第73話 混沌の中の記憶
ガチャガチャと音を立ててルガイ王子が夕食を口にしている。王子の機嫌は多少良くなった、というところだろうか。
(あの娘のことを報告するのは後にしておこう)
ハジルは王子の様子をうかがってそう思った。
いま話せばすぐにでも王の前に娘をつきだすだろう。王の口から誉め言葉や
(こちらがもっと有利になる提案を持って出ていかなくては)
ルガイ王子のためにも、ハジル自身の地位向上のためにも。
(あの娘、食事を終えるまで気絶していてくれるといいが)
ハジルは食事を続けながら自室へつながる廊下に目だけを向ける。
娘は手足をしばって椅子に固定した。手っ取り早くそうしたが気にかかってしかたがなかった。
(もしも暴れて椅子ごと倒れたら・・・・・・?)
普段から勝手に部屋に入るなと召使いたちには言ってある。しかし、人がいない部屋から物音がしたら人はどうするだろう。
(興味をそそられて覗かれでもしたら)
(一見しては気づかぬようにしておけばよかった)
この場にいながら魔法で対処することもできる。だが、頻繁に使うのは不味い。
(あの娘を水鏡から引き出したときの魔力も関知されているはずだ)
他の魔法使いから尋ねられたときにつく嘘の数が増えてしまう。増えた嘘はほころびを生みやすい。
(あとで隠し場所を移動するとしよう)
暗い廊下を見るハジルの目もまた黒々としていた。
秋守先輩・・・・・・。
意識が
記憶の中の亜結は、まだソファーの上で横になったままスマホを手にぐずぐずとしていた。
(はぁ・・・・・・)
これで何度目のため息だろう。
(秋守先輩、電話もラインもしてくれない)
怒った秋守の顔がちらつく。
これでいいんだと何度自分に言い聞かせても、秋守の顔が浮かぶと後悔してしまう。
「わたしを信じて黙って待っててくれたらいいのに・・・・・・」
黒い画面を見つめていてもしかたがない。
スマホを床に置いて目を閉じた。その直後に着信音が響いて飛び起きる。
「秋守先・・・・・・! ・・・・・・あぁ」
表示された名前を見て亜結はまたソファーに埋もれた。
横たわって目を閉じたまま話す。
「姫花・・・・・・なに?」
亜結の浮かない声を聞いて姫花が笑った。
「なによその声、元気ないなぁ」
「んん・・・・・・、気にしないで」
あれこれ聞かれたくないし聞かれても話せることは限られている。
「秋守先輩と喧嘩したでしょ」
憶測じゃなく見抜いたような姫花の言い方にぎくりとした。
「・・・・・・したけど、なにも聞かないで」
亜結のすねた声に姫花がまた笑う。
「もぉ、面白がるなら切るからね」
「待ってまってッ」
笑いながら姫花が引き止めた。
「亜結、いい事があるから待ってて」
「いい事って、なに?」
「ただ黙ってじっとしてたらいいの」
プレゼントを早く渡したくてしかたない子供みたいに姫花の声がうきうきしている。
「なに?」
「教えない」
「教えてよ」
「んーー・・・・・・。どうしよっかなぁ」
「姫花ぁ」
「あはは、知りたい?」
いたずらっ子だ。
「・・・・・・もぉ、切る」
「ちょっと待って! 会ったの、秋守先輩に」
人の口から聞いてもその名前に心が止まる。
「仲直りのプレゼント買ってたの。ぐうぜん会ってね、わたしも選ぶの手伝ったんだよ」
「秋守先輩が?」
「そう」
「わたしに? プレゼントを?」
あんなに怒っていたのに。
もう来ないと思っていたのにプレゼントを買っていた。仲直りしようとして。
「そうだよ。まぁ、今日は行かないかもしれないけど。気まずそうだったし」
いたずらっ気の消えた姫花の声が落ち着いて優しくなる。
「どっちが悪いかまで聞いてないけど・・・・・・。先輩が気持ちの整理に少し時間かかっても怒らないで、素直にプレゼント受けとりな」
どこか黒川に似た口調の姫花に、少し考えて「うん」とだけ答えた。
言いたいことを言い終わった姫花にさっさと電話を切られて部屋が静かになる。
いつの間にか暗くなった部屋は電気をつけても暗く感じられた。
(ひとりの部屋って・・・・・・殺風景)
同棲していたわけでもないのに秋守のいないこの場所が淋しく思える。
「さっさと片付けよう」
いまの課題。秋守と喧嘩した原因。
亜結は小箱を手にテレビの前に座る。
(早く解決しちゃおう。ユリキュースが気にならないように、さっぱりと手を引けるように)
小箱を開ける。
ペンダントの力でユリキュースとつながって画面に彼の顔が写る。そう思っていた。いつ王子を逃がすか今すぐか・・・・・・と考えていた亜結。画面に人の姿が写った瞬間、
(・・・・・・!?)
亜結は驚いて目を丸くした。
(誰!? あ、この人!)
まずい、そう思った。
(ルガイの魔法使い!!)
本能的に体を後方へ引いた。小箱を閉じるより先に。
「は・・・・・・ッ!!」
画面からぬっと突き出た腕に右腕を捕まれてゾッとする。
(冷たいッ!)
氷のような腕が亜結を引っ張る。
亜結の腕がするりとテレビに飲み込まれた。
(嫌ーーーッ!!)
右肩まで入りかけて左手でテレビを捕まえた。とっさにつかんだ手から投げ出された小箱が床に落ちて転がる。
「くうッ!」
テレビの縁をつかんだ腕に力を込めて必死で体を引き戻した。
「ううッ!! ・・・・・・あっ!」
再びぐいと引き戻されて耐える。腕だけでは耐えられなくて頭を画面の縁に当てた。
(離して!!)
画面の角に耳が当たって痛い。
(小箱、小箱を閉じれば!)
目の端に見えている小箱は手を伸ばしても届きそうになかった。
(閉じなきゃ! なんとかして閉じなきゃ!!)
ドアを閉じるように2つの世界を繋げているテレビを消さなくてはだめだ。でも、手は離せない。手を離した瞬間に引き込まれてしまう。
力の差は大きい。
すでに上半身の半分は画面に飲まれている。首はくの字に曲がって顎の先まで入っていた。
(そうだ、魔法! 魔法でふたを閉じれば!!)
そう思ったのと同時に引かれた。
今までよりも強い力で!
「
ぱかっと音を立てて小箱が閉じる。閉じるより先に亜結の体は飲まれていた。
溺れる者が口だけを水面に出すように、かろうじて「閉」と唱え終えて亜結は消えた。
電気のついた静かな部屋に、小箱はそっと置かれたままになった。
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