第69話 怒りの虹彩

「どいてッ」

「あっ!」


 少し乱暴にどかされて亜結が尻餅をつく。体勢を崩しながらかろうじて小箱のふたを閉じた。

 ちゃんと消えているか自然とテレビへ目が向かう。確認する亜結と秋守の目がぶつかって、


(怒ってる!)


 亜結の胸がきゅっと固くなる。

 秋守がなにも言わなくてもわかった。なんで消したんだと喉元まで出かかってる。


「消してないよ」


 首をふりながら亜結は笑った。きっと張り付いた笑顔をしている、そう思いながら笑う。

 亜結を見つめていた秋守の視線が流れて、彼女の胸元で止まった。両手で隠すように持った小箱の上で。


(気づかれた!)

「消したんだね」


 秋守の確信した瞳に亜結の笑顔がこわばる。


「消したりしてませんよ」


 声が上ずってこれ以上ないくらいぎこちなかった。亜結は小箱を胸に押し当ててかばう。亜結の頑なさに秋守の声もきつくなった。


「貸してッ」


 差し出された秋守の手から亜結は後ずさった。


「パ、パワーが・・・・・・」

「パワー?」

「そう! 電池切れよ、休ませなきゃ」


 子供だましの見え透いた嘘だ。


「王子とキスをしたの?」

「えっ?」


 急に矛先を変えられて亜結は言葉につまった。


「そうじゃなくても何か隠したいことがあるんだ。そうだろ? そうじゃなきゃ邪魔したりテレビを消したりしないよね」


 近づいた秋守が亜結の手ごと小箱をつかんだ。


(駄目よ、だめっ)


 矢を受けるアリューシュトの姿が目の前の秋守に重なる。


「だめっ・・・・・・」

「いいじゃないかッ」

「電池切れなのッ」

「そんなの嘘だ!」

「嘘じゃない!」


 ふたりの間で小箱がゆれる。


「じゃあ貸して、確かめさせて」

「本当だってばッ」

「ほんとうに? 本当なの!?」


 怒りの混じった固い声が亜結を叩いた。


「私のこと信用してないの?」

「信用してるさ」

「嘘よッ」


 強情な亜結に秋守が苛立つ。


「信用してるけど心配なんだ! 不安なんだよッ!」


 亜結の手を強く握る秋守を彼女はじっと見返した。


「不安なのは信用してないからよッ」


 息を詰めた秋守ごと空気が凍った。彫刻のように無機質な表情で秋守が見ている。


(しまった・・・・・・!)


 怯む亜結を見据えて秋守がその場の空気を砕いた。


「パワーが切れたんだね! そう言ったねッ」


 ドラマの刑事が取調で問いただす時のような声だ。


「回復するまでテレビを見ることも出来ない。ああ、それなら安心だ」


 投げ捨てるように秋守はそう言った。

 冷たく感じる秋守の瞳から、シャッターが降りたと感じた。


「帰る」


 さっと立ち上がった秋守は風のように玄関へ向かった。飛び立つ鳥のように後ろを振り返らない。


「あ、秋守先輩!」


 亜結の伸ばした手は届かない。振り向きもしない秋守の背を追って亜結は立ち上がった。


「・・・・・・うっ!」


 ドアの前で振り返った秋守にぶつかりそうになって立ち止まる。彼は口を真一文字に亜結を見つめていた。


「こちらから穴を覗く時、穴の向こうからも覗かれてる」


 秋守の真っ黒な瞳は光を写していなかった。


「気をつけて」


 後ろ手にドアを開けた秋守は止める間もなく出て行った。荒く閉じられたドアが大きな音を立てて亜結は身を縮める。


「な・・・・・・なによ。たんか切るならそれらしく言ってよ」


 亜結はぐずぐずとドアに向かって言った。

 売り言葉に買い言葉、そんな軽快な返しじゃなかった。急に落とした声が耳の奥に残ってる。


「でも・・・・・・これでいいよね」


 秋守はしばらくここへは来ないだろう。


(秋守先輩はあっちに連れて行けない)


