第71話 水鏡
祖母が驚いている様子はなく、そのかわりに覚悟した声が「そう」と小さく聞こえてきた。
「信じる?」
「ええ、信じるわ」
電話の向こうで祖母がそっと微笑んだ気がした。
「お祖父ちゃんからの手紙を見つけたのね」
祖母は全て知っている。テレビもペンダントの事も、あの巻物の事も。
「うん」
しばらく間が空いた。
ほんの数十秒ほどの間に色々な事を思って次の言葉を探す。先に口を開いたのは亜結だった。
「お祖母ちゃん・・・・・・帰りたい?」
亜結の質問にしっかりとした声で祖母が応じる。
「いいえ」
「わたし、出来るよ。お祖母ちゃんを連れて行けるよ」
「いいのよ。亜結ちゃん」
「1人で淋しくない?」
こうして話している今、祖父と2人で暮らしてきた家に祖母は一人っきりだ。
「ここにも沢山の友達がいるし、娘や孫達もいるから淋しくないわ。それに・・・・・・」
祖母が言葉を探している。
「私は向こうでは37歳なの。本来なら」
その言葉の意味を亜結はすぐに理解が出来ないだろう。そう思った祖母が説明を付け足す。
「ヒューリ・・・・・・、お祖父ちゃんが言うにはね。この世界に飛ばされたときに時間を
電話の向こうで苦笑いするのがわかる。
「ヒューリが試行錯誤してやっと繋がったとき、故郷の風景を見て泣いてしまったわ。でも、王子様はまだ幼くて・・・・・・」
祖母の声に湿り気を感じた。
「亜結ちゃんが小さい頃に向こうへ行ったことがあるでしょ。覚えてる?」
「覚えてる」
夏休みの迷子。舞い散る花と子供のユリキュースの姿が浮かぶ。
「あのときで、王子様にとっては捕まって2年が経っていたわ。私たちは1年間ずっと見ていることしか出来なかった」
思い返して語る祖母の声は
「やっと世界が繋がったときに私たちは時間のズレを知ったの。私とヒューリには子供が生まれて、その子達が育って、元気な孫も生まれてた。時間の隔たりに愕然としたのを覚えてるわ」
愕然とした・・・・・・そんな短い単語では伝え足りない気持ちを味わっただろう。そう思うと鼻の奥がジンと熱くなった。
「王子様と孫の歳が近いだなんて、なんてことだろうって」
まるで玉手箱のようだ。テレビは祖父母に現実を突きつけた。
「私は自分の母よりも歳を取ってしまって、いま帰ったらびっくりさせちゃうわね」
そう言って祖母は笑った。若いまま帰った浦島太郎とは逆だ。
「魔法で若返ったらお祖母ちゃんは家族に会いに行きたい?」
祖母はその質問に即答した。
「いいえ」
自分の人生を受け止めている。後悔していないと感じる声だった。
「亜結ちゃん、魔法使いになったからって無理はしないでね。わざわざ危険なことに関わらなくていいのよ。王子様には別の魔法使いがついてるんだから、ね?」
「そうだね」
亜結の背をなでるように、祖母の声はどこまでも優しい。
「亜結ちゃんがあちらの世界に行ったことを夢だなんて言ってごめんね」
祖母は一息でそう言った。ずっと謝りたかったんだろう。
「ううん、いいよ」
「嘘をついてごめんね」
「いいったら」
危険な目に合わせたくない、そう思ってのことだろう。関わらせないですむのならそのまま遠ざけて過ごさせたいと。
「心配してくれてありがとう」
秋守も心配してそばに居ようとしてくれている。彼の気持ちもわかる。だから・・・・・・。
(急いでユリキュースを自由にしてあげよう。逃がしてあげたらその後はシュナウトさんに任せたらいい)
祖父が天国でユリキュースを心配している、そんな気がする。
亜結自身もいま手を引くことは出来ない。そうしたらいつまでも気になって落ち着かない気がするから。
(逃がしてあげるだけ、あと数回よ。気づかれる前に終わらせたらいいんだから)
「危険なことはやめてね」
「う、うん。わかってる」
顔も見えない電話の向こうから、亜結の表情を読んだように祖母が心配する。
「魔法を使えるからって過信しないでね。あなたは初心者なのよ」
「わかった、わかったから」
畳み掛ける祖母が秋守みたいで亜結は心で笑った。
(そんなに危なっかしく見えるのかなぁ)
「力を使えることと力を使い慣れている事は全然違うの」
「わかったよお祖母ちゃん。気を付けるから、テレビは見ないようにするから、ね?」
亜結は心配する祖母をなんとか安心させて電話を切った。
ハジルは重い空気をまとって暗い部屋にいた。
椅子に座り両手で顔を覆って背を丸めている。うずくまるような姿勢でじっとしていた。
「例の言葉を口にしてもいいんだぞ」
頭に浮かんだルガイの声にはっとして顔をあげる。
(ルガイ王子ならしかねない・・・・・・)
例の言葉。
それは主従関係を結ぶときに決められる。関係を切る言葉と命令に従わない魔法使いに死をもたらす言葉の2つ。
「ガストームでさえ手を出せずにいるのに、私にどうしろとッ!?」
繰り返し浮かぶルガイの声を振り払おうとハジルは立ち上がった。部屋をうろつき、ロウソクに魔法で火をつける。
部屋の中央に置かれた丸テーブルが光を受けた彼の顔を写していた。それは魔法使いの部屋に必ずある水鏡。ハジルは水鏡の縁に力なく手を置いて自分の顔を見つめた。1日で老けたように思える。
「
これまで試した呪文の中で反応のあった言葉をもう一度紡いだ。
暗い水の
「やはり小さい。これほど小さくては腕が抜けたとしてもこちらに人を引き入れることは無理だ」
穴を広げるにはどうすればいいのか。
「
水鏡にさざ波が起こり明るく光る円がゆれた。しかし、それだけに止まった。
「
念を集中し手のひらをかざす。
「んッ!!」
水の表面がざわざわと波立ち異界へ繋がる円がぶるぶると動いた。
(いけるか!?)
「
両手で念をこめる。
異界を写す円から砂金に似た光の粒が湧き出してハジルは目を見開いた。
「
水面へそろりと手を近づける。
このまま腕を突っ込んでみよう、やる価値はある。そう思う横でもう一人のハジルが
(異空間へ抜けた手はどうなるのだ? 腕だけ持っていかれることはないのか? 腕を失いでもしたら・・・・・・)
不安がよぎったとたんに盤面が真っ暗になってハジルは大きくため息を漏らした。身体中の力が抜けて腰砕けになって床に座り込む。
自分では無理かと天井を仰ぎ見る。ロウソクの明かりが届かない天井に水鏡が水面を反射させていた。
「暗いな・・・・・・。もっとロウソクに灯を・・・・・・!」
見上げる天井が突然明るくなって目を疑う。
(・・・・・・まさか)
ハジルは水鏡の縁に手を掛けてゆっくり立ち上がった。
「こ・・・・・・これは!」
盤面が明るくなっていた。水鏡の全体がだ!
水鏡が全面に映像を写している。そこには1人写し出された娘が驚いた顔でハジルを見ていた。
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