籠国天使編

1.天使再来(1)ー恐慌

突然に。


天使たちはその上空に現れた。

良く晴れた日だった。


二年前の、あの日のように。




はじめは空に舞う、いくつかの点を人々は何の感慨もなく、見上げた。

神魔がそうして上空を移動することは、基本自粛という約束事だが、ないことではない。


だから、ただ、興味を抱いた人間が、それを見上げていただけだ。

舞う鳥を、ただ眺めるかのように。



そして彼らは気づいたろうか。

神魔にしては、高い、高い場所だ。

そんな高みを飛ぶのは今どきでも鳥くらいだろう。


けれど、それは鳥ではなかったのだ。


おそらくは。



それに誰かが気づいただろう時には、光が降っていた。


「!!」


破壊音と悲鳴が、ほぼ同時に街のあちこちから上がった。

オレは、午前の外交の仕事がひと段落して少し早めの昼食をとっていたところだ。


尋常ではないその音に、誰もが窓の外を見た。

そして、一様に同じ方向に向かって逃げ出し始める人々の姿が目に入る。


「なんだ……?」


逃げながら人々の中には、後ろを振り返る者もおり、あるいは初めからこの辺りにいた人々は、事態がよくわからないのか立ち止まっている。

そして、そんな人々もまた、同じ方向を見、誰かが、空を指さした。


そして、他の誰かが何かを叫ぶ。


「それ」が何であるのか理解した者から順に、彼らは悲鳴を上げて逃げ始めた。


自動ドアが開くのがもどかしいとばかりに、黒服の警官が数名、レジ前に駆け込んでくるなり叫んだ。


「皆さん! 今すぐ店を出てください。辺り一帯は緊急封鎖区域になります!」


店が広いので、どうしても叫ぶ形になる。

ひっ迫させたくはないのだろうが、その見知らぬ警官自身が酷く緊張した面持ちであることは、オレにもわかった。


「封鎖って……」

「どういうこと……?」


いまいち呑み込めていない客や店員がざわざわとささやきあっている。


それとほぼ同時に、ブブ、とオレの携帯が鳴った。

目を落とす。

忍からだ。


短いメッセージが入っている。

オレはそれに目を落としながらそれで初めて警官が明かす、その理由を聞いた。


「天使数体が、この先の通り上空に出現しました。情報が早かったため、特殊部隊はすでにそちらに向かっています。避難してくだされば、被害は及ばないはずです」

「天使!?」


忍からのメッセージは、短く、だが同じだった。


【天使がヒルズ付近に現れる速報あり。近くにいるなら速やかに離れて】


警官はできるだけ、混乱を避けるために言葉を選んだ。

それは伝わる。

だが、そのたった一つの単語が、人々をざわめかせるには十分すぎる。


その後に数人の警官……やはり喚起専門だろう、みんな黒服だ、が入ってきてできるだけ落ち着いたまま避難させようと誘導を始めていた。


返信をする間もなく、順番が来て、オレも席を立つ。

再び、着信。


【特殊部隊は全員ヒルズに投入。私もバックアップに向かう。神魔との連絡はターミナルが受け持つ】


短すぎて、意図が逆に伝わってこない。

通話で連絡を返したいところだが、それどころではない雰囲気なのでここを抜けてからにする。


店の外に出ると、黒服の一般警察が並ぶ店から人々を誘導して、同じ方向に流している。

さきほどの混乱ぶりから一転、対応が早かったようだ。

みんなそれに倣って、従っている。


白服の警官、特殊部隊だろう、の一人が人波に逆走してすぐ横を駆けていった。

なんとか目で追おうとして、オレは見た。


その行く手の上空には「天使」の姿があった。


白い制服は人並みの向こうに消えてしまったため追えなかったが、空は容易に見える。


「二年前」。


大挙したその姿が確かにそこにある。

徐々に合流して増えてきた人の中で、流れに押されるように歩いていたが、オレは横の路地に入った。

忍への連絡をまだ、返していない。


都内には狭い路地やビル同士の合間が多く、人がそうそう通るものでもないので、ただ数歩入っただけでも、こういう時は異世界のように隔絶される場所だった。


コールする。

数回で、忍は出た。


『秋葉? 今日は六本木方面だって聞いたけど』

「心配してくれたのか。うん、まさに今、ヒルズ上空見えるとこ。さっきのメッセージの意味がよくわからない」

『事務連絡だよ! 言葉が足りなかったのは認める。外交部はとりあえず、することがないから待機だって。と、いうか私より先に本部に確認しなかったの?』


そうだ、非常時だ。

職務上だったら先にそっちにかけるべきだった。


しかし、これは「異例」。

オレが護所局に就いてから……ということは、誰しもにとって、初めて起こる事態だ。


「誘導が入って、それどころじゃなかったんだよ。今は路地に入ってかけてる」

『悠長だな……』


ここら辺が日本人の危機意識のなさと言われるゆえんだろう。

とりあえず、今回に関しては「仕事がらみだから」ということにしてほしい。


『そろそろ速報もあちこちに出回り始めるはず。下手したらスマホは使えなくなるよ。その前に本部に連絡取っておいた方がいい』

「そうだな。お前は? バックアップがどうとか……」

『専用回線で、戦線と情報部のターミナルをつなぐんだ。ターミナルからは、他の部署に情報が回る予定。だから、私のところが情報が一番早い』


すでに移動中なのだろう。

周りから聞こえてくる音は、街の音でもオフィスの声でもない。

車内だろうか。


「それにしたって、お前はターミナルに残る側じゃないの?」

『想定外の事態だよ。手を挙げた人は優先的に配置されてる』

「……手を挙げたのか」


どうしてわざわざ危険な方へ向かおうとするのか。

オレには理解できない判断だが、それをした人間は多くないだろうことは理解できる。


だから、即採用されたのだろう。


『秋葉だから特別情報流しておくよ。メッセージの方、あとで確認してね』


そして通話は終了した。

すぐにメッセージが届く。


内容はこうだった。


【天使の数は6体と想定される。厚木方面からの飛来が15分ほど前に確認されている】


【15分も前に、確認されていた。だから、対応が早い。大使の神魔にも繋ぎ済だから、現場にはすぐに集まってくれるはず。危険性は、2年前より遥かに低いと思われる】



めちゃくちゃ、報告モードだな。

しかし、現状は把握できた。


メッセージを使ったのは、情報漏洩に当たる情報だったからだろう。

移動中なら、周りに他にも人はいたはずだ。

これは音声では伝えられない。


「15分も前に、厚木から……?」


そう遠くない記憶通りなら、天使の殺戮は無差別だ。

わざわざそいつらは、それをしないでここまで来たことになる。


そしてさっきの破壊音……


攻撃ポイントをこの街に絞った、ということだろうか。


……そんな動きをしていた記録もないはずだが……妙に数が少ないのも気になった。



気になって。



……まずい。逃げないと。



そう思う一方で、足が逆に向かう。

いや、逃げたほうがいいんだって、外交することないんだし。


わかっているのだが、危険が少ないとか言われると「気になる」気持ちの方が大きくなってきたりもして、困る。


それなりに危機意識は持ち合わせていたはずだが。


路地の奥は袋小路だったので、そちらに向かうには人波を逆走する形になった。

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