第75話 水の面《おもて》

 王の魔法使いガストームは水鏡を見つめながら立っていた。

 水鏡は遠目に見ると石で造られた丸テーブルの様だ。その縁に手をかけてじっと目をこらす。


(わずかに円が広がっている・・・・・・ように見えなくもない)


 黒い闇を写す水面は、中央に丸く光る異世界を写していた。


(あの妙な力はやはり・・・・・・)


 異世界からなんらかの力が及んだかと推測する。その思考をノックの音が止めた。


「ゲオルグです。よろしいですか?」

「どうぞ」


 慌てる様子もなくガストームは指で水面に触れた。

 小さな波紋は丸い光を消し、その波すら即座に消える。水鏡を使っていたとは思えない静寂せいじゃくな面となった。


「異世界の件はどうなっていますか?」


 ドアを閉めたゲオルグは開口一番にそう聞いてきた。


「ん?」

「先ほど妙な力を感じました」

「そうか、私もだ」


 ゲオルグの目が興味の色を放つ。それとは反対にガストームは落ち着いた声だった。


「異世界の者がこちらに来たのでしょうか。それともハジルが何か企てを?」


 声をひそめるゲオルグにガストームが目を合わせる。

 ガストームはゆっくり顎を上げながら人差し指を立てた。その指を数度、ノックするように前後に動かす。


「どちらも考えられるが断定もできぬ」


 ガストームが自分と同じ思考をしていた事にゲオルグが勢い込む。


「ガストーム様を差し置いてあの娘を手に入れようとしてる可能性もあるのでは?」


 ゲオルグはこの部屋で写真を目にしていた。写真を知らない彼らはそれを精巧な絵だろうと結論づけて、亜結が魔法使いだろうと予想していた。

 眉をひょいと上げたガストームは、どうだろうと言いたげな表情を見せた。


「そんな大胆なことができる男ではない」

「あの者にルガイ王子は止められません。命令されれば逆らえないでしょう」


 実際にハジルは無理難題であろうと王子の命令に従うだろう。ゲオルグに同意の頷きを見せつつ、ガストームは彼からゆっくりと離れた。


「だが、娘を捕まえてルガイ王子に何の得が?」

「・・・・・・それは」


 ガストームの言葉にゲオルグが口ごもる。


「娘を捕まえるとして、そなたなら出来るか?」


 問われてゲオルグは黙った。

 同じ上級魔法使いと言っても、ハジルはガストームやゲオルグより魔力は弱い。2人が出来ないことを彼がひとりで行えるとは思えなかった。


「水鏡で確認はした。特に変わりはない」


 ガストームは軽く頭だけを下げて、ゲオルグに“お引き取りを”と促す。


「ですが・・・・・・」


 食い下がろうとするゲオルグをガストームが見つめ返した。その瞳は有無を言わせない力強さがあった。


「ああ・・・・・・では、私はこれで」


 恐れをなしてゲオルグが引き下がる。

 ドアが閉まるまでゲオルグの背を見つめていたガストームは、つと目を床に落とした。


(昼間の王の行動が裏目にでたか?)


 感情が表に出やすいルガイ王子。手に取るようにわかるその様子が王には可愛くてしかたないのだ。躾と称してわざとつついて楽しむ。

 ゆがんだ愛情だと事あるごとに指摘しても流されるばかり。


「鼻をへし折るつもりが怒りに火をつけてしまったかもしれぬな」


 深い溜め息を吐いてガストームは水鏡を見つめていた。






 暗い道路から亜結の部屋を見上げて秋守は立っていた。

 亜結へのプレゼントを握りしめて、この坂道をもう何度行ったり来たりしたか。


「ごめん、僕が悪かった。ーーーいや、協力するから僕も関わらせてほしい・・・・・・。じゃダメか」


 言い回しを少しずつ変えながら、似たような言葉をぶつぶつと呟いている。


(ごちゃごちゃ言っててもしょうがない。亜結の顔を見て話そう)


 強くはっと息を吐いて自分にカツを入れる。階段を上がって、そして明かりのついた彼女の部屋の前に立つ。

 チャイムを鳴らした秋守は息を整えて亜結が出てくるのを待った。






「この呪文でもだめか」


 秋守が仲直りの言葉を探っている頃、シュナウトは異世界と繋げる呪文を探していた。

 テーブルに水を張ったおけを置いて、水鏡の代わりに色々な呪文を試す。


「見知らぬ場所を写すのも難しいが、異世界と繋げるなんて・・・・・・どうすればいい?」


 その場所を捉えるアンカーが見つからない。そのせいか、どの呪文も水面にぼやけた光を写すばかりで上手くいかなかった。


「アンカーか・・・・・・」


 ふと亜結の姿が浮かんだ。


「・・・・・・人をアンカーに?」


 人を思えば人に埋もれる。

 場所を捉えてからその場所に居る特定の人物に繋げるのがセオリー。しかし、その場所がはっきりしないのだ。


「風景画すらない場所だ。セオリーとは真逆だが標を道標にして繋げてみよう」


 シュナウトはくすりと笑った。


(標を道標にとはな)


 言葉遊びのようで苦笑いする。


せいそうひょうかいおう


 思い出せる限りはっきりと亜結をイメージして声を送る。

 シュナウトの見つめる水面が揺れて、すぐに静まった。手応えを感じた。


(おかしいな、反応はあったのに)


 繋がったと感じたのに水面は暗いままだった。


(顔が不鮮明なせいか、もっとしっかり確認しておけばよかった。もう少しなのに)


 今さら後悔してもしかたがないが悔しさに唇を噛んだ。そのとき、ドアをノックする音が耳に入ってシュナウトは水面に触れた。


「シュナウト」

「え?」


 ドアの向こうからかけられた声に驚いた。その声がユリキュース王子の声に似ていたから。


(王子が? なぜ?)


 不思議に思いながらもドアを開けると、そこに立っていたのはまぎれもなくユリキュース王子だった。


「どう・・・・・・なさったのです?」


 驚くシュナウトにユリキュースは気まずそうに笑顔を見せる。


「夕食に顔を出さないのが気になって。珍しいことだから」

「あぁ・・・・・・あ、どうぞ」


 シュナウトは驚きながらも王子を招き入れた。


「長く一緒に居るのに、そなたの部屋に入るのは初めてだな」


 落ち着かない様子のユリキュースが薄暗い部屋の中を眺めた。


「閑散とした部屋でしょ。必要なものしか置いてませんから」


 殺風景な部屋はこじんまりとしていて小綺麗だった。


「こんなに物が少なくて大丈夫なのか?」

「大丈夫だからこのままなんですよ。寝に帰るだけですから、ここに来たときと大きくは変わっていません」


 笑顔を見せるシュナウトにユリキュースが目を丸くする。


「いま、標と接触する方法を試していたんです。なかなか上手くいきませんが」


 そう言ってシュナウトが指し示した場所にテーブルがあった。

 それはユリキュースの部屋にもある洒落た1本足の丸テーブルだった。天板は小さな円形のはず。その上に似つかわしくない大きいサイズの器が置かれていた。


「あれが私の水鏡です」


 シュナウトの言葉にユリキュースの目はさらに丸くなった。





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