第72話 アクシデント
「ん?」
夕食を食べ始めた頃。宮殿内で魔法が使われた、そう感じて魔法使いゲオルグはフォークを持つ手を下ろした。
「どうした?」
ガルディン王子が肉を頬張りながら聞く。
「少し・・・・・・変わった魔法の気配がしたものですから」
「変わった魔法?」
酒をあおったガルディンが指をしゃぶる。肉の油で口も指もギトギトだ。食事のマナーについてゲオルグが口を挟まなくなったのはいつの頃からか。
「ルガイ王子の寝所辺りに感じました」
「ハジルが憂さ晴らしでもしてるんだろう。ルガイは今日も兵士に当たり散らしてたらしいからな。困ったもんだ」
ゲオルグもその件は耳にしていた。しかし、気配が気になる。
「恩は売っとかないといつ剣を向けられるかしれないというのに。ユリキュースの株を上げただけとはな」
そう言って王子は鼻で弟を笑った。
ゲオルグは王子の言葉に笑顔を向ける。国王としての才はないが軍人としてはなかなかだ。剣を向ける方向と下ろし方は知っている。その点についてゲオルグは自分の主に満足していた。
(細やかさと寛大さがあれば申し分ないのだがな)
ゲオルグの憂いを含んだ顔に気づくことなく、王子は美味しそうに食事を続けていた。
魔法使いガストームは自室で食事をする王と席を共にしていた。彼もまたゲオルグ同様に力を感じて手を止めた。その手の動きに王が目を向ける。
ナイフとフォークを持ったまま、テーブルに手首をつけた王がこちらに目を向けていた。
「少し妙な魔法を感じました」
異世界からなにかコンタクトがあったか。そう思ったが、腰に下げた石はなんの反応も示していない。
「あちらからの力か?」
噛んでいた肉を飲み込んで王が聞いた。
「いえ・・・・・・。妙ですが、わかりません。少し席を外してもよろしいですか?」
関心を失った王は軽く頷いて食事を続ける。
ガストームは召使いに目配せして部屋を出ていった。
「シュナウト様、どうされました?」
召使いのフィリスに声をかけらてれてシュナウトは笑顔を返した。
「いえ、なんでもないです」
そう言いながら神経を研ぎ澄ます。
(なにか妙な魔力を感じた気がしたんだが・・・・・・)
「これはどうですか?」
無表情のシュナウトに少し不思議そうな顔でフィリスが
「この大きさなら使えそうです」
「洗い物なら私たちがしますよ。いまさら恥ずかしがることもない・・・・・・あっ」
言葉を切ったフィリスの顔に「女性に見られたくない洗い物って・・・・・・!」と書かれている。
「違います」
シュナウトは即座に否定した。
「婚約者の方を思って眠れぬ日があっても当然ですよ」
「そう言うことじゃありません」
「若いんだもの、元気よね」
訳知り顔の32才が気恥ずかしそうに22才の青年の腰辺りをチラ見する。
「いえいえ、洗い物じゃないですよ。少し違った用途で使うんです」
少し強めに否定するシュナウトの顔が少し赤い。勘違いされた内容を想像して赤面していた。シュナウトの手を取ってフィリスが軽く叩く。そして可愛い弟を相手にするようにフィリスが言った。
「はいはい、わかりました。黙ってますから心配なさらないで」
否定はしたいが本当の用途を知らない方が彼女のためか、とシュナウトは流すことにした。
(しかし、先ほど感じた力はなんだったのだろう)
一瞬だった。弱くてシュナウトには方角まではわからなかった。
(結界も一長一短だな)
ユリキュース王子の寝所に張った結界が、外で使われる魔力を把握するには邪魔になる。
(いったん
シュナウトは部屋へと向かった。
暗い部屋のなかでハジルは腰を抜かしたように座っていた。その胸のなかに亜結を抱いて。
(やった・・・・・・。やってしまった)
水鏡に写る娘の姿に驚いた。その瞬間は捕まえるという選択肢は浮かんでいなかった。
(あちらから扉を開いた!!)
喜びと驚き。頭のなかをクルクルと考えが巡った。
(娘だけか? 他には居ないのか? 異界へ潜ってみるか? しかし、部屋全体が見渡せない、危険だ。見られている、まずい、閉じるか。いや待て・・・・・・)
それはほんの数秒の間。
先に動いたのは亜結だった。彼女が身を引くのを見た瞬間、ハジルは思わず手を出していた。
彼女の悲鳴を耳にして腕をつかんだ手をとっさに引いた。あとは無我夢中で引いて、いま冷たい彼女の体を抱くように捕まえている。
「死んでいるのか・・・・・・?」
力なく横たわる娘の冷たさに恐る恐る息を確かめる。
(・・・・・・ほぅ。生きている)
ほっとして、ハジルは自分の右腕の違和感に気づいた。肘から先が氷のように冷たく感覚がなくなっている。
冷たい右腕を抱いて膝の上に横たわる娘を見下ろす。そのハジルの顔はゆるんだ笑みを浮かべていた。
(やった・・・・・・。やってしまった)
達成感と誇らしさと少しの戸惑い。
(感じる力は中の上。上級の魔法使いに近くはあるが私よりは弱い)
値踏みをするハジルの目の前で亜結の目蓋がぴくりと動いた。
「・・・・・・う、ん」
声をもらす亜結に「黙れッ」と強く耳打ちして、即座に口を押さえた。
(魔法を使われてはやっかいだ)
トントントン
「・・・・・・!!」
ノックする音に
「誰だッ!」
「ハ、ハジル様」
「なんだッ」
ピリピリしたハジルの声に召使いの女性が驚いている。ドア越しにもわかった。
「あの、夕食のしたくができました」
「わかったッ・・・・・・、少ししたら行く」
召使いの遠ざかる気配に安堵する。
「うっ! んんッ!!」
「動くなッ」
体に熱が戻った娘がバタつく。それをハジルは力任せに押さえ込んだ。
「うう! うんッ! んんーーッ!!」
亜結が立てた爪が腕に食い込み、ハジルは声を殺して必死に耐えた。しかし。
「痛ッ!!」
手を噛まれて反射的に手を離す。
「はぁッ!」
息を継いだ亜結が呪文を唱えようと口を開く。
「
ゴンッ
鈍い音が亜結の後頭部で響いて、
「が・・・・・・っ」
激痛と共に彼女はその場に倒れ、最後の一言が力なくため息のように口からもれた。
「はぁ・・・・・・はぁ。手こずらせる」
娘が呪文全てを言い終わらないうちに倒したハジルは、握った杖をごとりと落とした。
「さて、どうする? どこに隠すか・・・・・・」
部屋を離れる間この娘をどこに隠しておくか。ハジルは暗い部屋のなかを見渡した。
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