐木さんはまた泣きそうになるのをぐっと抑えたようだった。
「本当に、君たちはすごいな。白上部長にそっくりだ」
少しうつむいて、笑みを浮かべていた。
「そっくり?」
「部長も冷静で、いつも落ち着いていた人だったよ。俺たち下っ端もちゃんと大事にしてくれて、……二人とも、部長に似てるんだなぁ」
ははは、と今度は顔を上げて笑った。
でも。
「!?」
唐木さんは自分の言葉で、今まで気丈に落ち着いていた森を泣かせてしまった。
気付いて必死になって謝る。
森は声も上げずに涙をこぼしている。
父さんに似ていると言われて、堰が切れてしまったんだろう。
それでも、声を上げることはなかった。
「大丈夫か?」
「うん……唐木さん、ごめんなさい」
「いや、オレの方こそ……余計なこと言って」
「そんなこと」
ひとしきり泣くと森は顔を上げてわずかな笑みを浮かべた。
「嬉しかったです。父に……お父さんに似てるって言ってもらえて」
唐木さんにしてみれば、その一言で救われただろう。
あまりにも人が死に過ぎた。
これからは、うかつに家族の話すらできなくなる時代になってしまう。
俺たちは、受け入れて先に進む道を選んだ。
けれど、こんなふうにだれがどこで消えているのかわかりもしない状況では、割り切ることもきっと難しい。
そういう意味では、父を見つけられたのは幸いでしかなかった。
唐木さんに挨拶をすると、俺たちは階段を下りて、帰途に就く。
「司、タイピン」
それを渡される。
「使える時が来たら、司が使いなよ」
「いいのか?」
「使わないと、意味がないでしょ」
そういった顔は、もういつも通りに戻っていた。
「そうだな」
その時が来たら、大事に使わせてもらおうと思う。
無事に帰宅すると俺はタイピンをラックの上にある写真の前に置いた。
森はどこからか小瓶を取り出してきて「塩」をそれに入れた。
一つを寄こす。
「……これを、……どうしろと」
「遺骨みたいなものだよね。残りは後で考えよう。とりあえず、だよ」
そして自分は大事に持っているのかと思いきや、タイピンの横に置いた。
俺も習って、そうする。
「これはこれで、二人分ある感じでいいね」
「いや、いいかどうかはわからないんだが」
私の分と、司の分。もしくはお父さんの分と、お母さんの分でもいい。
並ぶ小瓶を見ながら森はそういった。
「……母さんの、会社はどうする?」
「もういい」
特別冷たい感情があったわけじゃない。
悟ったんだろう。
父で確証を得てしまったから。
それに母は個人を特定できるようなものは、身に着けてないはずだった。
「女の人だから、せいぜい何か見つかってもネックレスとかだろうし……それじゃ、お母さんだって、わからないよ」
確かに、父のそれは特別だった。二人で確証を持つに値する特別なもの。
「それとも司は確かめに行きたい?」
聞かれた。
「いや、……もう、十分だろ」
これは多分、森のもういい、と言ったのと同じ意味だ。
もうわかったから。
二人とも、帰ってこないことは分かったから。
……その日、俺たちは待つことをやめた。
そして、他の誰もがそうしているだろう、それと同じく、この惨状から残った家族を守ることを誓う。
何ができるというわけでもない。
けれども互いに、支えようとする気は十分に伝わった。
森は俺の片割れだ。
これ以上は、何も失くせない。
そして俺は、それから数か月後……
武装警察への道を選ぶことになる。
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