2.荒廃した街で

夜明け前に、自宅へ帰ることはできた。

両親には伝言サービスを使って無事な旨を残してある。


けれど、二人とも帰ってこなかった。

次の日も、その次の日も。


そして、天使たちは毎日のように街をまわる。

誰も外に出なくなり、経済活動も何もかも止まってしまった。

基地局が壊れたのか、その内携帯も使えなくなり、ただ、テレビだけはいくつかの放送局が性懲りもなく代り映えのないニュースを流している。

さすがに人工衛星までは破壊されていないらしい。

いつのまにか、それが唯一の情報を得る手段になってしまった。


ラジオはこんな時良いというが、ラジオ局がやられてしまったのか俗にいう砂嵐の状態だ。テレビもいずれ、電送か放送局が潰されれば何が起こっているのかさえ知ることはできなくなるだろう。

時代が高速で巻き戻っているような日々が続く。

皮肉なことに、夜活動すれば物品がどんどん消費されてしまう。

いつまでこの状況が続くかわからないので、夜は蝋燭かLEDの小さな卓上ライトで過ごすこともあるが眠る時間が自然、早くなった。

そして活動する時間は、天使たちが現れるのと同じ時間だ。


逆にすれば良さそうだが、するといざという時に逃げることが出来ず、大抵の人間は、警戒と焦燥とともに過ごす。そんな生活を余儀なくされている。

それに社会活動が意味をなさなくなったことで、夜に活動する意味すらなくなっていた。


「司……リバーシの相手してくれない?」


こんな時。

メンタル的に折れる人間が増える。

当たり前だ。外出もろくにできない状態で、日常が壊れたのだからそうとう負荷がかかるだろう。

しかし、幸いというべきか、外に出られないならそれはそれでという時間の過ごし方を心得ている人間もいる。

家族がそれというのは、どうしようもない時間を同じ空間で過ごし続けるには随分と救いになった。


「いいけどな……」


そうして、時々、伝言サービスを確認しながら過ごす。

緊張状態の続く、一週間は意外なことにあっという間に過ぎた。

次の一週間も両親は帰ってこなかった。


諦め、というにはもどかしいものがある。

帰ってこられないだけかもしれない。


あの夜。

初めの夜。

夜明けまでに自宅にたどり着けた人間の方が少なかったのではないかと思う。

足止めを食らい、動けなくなっている人も相当数いたらしい。

結局、そんな人間は会社に戻ったり、自治体が解放した一時避難場所に入ったが……


避難所はまっさきにやられた。


やはり人の集まる場所に釣られていくのは不正解だった。格好の餌食になるのは、なんとなくわかっていた。

だから、運よく自宅に帰ることができた俺は、そうして窓から見える街並みが荒廃していくのを見ながら、何日も過ごした。



天使の数が減ってきたのは、ひと月ほどした頃だろうか。

その頃になると、人間側もしびれを切らして外に出る人たちが現れた。

そんな人たちからもたらされる新しい情報は、悪魔が現れるというものだった。

どちらにしてもろくなものじゃない。


たった二人だから、保存食でつないで、あるいは夜の内に損壊した無人のコンビニに代金を置いて確保したものでなんとか持っていた。

夜に天使が動かないとわかると、闇に紛れて政府からの配給も始まっている。

夜中に公然とした機関の配給が、こそこそと行われるのはおかしな光景だ。

最低限のライフラインはそれなりに無事だったのでそこだけは救いだった。


「司、テレビ。あれ見て!」


そんな折、緊急速報が流れた。

制度的に日本の国でとることができない「戒厳令」が異例に敷かれていたわけだが、それが解除されるとのこと。

それは、あの日から数か月が経過したころだった。



戒厳令が解除されても、安全が保障されたわけではない。

それは政府の偉い人とやらがテレビで繰り返し言っていた。

「自粛要請」だそうだ。

そのレベルまでは落とせる。だが、自粛しなければ運が悪いと人外のものに遭遇するらしい。

外出ができるようになって、森(シン)が言った。


「司……お父さんの会社、行ってみようって言ったら、一緒に来てくれる?」


伝言サービスには、結局応える人はいなかった。


「行ってどうするんだ」

「確認するんだよ」

「どうやって」

「わからないけど……」


それは行ってみないとわからないことだろう。

森は確認したがっている。父の死を。

それはすぐにわかった。


『帰ってこない人をいつまでも待つのはつらい』


からだろう。

かといってこのままだと、期待をしてしまう。

