第74話 クローゼットの中
「うっ・・・・・・」
(痛ッ!)
意識が戻ったとたん亜結は首筋に痛みを感じて顔を歪めた。
「ああぁ・・・・・・」
顔を上げると後頭部がズキズキと痛む。目を開けようとした亜結は軽いめまいを感じてうつむいた。
痛みが遠退くのを待ってぎゅっと閉じた目を開く。と、体に巻かれたひもが目に入った。薄暗くてもわかった。
(あっ、そうだハジルに・・・・・・!)
体を動かそうとしたが動けない。後ろで合わせられた手首が動かせず、足もびくともしなかった。
(椅子に固定されてる)
座ったままの姿勢で椅子にがっちりと
「うっうううッ、ああ」
口になにかを
(どうしよう!)
ハジルに捕まった。
こちらの世界に引き込まれて捕まってしまった。
(秋守先輩・・・・・・)
心配する秋守の顔が浮かぶ。
(知ってるのはユリキュースとシュナウトさんだけだと思ってたのに)
気づいているのは仲間だけ。
向こうから覗かれても見るのは彼らだけだと思っていた。まさか敵対する人物と鉢合わせするとは思ってもみなかった。
(こんな事になるなんて)
どうにかならないかと手や足を闇雲に動かしてみる。けれど、ひもは緩みそうになかった。
(テレビは? どうなってるんだろう)
ふと気になった。
確か引き込まれる寸前に小箱を閉じる魔法を唱えたはずだ。間に合ったのか間に合わなかったのか。
(消えてたらいいけど、テレビがついたままだったら・・・・・・?)
亜結の心で不安がひたひたと波打ち始める。
(ハジルは? どこにいるの?)
(私の部屋に行ってたら・・・・・・どうしよう)
屈強な兵士を連れたハジルが自分の部屋の中を物色している。そんな姿を想像すると落ち着かなくなった。
「合鍵を作ってもいい?」
秋守の声が耳の奥で響く。
(あ・・・・・・合鍵!)
ユリキュースと言い合いになったあの日。
秋守の腕の中に帰った翌日だった。
「これは?」
「僕の家の鍵」
手渡されて亜結は嬉しさと戸惑いを感じたのを覚えている。
「家に来たときに渡すつもりだったんだけど」
そう言った秋守が次になにを言うか見当がついた。
「お互いの家の鍵持ってると便利だし、昨日みたいに連絡つかなくて何かあった時のために・・・・・・さ」
秋守には心配をかけさせてばかりだ。
(合鍵を作ったら心配の種、減るかな・・・・・・)
亜結の手のなかで彼の家の鍵が温まっていく。それはドアを開いて待つ秋守の心のように思えた。
(秋守先輩は渡してくれたのに、わたしはあげないなんて)
拒絶されたと秋守に思われないかと気になった、だから。
「うん、そうしよう。わたしも安心」
亜結はそう言って笑顔を見せて、大学へ向かう途中で作ったのだ。
(ハジル達と出くわしたらどうしょう)
実際に彼らが亜結の部屋へ行っているとは限らない。でも、偶然出くわしたら・・・・・・と思うと、怖さが増して居ても立ってもいられない。
この世界にこなくても秋守の命に危険が及ぶ可能性。それは亜結の心を冷やした。
(はやく逃げなきゃ。どうにかして抜け出さないと!)
ギリギリとしめつけるひもを緩めようとやっきになる。
ペンダント無しのいま、自分の力だけで元の世界へ戻れるのか。不安がよぎった。
(ここから逃げ出してユリキュース達のところへ!)
手首が痛む、擦れてヒリヒリする。それでもやめなかった。
(んッ! んぐぐっ・・・・・・)
「逃げるつもりか?」
(・・・・・・はっ!)
「簡単にはほどけないぞ」
正面からハジルが近づく。そして、両手を肘掛けに置いて亜結を見据えた。
「ルガイ王子を知っているか?」
亜結はじっとハジルの目を見ていた。
「お前の存在を王子が知ったらどうなると思う?」
ハジルの言葉を
「お前はいくつだ? 若いな」
そう言って、ハジルは亜結の顎に手をかけた。
「王子は目にする娘は全て自分のおもちゃだと思っている」
以前テレビが見せた映像が亜結の頭に浮かんでぞっとした。
「ふふ、顔色が変わったということは、王子のことを知っているようだな」
ベッドの上で抵抗する娘を殴り付けて馬乗りになっていたルガイ。異様に光る彼の目が恐ろしかった。
「今までに娘を何人殺したか知れない」
ハジルはそう言いながら横の扉を開ける。部屋より暗いその中に洋服がかけられているようだった。
「アザがあればあるほど王子は興奮する」
振り返ったハジルの目がろうそくの灯りを受けて光った。
「王子の前に出されたくなければ」
言いながらハジルは亜結の後ろへ回った。そして、後ろから亜結の頬に顔を寄せてハジルは言った。
「おとなしくしていろ」
しわがれた低い声がびりびりと伝わる。そのまま、後ろから伸びた彼の腕が肘掛けをつかみ亜結ごと持ち上げた。
「うっ!」
「黙っていろ」
力のある若者とは違う安定感のなさが怖かった。いまにも転がり落とされてそうな不安定さに目をつぶる。
いくつかの布が顔をなでる。ゴトリと置かれて亜結は目を開けた。
扉がそっと閉じられて、亜結は真っ暗なクローゼットのなかにひとり残された。
夕食後、ユリキュースはいつものように庭に出ていた。小さな丸いテーブルを前に、椅子にかけて茶を飲む。
今日はジルコーニュ姫もジェラルド王子も訪ねて来なかった。
穏やかに1日が終わるはず。そう思っていた。
(なんだろう)
胸がざわつく。
体調が悪いわけではない。予感めいた落ち着かない感覚に手を胸に当てる。
「どうかされましたか?」
離れて控えていた召使いフィリスがユリキュースに尋ねた。
「いや、なんでもない」
「食事で具合が?」
「そうではない。心配しなくていい」
しばらくは食事に毒を盛られることはないだろう。リュースも上手に断ったと報告を受けている。
「シュナウトは? 夕食に顔を出していなかった」
「お部屋にこもっておいでのようです。後で食べるとおっしゃっていたので、取り置いています」
そうかと言ってユリキュースは立ち上がった。
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