 連れていきたくない。

 これでいいと自分のために頷く。にぎった右手を左手で包んだまま、亜結はしばらくドアを見つめていた。





「もういいッ! 今日の訓練はやめだッ!!」


 ルガイ王子のヒステリックな声が青空に突き刺さり、兵士達が膝を落として荒い息をついた。

 八つ当たりと思えるきつい訓練メニューに多くの兵士の息が上がっていた。


「行くぞッ、ハジルッ」


 兵士達に労いの言葉をかけず彼らの顔を見ることもなく、ルガイは訓練場をあとにする。その背を睨む兵士の数は少なくなかった。

 部隊長とハジルは「やれやれ」といった表情で目配せし、ハジルはすぐにルガイの後を追った。


「おや、ルガイ王子。ジルコーニュ姫を見かけませんでしたか?」


 声をかけたのはジェラルド王子だ。


「知るかッ」


 目も合わさずけんもほろろにジェラルドの前を通りすぎる。ルガイの後ろを足早についていくハジルを、ジェラルドが気の毒そうに眺めていた。


(毎日ジルを追いかけ回しやがってッ。なんなんだ! どいつもこいつも!)


 ルガイの期限が悪くなったのは昼過ぎのこと。王が散歩と称してルガイの部屋に来てからだ。


「ユリキュースは元気なようだな」


 王はそう切り出した。

 庭に目を向けてルガイに背を向けて立っている。ルガイはその後ろに直立不動で立っていた。父であるはずなのに王の前ではいつも体が固くなる。


「毒の件、誰だか見当はついている」


 そう言って王はちらりとルガイへ目を向けた。


「私が留守の時を狙うとは臆病者だ。しかも殺す度胸もないときてる。まったく・・・・・・情けない」


 いつ殴られるかとルガイは身を縮めてうつむく。その姿を横目に王は溜め息を漏らした。


「人の寝首をかく気なら速やかに跡を残さず行うものだ」


 王が振り返るのとルガイの顔が青ざめるのは同時だった。

 ぽんと肩を叩かれてルガイは思わず防御の姿勢をとり、王はそれを見て笑った。


「人の物に手を出す時はよく考えて行え」


 更に2度、肩を叩いて王は帰って行った。

 ルガイはその時の事を何度も思い返しては心を煮えたぎらせている。


「くそッ! あのじじいッ!」


 自室のドアを力任せに開けてルガイが怒鳴り散らす。


「王子ッ、お父上にその様な言い方は・・・・・・」


 慌ててドアを閉じたハジルがなだめようと声をかけた。


「あんなやつが父親!? 愛情をかけてもらったことなど1度もない!!」


 癇癪かんしゃくを起こしたルガイが手近な花瓶を投げつける。派手な音に召使いの娘達が身を寄せた。


「落ち着いてください」

「落ち着けだと? 馬鹿にされたんだ! やったのが誰か知ってると言いながら何もしないなんてあるか!?」


 部屋のなかをぐるぐると歩き回る王子を、召使い達が怖々と身ながら片付けをしている。


「早くなんとかしなくては」


 爪を噛むルガイの目は焦点を失っている。


「先回りするんだ。鼻を明かしてやる!」

「ルガイ王子・・・・・・」

「例の件はどうなった?」


 ルガイの指す例の件とは何か。ハジルは素早く頭を働かせる。


「ガストームより先に手に入れろ!!」


 その言葉でぴんときたハジルが召使い達に手を振って下がれと指示した。


「異世界のことには手を出すなと王様から・・・・・・」

「黙れッ!! 小娘を連れてこいッ!!」


 ルガイが怒りに任せてテーブルクロスを引く。飾られていた果物がごろごろと辺りに散り悲鳴が上がった。





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