戻らないという確証もないからだ。


おそらく、多くの人がそうなんだろうと思う。

どこかで無事に、生きていますように、と。



俺は森と一緒に父の職場を訪れることにした。

相変わらず交通機関はマヒしていたが、徒歩で行けないことはない。

住所を頼りに、オフィス街のビルへ足を踏み入れる。


当然、無人だ。

所属と、階数を確認して階段で上がる。

施設内は破壊されていない。

その代わり、あちこちに白い砂……それは塩であったらしい、の小山が残ったままだった。

訪れたのは昼間だが、それでも気味が悪かった。



二人で父の勤めていたはずであるそのフロアに入る、と誰かが机に向って何かをしていた。

仕事ではない。しいて言うなら片付け、といったところだろうか。


「すみません」

「うわぁ!!」


声をかけるとその人はひどく驚いたようだった。


「あ、……君たちは……?」


ここの社員だろう。スーツなど着る人はもういなかったが、荷物を持ち帰ろうとしているようだから、同じようにいろいろと確認に来たのかもしれない。


「白上の、家族です」


息子と娘です、という言葉は出てこなかった。

森は双子で、妹、というよりもっと別の言葉がふさわしいように思えたせいもある。

それでも家族、と言えばすぐにわかるはずだった。

男性は実際、それで察してくれた。


「あ、部長のお子さんか! そういえば双子だって」


俺と森を見比べながら言った。


「でもどうして……」


そこから先は出なかった。

父が無事なのか、それともここに二人で来たということは別の用事なのか、聞いてはいけないと思ったのかもしれない。


「父がどうしたのかを、確認に来ました」


森が気丈に言った。

少しその人は驚いたようだった。


「部長、やっぱり戻ってなかったのか……」


表情が曇る。

やっぱり、という部分を突き詰める必要はないだろう。

ここも塩の山だらけだ。


どうやって確認するか、と俺は言ったが、席が分かればあるいは存外簡単に分かってしまうのかもしれない。


「父の席を見せてもらっていいですか」

「うん、あぁ俺は下っ端の唐木って言うんだけど」


名乗られたので、こちらも名乗った。

そして、唐木さんは父の席を教えてくれた。

二人でその席を覗く。


椅子の上に、塩の山はなかった。


「……」


ちょっとばつが悪そうに、それでも心配してくれるように唐木さんがその様子を見ている。

そちらを見返して俺は首を振った。


「ここにはいなかったようです」

「そ、うか……じゃあ」

「すみません、当時の父のスケジュールとか、わかりますか」


気休めを言われる前に森がそれを止める。

笑みを浮かべかけた唐木はそれで、笑みを消して、だが手元にある書類をひっくり返しながら答えてくれた。


「サーバがやられたらしくて、パソコンがまともに動かせないんだ。スケジュールはまとめてみられるんだけど……あぁ、でも入り口脇のボードで出張とかそういうのはわかるよ」


そう言って、席を離れて確認してくれる。


「……特に外には出ていなかったみたいだ」


その時、出かけている人間がここでわかるのだろう。

会議、出張、営業など社内での動きもわかるようだが、父の名前の下にはなにもなく、おそらくそれは在室を示していた。


「すみません、もう少しいいですか」


兄妹ふたりでこんな時に親の会社に来ることに唐木さんは酷く同情しているようで、時間はあるから大丈夫だよと、親切に森の話を聞いてくれた。


「あの時、ここで無事だった人って……いるんでしょうか」

「オレはちょうど休暇取ってたんだよ。ここに来るまで、やっぱり時間はかかっちゃってね」


心の整理と覚悟は必要だろう。生き残った人間にとっては。


「だけど、経理の子がたまたま席を立ってて助かったって」

「連絡、つけてもらえないでしょうか。もしかしたら、その時父がどこにいたのか、わかるかも……」

「いいよ、待ってね」


唐木さんはすぐに自分の電話でその人につないでくれた。

俺は父の机の引き出しをなんとなく開ける。

カギはかかっていない。


一番上の引き出しはトレイと社内用だろう、印鑑が置いてある。

机の上はきれいに片付いている。未処理の書類はケースに入れられてまとめられていて、そんな感じだから引き出しの中も片付いていた。


なんとなくトレイを上げる。と、写真が隠れていた。

手に取る。


………………俺たち、家族の写真だった。

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