3.大使館でお泊り会(1)-フランス大使は動じない

その日、オレと忍はエシェルに招かれて、仕事上がりに夕食を御馳走になっていた。

今日は金曜。

事務職は、土日が休みだ。

ふつうに明日から連休で、今日はこのまま泊って行けば? という冗談とも本気ともつかないエシェルの言葉に、興味も先立ち流れでお泊り会が急遽開催されることになったという経緯だ。


「……私もすごく興味はあるんだけど……」

「やっぱり女性には前もって準備が必要かい?」

「いいえ」


きっぱり。


まだ忍の性格を把握しきっていないエシェルの紳士的な発言もかたなしとなる。

まだ新しめの、広大な大使館の部屋はより取り見取りだ。

普段だったらここはオレより忍の方が乗り気になるところだろう。


「珍しいな、用でもあんの?」

「そうじゃない。そうじゃないけど……まぁいいや」


お世話になります。と、忍。

オレはここでもっと疑問を持つべきだった。


割とすぐに、そう思うことになる。




食事を終えて、時間は19時半を回っていた。

何事もなく歓談し、エシェルは個室を案内してくれる。

もちろん、ゲストルームもあるが見学を兼ねて近い棟にも行くことになった。


……夜。


徳川時代から続くという、広大な庭園。

うっそうとした木々の奥に沈む闇。



そして、沈黙した無人の建物たち。


そうだった。

大使館の人はほとんどいないんだった。


数百人を収容していた建物が、真っ暗で灯りもないさまは、どこか夜中の学校をほうふつさせた。



「……何か、オレ怖いんだけど」

「そうでしょう。エシェルは一人でここに住んでるとか、すごいよね」


個人単位で言うと大豪邸状態だが、はっきりいってこの都会のど真ん中の、これだけの建物が無人無灯火な様は、異様な光景だ。


そして、忍にはこの光景が容易に想像できていたらしい。


「夜の学校って、なぜか怪談多いじゃない」

「やめろ、トイレに行けなくなる」


ほー、ほー。


とにかくただでさえ広大な敷地面積の、広大な部分を庭園という名の森が占めているため、都会では聞くことがないと思われる生き物の声がする。


というか、いろいろな生き物の気配がする。


気のせいだろうか。


「ふたりとも、こういうのが怖いのかい?」

「日本は夜の学校は恰好の肝試しスポットだから、必要以上に変なイメージがあるんだ」

「そうか。……確かに、肝試しにはいいかもしれない」


いや、そこ腕組んで感心するところじゃないから。

様子を見るにエシェルはそんなことを考えたこともないのだろう。

恐れしらずだ。


「じゃあ、僕が暮らしてる棟で一緒の方がいいね。見学は昼にしようか」

「普通にそうしてくれると助かります」


忍もさすがにこの鬱蒼とした暗闇に、感じるものがあるのかなぜか敬語になって、元の建物へ促す。

庭園には、街灯も設置されていたが人がいなくなって久しいせいか、点灯はされていない。



ばさばさばさっ



何かが近くから飛び立つ音がして、思わずビクっとなるオレ。


「うーん、普通に怖い」

「お前怖そうじゃないんだよ。ホントに怖がってる?」

「夜の学校とかマジヤバいのレベルです。私はそういうところは苦手です」

「うっそ、意外ー」


失礼な。

と憤然と言い切られる。


いや、お前、全然異形の神魔とか怖がらないじゃないか。

一体、何が怖いって言うんだ。


オレには理解できるようで、理解できない。


 うぉぉぉーーーーーん



「エシェル!? 今の何か、日本にいたらダメな奴っぽくない!? 気のせい!!?」

「さすがに狼ということはないと思うけれど……野犬が入り込んでいるかもしれないね。あるいは、ご近所の飼い犬の声が反響してるんじゃないか?」


その程度の認識なんだな。

元の建物の入り口まで戻った。煌々とついている灯りに、どこかほっとする。


しかし。


「俺も仲間に入っていい?」

「ぎゃあああ!!」


誰もいないはずの背後から、いきなり肩に手を置かれた。

気を緩めた直後だったので、思わず絶叫。


「そんなに大声で叫んだら、ガードマンが来るだろ」

「キミカズ」


飛び退って、前を行っていたエシェルの前、つまり今は振り向いた後ろに逃げ込む。

エシェルはなんでもないように、その名前を呼んだ。


「来るなら一言くれないか。見ての通り今日はお客が来てるんだよ」


そこにいたのは、茶色の髪を無造作に後ろに束ねた若い男性だった。


「この時間に客なんて、滅多にどころかいままでないじゃないか」

「まぁ……こんな時間にアポなしでやってくるのは、君くらいだね」


知り合いらしい。


「えっと……エシェル、お知り合い?」

「あぁ。人間では唯一ここに勝手に出入りしてる存在だね。伏見仁一(ふしみきみかず)。……秋葉、普通に人間だから、大丈夫だ」


バクバクしている心臓を押さえっぱなしのオレに、大事なことだと思ったのだろう。

人間である旨を二度言った。


「勝手にってなぁ……ガードマンとは顔見知りですぅー」

「なんだい? 酔っているのかい? ……調和を乱さないでくれるかな」


けっこう辛辣なやりとりができるあたり……実は、親しいのではないだろうか。

清明さんは友達になってほしいといっていたけれど、割と本音をずっぱり言い合ってそうな気配はする。


「お泊り会するんだろ? 俺も仲間に入れて」

「……いいかな」

「まぁ、寝るまであと正味2時間くらいですけど」


そう、宅飲みに来たわけではないので、ふつうに休めばそんな時間だ。

仁一と呼ばれた男性は、ちょっとブーブー言いそうな顔になっている。


「明日は休みだろ? ちょっと夜更かししようよ~」


軽い。忍が了承の意で答えたが、そういうのは好きではないのだろう。

若干、渋面になっている。


まぁ、初対面で、仮にも異性に対してそれはないよな。


「ヒノエ」


男性は、一言、そういった。


「!」

「どうなされました? 主(ぬし)様」


美しい、白装束の女性が突如として現れた。

しかし、幅の広い布で目隠しをしている。

和服姿であるから、神魔の類ではないように見えるが……今の現れ方は明らかに不自然だった。


「女性は女性同士。こっちのお嬢さんの話し相手にでもなってくれない?」

「……これは一体……」


エシェルがはぁ、とため息をつく。

随分、奔放そうな人だけど、説明が必要だと思ったのだろう。


「とにかく一旦、部屋に戻ろう」


仕切り直しとばかりに、部屋へ戻ることになった。


「はぁ~今日も一日、よく働いた」


……戻るなり、三人掛けのソファを一人で占拠してごろんと横になる。

本当に、奔放な人だな。


働いたって、こんな感じで組織で動いているのが想像できないけど。


忍はそんな彼の呼び出した明らかに人外の存在に、不躾さへの不快感はふっとんだようだ。

興味のベクトルが完全にそちらに向かっている。


スツールなど適当に各自腰をかけたところで、エシェルが説明を始めた。


「彼は……俗にいう、宮様だよ」

「みやさま?」

「……旧皇族。天皇家の傍系。宮家って言った方がわかるかい?」


宮様ーーーーーー!!!!?


どうみてもしつけの微妙な奔放な人にしか見えない。

旧がつくとはいえ、マスメディア越しに見る皇族の品の良さや穏やかさがむしろ、かいま見えすらしない。


困惑。

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