さいごの「人の大使」(3)

「今の世界……日本のこと? それとも地球全土?」

「どっちもだ」


意見を求められる。

これは大使として、他国の人間として、エシェルが見聞きし、感じたことと現実が違っていることを意味している。


でなければ、疑問など投げかけられないだろう。


この、神魔と共生をはじめた日本という国で、それを考える人間はほとんどいない。


再び顔を見合わせる。

今度はオレが先に答えた。素直に、だ。


「どう思っているかと言われても……正直、そんなことを考える人はあまりいないと思う」

「なぜ」


すぐの切り返しに、一瞬言葉に詰まるが、続けた。


「2年前に何が起こったのかは、エシェルも知ってるだろ?」


オレも、忍に倣って、敬語もやめ、言われた通りに呼んだ。


「『天使』が現れた」

「そう、で、人がたくさん死んだ。エシェルの国だって酷いことになったんだろう? 日本は、天使以外の存在に護られてる。……質問が抽象的で何答えたらいいかわからないけど、共生はありだと思うし、そう考えるとどうして天使は人間を排除しようとしたのか、わからないな」

「…………」


オレの行き当たり場当たりな答えにエシェルはただ、黙す。


「共生はいいこと、か」


そしてぽつりとそういった。


「私も概ね、秋葉と同じだけど、確かに天使の人間殺しの目的はわかっていないんだよね。宗教的に言うと、汚れた人間を殲滅とかそういうパターンが多いわけだけど」

「『彼ら』はそういう目的でしか動かないだろうね。唯一の神が、絶対なんだ」



忍の答えに、応じたその言葉に引っかかりを覚える。

天使に対して『彼ら』という単語を用いる人間は、そういない。

そのせいだろうか。


「人間は汚れている?」

「どう思う」


また逆に質問。

話が哲学的になってきた。

ついていけるか、不安だ。


「エシェルは海外の人だから、なんで日本だけ、って思う?」

「いいや。それはない。けれど、日本人は他国のためになぜ動こうとしないか、という疑問にはいきつくね」

「それは単純に、他国のために動くほどの余力がないからじゃ?」


そう、日本から一歩出ればそれだけで致死はほぼ確定になるくらいの確率だ。

同意を示すとエシェルは、深くため息をついて、組んだ両手を、ソファの上に乗る両足の上に置いた。


「その通りだ。合理的な意見だな。……ここで性善説、性悪説を議論しても仕方ない」

「……」



なんとなくわかってしまった。

エシェルは、理屈としてこの事態を理解している。

けれど、やはり理屈では割り切れない部分があるのだ。



もしも、余力があったなら。

おそらく、少しくらいのそれでは他国のためには動かない。

そもそも神魔でさえ、全滅を逃れるために日本へ来ている者たちもいるのだ。


しかし、問いかけは「人を助けないで自分だけが助かる道を選ぶかどうか」まで行ってしまっている。


当然、答えが出るはずはない。


「性善説と性悪説か……私は、どっちかに決める必要もないし、根本がどっちでも、結局結果が全てだと思うな」

「……」


言葉を咀嚼するように、エシェルは顔を上げて、忍を見た。


「続けてくれないか」

「……いろんな人がいるって言うことだよ」


忍の返答は、簡潔だった。


悪い人もいれば、いい人もいる。


これは人間だけに言えることではない。

神魔を見てきた今ならよくわかる。


ただ、エシェルが見ているのはそのウェイトの問題なのかもしれない。


「いろんなヒトというなら、人間だけじゃなくて悪魔も神様も入ってる。もしかしたら天使もそうかもしれないけど……そういう情報も、気配もなかったし、わからないね」


むかし、神に反逆をした天使は、魔界に堕ち、堕天使という名の悪魔になったという。

そんな存在が今もいるなら、頼もしいのだが。



というか、ある意味堕天使はすでに味方でもあるから、逆に言うと現存する天使は、完全に神のしもべということにはなるのだろうと後から気づいてみる。



エシェルは、それを聞いてしばらく沈黙していたが、小さくため息をついて空気を緩めた。


「そうか。君たちはそう考えるんだな」

「エシェルは少し、違うんだろ?」


オレは素直に会話の延長で聞いてみた。


「なぜ、そう思う?」

「忍が今、いろんな人がいるって言ったからさ。なんとなく、色々考えて疑問に思ってるんじゃないかと思っただけだよ」

「……」


また沈黙。

けれど、会話が成立することが分かったので、初めよりは話しやすい。


「考えすぎだよ、秋葉。……で、いいかな」

「オレは構わないけど……」

「そう、ただ、ここには長いこと外から人も寄りつかなかったからね。人は時間を持て余すと余計なことばかり考える。違うかい?」

「…………」


すみません。あんまり考えません。


「秋葉は時間が余ったらだらだらできる人なので、思考に没頭するタイプじゃないの」

「君はわかりそうだね」


フォローになっているんだかなっていないんだかよくわからない助け舟に、クスリと笑みを漏らすエシェル。


「2年かぁ……その間、こんなに広いところに一人でいたんじゃ、考えすぎにもなるでしょう」

「もちろん街にも出ていたけど、そうだね。今日は少し風が吹き込んできたようだ」


少しだけ、会った時より穏やかな顔になった。


「また来てもいい?」

「それは『友達』になるための努力かい?」


そういえばあったな、そんなミッションが。


「たくさん聞きたいことができたんだ。あと、衛星写真で地図見たら、敷地が広大過ぎて探索し甲斐がありそうだなと」

「あぁ、ここの庭園は君たちの……徳川幕府の遺産なんだよ。だから、今でも日本政府が手入れをしている」

「そうなの!?」


なぜに、フランス大使館に、徳川幕府の庭園が。

聞けば、ふつうに教えてくれた。


「フランスは歴史遺産を重視する国なんだ。だから、庁舎が改築されるときも、庭園にダメージを与えないようにデザインされた」

「……ひょっとして、カーブとかちょっと珍しい作りなのって」

「すべてに意味はあるんだ。そう、君たちが言ったように自然との共生、というものなのかもしれないね」


窓から見える広大な緑をエシェルはどこか懐かしそうに眺める。

かつて、ここにいた人々を思い出しているのかもしれない。


「フランスは、とても環境を大事にする国なんですね」

「そうだね、人も国も、いろいろだ」


そして、運ばれてきたまま、冷めてしまった紅茶をようやく一口、口元へと運んだ。




* * *




結局のところ。



エシェルとは『友達』には当然、なれてはいないとおもう。


けれど、拒絶されたわけでもないので「知り合い」程度にはなれただろう。


これで、清明さんの依頼が達成できたのかどうかはわからないが……




忍は、次回の庭園の散策に乗り気だ。

人が消えて久しい広大な敷地の、名目だけの管理人は、次に風が吹くことを望んでいたようだし、約束をした時は、オレも来ようと思う。




広いエントランスで少年のような小柄な「天才大使」は、


ただ一人、オレたちの姿が消えるまでそこで見送っていた。

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