5.通勤ラッシュ篇(1)
晴れだった。
清々しいほどの晴れだった。
朝一番の光がばっちりさしこんで、一日の始まりを告げている。
朝が来てしまった。
司さんはすでに身支度を終えるくらいで、オレも起きて洗面所へ向かう。
窓からの眺望は、昨晩の夜景ほど感慨深くはない。
確かに高層だが、それを除けばビジネスホテルと大差ない気がした。
夜景ってきれいだったんだな。
改めて思っても、いつもと早めの出勤の時間である。
「おはよう秋葉、司くんも」
「あぁ、おはよう」
忍はあいさつもきちんとしてくる。
そういうところは礼儀正しいよな、と思う。
「清々しい朝だね。外に車待ってる」
地獄めぐりの護送車か。
さすがに朝からめげていても仕方ないので、むしろ気を引き締めていくことにする。
空回りしない程度に。
出勤ラッシュの時間は駅にもよるが、都心に近いほど8時~9時の傾向があるそうで、8時に大井町駅出発だ。
他方から乗り替えの多い駅で、改札もいくつかに分かれている。
「駅ビルの方につけてください」
ベレト王を回収……もとい、連れて車はロータリーのある西口に止まった。
改札は二階で、サラリーマンの方々がエスカレーターを使うより早く階段を上る姿が見える。
『これが「通勤」というものか』
もはや感想が、常軌を逸していてある意味新鮮だ。
「車でする人もいますが、個人的には電車が好きですね」
「そうなの?」
「車は自分で運転するから他のことができないし、事故ったら責任は自分だからリスキーだ」
……交通網の発達しまくってる都内なら確かに一理ある。
『シノブは通勤ラッシュが好きなのか』
「……いえ、通常空いてる時間の方が落ち着きます……」
朝から頭というか非常に気を使うやり取りになりそうだが、大丈夫か。
ICカードを持たせて改札を抜けさせ、自分たちもあとに続く。
もうこの時点で周りにとって「だいぶ邪魔」感は出ている。
巨体な時点でアウトだろうが……さすがに一般の神魔もこの時間はいいことないと心得ているのか姿は見当たらなかった。
改札を抜けるとホームへ降りる階段がふたつそれだけだ。
「色々な線が通っている割に意外に駅はシンプルだな」
ちょっと感心したように司さん。
「ホーム北に北口と他の線へ乗り換える階段があるよ。昔は大井町線一本だったけど、今は臨海副都心とかいろいろ通ってるからそっちの方が人多いんじゃないかな」
言いながら、階段へ向かう
「とりあえず、通勤ラッシュに突入するにあたりまずひとつ。閣下、とにかく流れに乗って下さい」
『確かに足並みをそろえたあの流れを乱すのは、むしろ至難の業であろうな』
ベレト王の頭はひとつ上に抜けているが、言われた通りホームに降りるまで流れには乗ってくれている。
というか、さすがに出勤時に後れを取るわけにはいかないのか、昨日と違って足早な人並みは割れもせず、急かしてすら来る勢いだ。
……そうか、ここは戦場なのか。
その言葉は決して的外れではない。
すぐに階下に見える列。
つぎの電車を待つスーツ姿の人々。
『このような時も日本人は整然としているのだな』
礼儀にやかましいベレト王は、余計な動きをしないリーマンの皆様に感心しているようだ。
「二列に並んで次の電車を待ちます」
いちいち説明するのが大変だ。
日本人にとっては教わりすらしないでできるの当然、みたいなことだが神魔にとっては確かになれるまで謎だらけだろう。
リーマンの皆様にとってもオレたちにとっても、問題が予防出来て親切だ。
「しかし、これ、乗れそうか?」
「ここは数分おきに来てるからいつかは乗れる」
リーマンの皆様はいつかではなく一度で乗ろうとするからすごいことになる。
そう考えると次の電車まで数分を待てないのだろうかと思うが、数分後続が並ぶだけで状況としては変わらない。
「ベレト閣下」
水色のラインの電車が滑り込んできて、忍はひとつ注意事項を発する。
「扉が空いたら降りる人が優先です。降りきったら乗りますが、ラッシュ時ですので結構無理して入ってください」
『うむ……!』
きらーんみたいな返事だったがなんなの? 魔王様、そんなに楽しみなの?
