3.虹の下水道館のネーミングセンスについて

挨拶が終わると、橘さんは窓から流れる景色に目を向けた。

まだ午前中の涼しさが残っていて、窓を開けている。

都内と言えども、冷涼な風が入るとやはり気持ちがいいものだ。


「最初は『虹の下水道館』に行きますが、その前にもう一人拾っていきますね」

「清明さん、ネーミング」

「既存の施設ですよ。僕がつけたわけじゃありません」

「水は確かに重要なライフラインだけども……水の科学館じゃなくて?」


虹と下水という、異様なコラボでむしろイメージがつきづらい。

もう一人が誰なのかよりもそこに思わず反応すると、忍が後ろからそう続いた。


「水の科学館?」

「お台場の近くにあるよ。体験型のミュージアムだけど、実際の地下給水所に降りて、漏水調査もできたりする」

「なんでそんなに詳しいの?」

「だいぶ前に、行ったから。ねー、森ちゃん」


後ろにふっている。

不知火がいるから席は離れているが、うん、というツーカーぶりが何が起こったのかを物語っていた。


「漏水調査って……誰得だよ」

「何言ってんの? 地下4層もある給水設備に立ち入るだけでもレアな体験なのに、興味すら持てないとか、何のために生きてるの?」


わざとだとしても、そこまで言わんでくれ。

何のために生きるのか。

この状況で、哲学的な問いかけをされても困る。


「むしろ自由行動したい気分だよ私は」

「オレはリアルな地下ダンジョンに興味はないんだ。うちで動画見ても満足できるタイプなんだ」

「それはそれで幸せだとは思う」


否定してくれていいところなのだが、突然の他意なき同意が返ってきたりするので、会話が予想外の方へ転がっていく。

それを聞いていたのか、通路を挟んで反対側の橘さんがふいに吹いた。


「…………」


それから口元に手をやって、小さく肩を震わせている。

声も出さずに笑っている。


「橘さん……」

「すまない。戸越さん……だよな? ……なんか馴染みないから下の名前で呼んでいい?」

「馴染み?」


忍は、名前で呼ばれる方が好きらしくそこは気にしないようだが、オレもそこは気になった。

先に聞き返すと、応えてくれる。


「司と話すときは、二人とも下の名前だからな。……と言っても、ほとんど忍ちゃんの話はしない、聞いても避ける」


いつのまにかちゃん付けになった。

橘さんの年はわからないが、忍は確かに童顔というか年齢不詳なところがあるので、大体、曖昧な年齢以上だとこうなる。


「必要に応じて名字呼びになったりするしな」

「……それはTPOを踏まえてじゃなく?」

「なぜかあんまり話したがらないんだよ。元々他人の話をするタイプじゃないけど」


わかる。

しかし、忍の話だけ避けるというのは……


「どういうことだ。司くんに会ったら小一時間問い詰めたい」

「お前、できれば人に話しを広めてほしくない方だろ。なんでそこで小一時間問い詰める方向に向かうんだよ」

「それはそれ、これはこれ」

「…………司がいるときも、いつもこんな感じなの?」

「そうですね、通常運行です」


想像がつくのかつかないのか。

オレの言葉に、混迷を極めたのか橘さんは、ちょっと考えていたが遂に天井を振り仰いだ。


「全然想像つかない」


やっぱり。


「ん? というか、こっちが妹ちゃんじゃないよな。ならわかるんだけど」

「橘さん、よく見てください。こいつ制服着てますよ」

「………………そうだよな」


どういう理由でか、初対面の橘さんまで混乱に陥れる、忍の無意識の言動の副産物。


「司くんはよく遊んでくれます」

「!?」

「やめろ! これ以上橘さんを混乱の渦に巻き込むな!」

「嘘は言ってない。私から見た感想」

「………………それ、同じこと司さんの前で言えるか?」

「言えるよ」



そうですね。


橘さんはメガネのフレームを、額を抑えるようにして、抑えている。


「こういう奴なんであんまり気にしないでください。ちなみに司さんはあまり深く考えないのがコツだと言ってました」

「……そうか、司がそんなことを言うのか……」


何か、橘さんの知っている司さんとオレたちの知っている司さんの認識にずれがある模様。


当然、認識ブレを起こしているのは、忍の存在だろうが。


「ところで橘さん」

「京悟でいいよ」

「では、京悟さん。秋葉のことも名前で呼びます?」

「そういうことは、オレがいうことなの。あ、オレ、全然呼び捨てでも構わないんで」


これは忍が軌道修正をかけてくれたんだろう。

話が、ごくごく一般的な軌道に戻ったので、橘さんもどこぞの世界から、戻って来た。


「そうだなぁ……社会人的にはアウトっぽいけど、年も近いし聞きなれてるからその方が有難いかな」

「どうぞ」


笑顔のやり取り。

が、年齢についてはなんとなく聞けなかった。

自分が敬語になってしまうのは、相手が上だと思っているからかそれとも単に性格上の問題か……


つきつめても心理的に面倒なことになるだけな気がする。

いずれ、特殊部隊の人なら関わりになることもまたあるだろう。


その頃、ハイヤーが止まって、忍は森さんと不知火のところへ移動していった。

代わりにドアが開いて、一人参加者が追加となる。


「どもー」


よっこら、と上がってきたのは、ちょっと前に行方不明騒動を起こしたルース神父だった。


……まさかの参加者だ。


「おっ、あんたこの間の外交官だな。お久!」


軽い。


「こ、こんにちは」

「皆さん、初対面でしょうので紹介しておきますね」


清明さんの配慮。


「こちら、ルース・クリーバーズさん。術士です」

「よろしく」


簡潔過ぎる紹介。

本人もまったく神父である旨の主張をする様子もなければ、むしろめんどくさいからそれで十分、みたいな感じになっている。


忍がいままでいた後ろの席に無造作に座った。

近い席なので橘さんが、やはり自己紹介をしている。


「護衛に術士から参加とは聞いていないけど、今日だけ参加組?」

「うん、オレ外国人だから。清明が異文化理解して来いー!って。めんどいけど、ま、仕事じゃないからな」


究極に、仕事をするのが嫌いなタイプの気配を感じる。


「はは、異文化理解か。確かに異文化だよな」


こちらも年が近いせいか、すでにノー敬語。

むしろどっちもタメ口。


「そうだよな。ある意味悪魔だのなんだのは異文化っつーか、むしろこの間までのオレの本職……」

「ルースさん! 三食昼寝付き生活ってどんな感じですか!?」


教会の神父です。

主張しなくても、公言はばからないタイプなことはすでに理解できる率直さ。

それは前回もう我が目で見て、わかっているのでうっかりそっちに繋がらないようにする必要が……


くすり、と前方から小さく笑う声が聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る