昨日までの近寄りがたい威圧感どこ行った。
「でも押しすぎないでください。人間は割と簡単に圧死します」
その表現。
『周りをよく見ろと言うことだな。心得ている』
「では実体験コースのスタートになります」
投げやり。
しかし、実際投げやりどころでは済まされない状況が次の瞬間待ち構えている。
「おわぁ! 潰れる!潰れる!」
「秋葉はラッシュ慣れしてないからなぁ……」
『ふんぬ~』
違う。それ以前に。
このままではベレト様とサラリーマンの皆様の間のクッションになってしまう……!
ここ最近ではそんな光景、テレビでも見たことなかったがホームにいた駅員が2人、慌てて走ってきて
オレたちを容赦なく押し込んだ。
そこは引いてくれ。次の乗車をお待ちくださいでいいだろう。なんで押し込むの。乗車率が180%からこの車両だけ一気に210%くらいになっただろ!
なんとか収容。
『なんと窮屈な……このような中、何十分も身動きを取らぬというのか』
「この場合は忍者といういよりサラリーマンという企業戦士の皆さまですね」
ある意味、毎日これでは戦いだ。
今日は特別仕様だろうが。
「お前、なんでこんなぎゅうぎゅうなのに涼しい顔してんの?」
「別に通勤ラッシュを苦痛に思ったことない。特別嫌なにおいがする人とかでもいない限り……朝はみんな身支度きちんとしてるし」
もみくちゃだよもう。詰め放題だよ。
しかし、慣れというのは怖いものでもみくちゃというほどスーツを朝からしわにしている人はいない。
改めてみると、すごいな。
「むしろラッシュ時はみんな無言なのが好きだわ」
……友達とのんきに通勤する場所じゃないからだろ。
ガタン、大きく揺れる。軽く斜めっている。
大井町、品川間は割と距離が長くて山手線を乗っているときとは違う揺れ方をしている。
しかし、体勢を崩す余地すらない。
「ほら、山手線も合流だよ」
「すまん、見ている余裕はない」
この人山の中から外を見るとか無理だろ。お前の方が身長的に埋もれてるはずだが、どこ見てるんだ。
「閣下、降りる人優先でお願いします」
『良いだろう』
よいだろうじゃねーの。それが暗黙のお約束事なの。
司さんは黙ったままだ。
……この状況だと、その方がまったく浮く要素がないという意味で利口だ。
ガイドの忍はしょうがないよな……
車両が火の海になりませんように。
車内アナウンスとともにドアが開いた。
ぎょっとするホームに待つ人たち。……すみません。
『……! 何をするのだ! 余の背を押すなど……!』
怒りオーラが目に見えて噴出する。
最大級の不敬だから当たり前だろう。
みんな降りたがっているだけで、普通なんだけどな!
一瞬、後ろからの圧力……どころか車両の中の空気が止まった。
というより凍りついていると言った方が正しい。
「すみません、ラッシュ慣れしていないので」
先に押されて降りていた忍が車内に戻って、ベレト閣下の後ろの人たちに向かって言った。
「閣下、今日は民間体験ですよ。今日ばかりはここにいる方々と同等です。入り口を塞ぐように乗っている人は、一度降りてこの駅で降りる人のために道を開けるのが礼儀なのです」
『そうであったか……』
それで自分からホームに降りる。
駅員が非常停止ボタンを押しかけているのをオレは見た。
ほっとしたように、かつ迅速に降りていく人々。
「こうして道を開けてドアの外で待って、降りきったらその先へ行く人はまた乗ります」
『思ったよりも細かい約束事があるのだな』
全部暗黙の了解でできているところが日本人はすごいと思う。
こういう外の人を見ていると、当たり前のことが当たり前じゃないんだなと思う。
比較対象としてはイレギュラーすぎるわけだけども。
再び乗車。
普段は快速らしいが、この時間は各駅停車という地獄。
この調子では、圧死の前に心臓がつぶれそうな気がしてくる。
『他に何かこの状態で、気を付けるべきことはあるのか?』
どんな興味の持ち方か全く理解できないが、ベレト閣下の方から聞いていた。
「……基本的には、流れに逆らわない、人の邪魔にならないようにする、無暗に人の体に触れないように気を付ける、ですが……」
ちらをオレを見た。
他に何かあったっけ?という意味だろう。
そんなものだと思う。頷く。
『このような体勢で他者に触れるなとは、日本人はどこまで己に厳しいのだ……!』
確かに。
すし詰め状態で、密着どころの状態でないはずなんだよな。
「消耗しないコツとしては、私のように押されやすいタイプはむしろ大きく揺れたら……」
ガタン。
割と大きめの揺れが来た。ほぼ全員が傾く。
「このように、一切力を使わずに周りの動きに任せることでしょうか」
実地。
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